工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

年末の工房

今日は工房の大掃除(の、真似ごと)。
木工とは屑を出す仕事と見たり、、、などと嘯きたくなるほど、ゴミが出る仕事だ。
板を切っては端材と鋸屑が出て、削っては鉋屑が出て、研いではサンダーくずが出る。
出来るだけ工房内はキレイにしていた方が快適に、かつスムースに仕事が運ぶのは言うまでもない。
北欧の工場では完璧なまでにダスト処理のシステムが行き届いているようで、近代工場そのものだ。雑誌などで見る整頓されゴミひとつ落ちていないような工場内部の写真は決して偽装ではないようだ。
若い有能な工員を獲得するにもこうした環境は重要だろうし、木工といういわば旧世代の工業を近代的なものとして再構築するためにも、こうしたダスト管理システムは必至な要件なのだろう。
しかし、ボクの周りの木工所の卑近な例では、概して旧態依然とした決してキレイとは言えない工場が多いのが実態だ。
さて大掃除だが、1年間ほど世話になった親方のところでは大掃除の後は木工機械の1台ごとそれぞれにお供えをするのが慣わしだった。
神も仏もないうちではそのようなことはしないが、1年間世話になった機械にはお供えに代えてそれぞれダストを取り除き綺麗にしてやり、グリスアップや油を差すなどメンテナンスを施し摺動などを良くしてやり感謝の気持ちを表す。
仕事初めまで全く機械を使わないということでもなく、自宅と同じ敷地内にある工房なので、こうした時季を選んで新しいデザインの試作などで稼働させることもある。
まとまった休みがあれば、日頃できないクリエィティブな分野の業務もしたいし、Macのメンテナンスもしたい。読書もしたいし、録りためたDVDの映像も観たい。
などと小市民的幸せを人並みに味わいたいものだが、おそらくはアッという間の年末年始になり、気が付けばいつものような日常に振り回されていくのだろう。

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  • <などと小市民的幸せを人並みに味わいたいものだが、おそ<らくはアッという間の年末年始になり、気が付けばいつも<のような日常に振り回されていくのだろう。
    それでいいんだよね。それが普通の人だから。それが、いまを生きているわれわれのまっとうな、裸の姿だから。
    ただ、このことだけを言いたいために、わざわざ昼休みを使って、ここに書き込んだんじゃないよ。
    言いたかったのは、次のこと――
    《などと小市民的幸せを人並みに味わいたいものだが、おそらくはアッという間に還暦を迎え、気が付けばこれまでの日本人とまったく同じような仕方で、「その日」までの日々を過ごしていくのだろうか……》
    と、すこし parody を入れてみました。
    しかし、わたしが思うに、またほかの大多数の仲間たちもそのように思っているだろうが、わが○次郎は、けっしてそのような「残照」に耽ることなく、これまでと同じように、日々の営み(木工その他)を地道にこなしていくことだろう。
    わたしも、○次郎とは道はちがっているが、「これまでの日本人」とはいくらか異なる道を進んでいこうと志し、そのための準備に着手したところだ。
    その成果は、おそらく、1年ぐらい経ってみないと、外には現れてこないと思う。
    そういうことは、本質的な問題ではないので、ただ地道に、準備を進めていくだけだ。
    ときには、残照にみとれ、水平線の彼方に思いを馳せることもあるだろうが、この星に、人が生きていける道はそれこそ無数にあるのだから、人それぞれ、自分がこれでいいと信じる道を焦ることなく歩んでいけばいいのだと思う。
    ○次郎の年末の感懐に触れ、わたしは年頭の所感を述べました。こちらは、毎日雪で、比良山系ばかりでなく、比叡山まで真っ白になりました。
    そこで一句、
          対岸の 雪のまぶしく 出勤す
                      まさとし

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