工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

『サヨナラ民芸。こんにちは民藝』

ここに「民藝」というものをあらためて考えさせてくれるる3冊の本がある。
「民芸」(新しい教科書シリーズ)監修:濱田琢司
「近代工芸運動とデザイン史」(デザイン史フォーラム編:藤田治彦責任編集)
「サヨナラ民芸。こんにちは民藝」(月刊「目の眼」7月号別冊)

出版順に並べたが、上2つは2年ほど前に購入したもの。
3冊目の「サヨナラ民芸。こんにちは民藝」を最近買い求めた。

目の眼増刊 サヨナラ民芸。こんにちは民藝。 2010年 07月号 [雑誌]『目の眼』という雑誌の別冊になるのだが、書店でたまに手に取る程度のもので定期購読しているわけでもない。
いつものように書店の立ち読みで『目の眼』を手にして、この別冊があることを知る。
しかし既に出版元にも在庫が無く、古本でやっと入手できた。

300頁近い大冊だが、対談が6つという構成で、一気に読むことができた。
対談ゲストの過半は初めて知る人達だが、「民芸」というものが、こうした専門的に関わる人によっても、実に様々に解釈されてきたことを知ることになる発見の本だった。


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《6つの対談・頁構成》

対談1:民藝はすでに終わっているのか?

久野恵一(日本民藝協会常任理事・もやい工藝・主人)×濱田琢司(南山大学准教授)

対談2:骨董と民藝に違いはあるのか?

尾久彰三(元日本民藝館学芸部長)×豊島愛子(骨董愛好家) with 鄭 玲姫(李朝喫茶「李青」主人)

対談3:用と美の間で作家は何を思うのか?

志村ふくみ(染織家)×近藤高弘(陶・造形作家)

対談4:柳宗悦はなぜ利休をせめたのか?

千 宗屋(武者小路千家・次期家元)×岡村美穂子(鈴木大拙・元秘書)

対談5:手仕事の市場は女性がつくるのか?

F/style 星野若菜・五十嵐恵美(産地プロデューサー・デザイナー)×田中敦子(編集者・工芸ライター・プロデューサー)

対談6:民芸と手仕事に未来はあるのか?

馬場浩史(スターネット・オーナー)×テリー・エリス&北村恵子(BEAMSバイヤー) with 南雲浩二郎(ビームス・ディレクター)

ご覧のように戦前から戦後に掛けて活躍した陶芸家のご子息、染織作家、駒場民芸館の関係者、骨董愛好家、民芸店経営者、産地の作り手の近くのプロデューサー、BEAMSディレクターなど、幅広く人選され、民芸運動を回想するもの、柳宗悦論を展開するもの、民芸運動の裏面史を語るもの、あるいは放談に近いものといったもので、厭きさせず楽しく読むことができる。

これまでも「柳宗悦 選集」などを手に取り、拾い読みしたり、岩波文庫 青本所収の柳の本から読み解いたりとしてきた積もりだが、なかなかその実相に迫るのは難しいものと思ってきただけに、民藝運動の周囲にいた方々の話を聞くというのは断片的ながらもこれを埋めるに有用なものであった。

こうした多彩な論陣、新鮮な切り口で構成・編集された書の企画に挑んだ出版社には敬意を表しておきたいと思う。

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ただやはりというべきか、「こんにちは民藝」と言われても、これを再定義することの困難さを浮き彫りにするものとなっていることに気づかされてしまうのも事実だ。

これは時代の変貌がそうさせているということもあるが、それ以前にもともと「民藝運動」の勃興から、戦後一時期(1970年代あたりまで?)の発展期、充実期を顧みても、「無名の工人」として定義される実質的担い手も結局は著名な作家により展開されてきたというまぎれもない事実に、この困難さが示されていることはあらためてここで振り返ることでもないほどに多くの人々に共有されている事柄のためである。

ぜひ本を手にとって読んでいただくことをお薦めするが、対談では柳宗悦氏の指導的立場に相容れずにいずれ離反していったことなども語られ、その後独自の活動を通して、工芸の世界で活躍し、花開いていった人は数知れずあり、こうした工芸美術運動の難しさというものをあらためて思い知らされる。

ボクも実は松本民藝家具の端っこから木工家具の世界に身を投じた者の一人として、第三者的な立場でこうしたことを考えることは安易であるはずもないのだが、独立自営して以降、ここの家具を扱う店舗の仕事に関わる過程で、普段から柳を論ずるその経営者から「職人はこちらが言うことだけを黙って聞いてればいい、自己主張するのは民藝の職人ではない、云々」などと言われてしまう現実にぶつかれば、はて、と考え込んでしまうという実態もあり、こうした関係者らが柳宗悦をホントにどこまで理解しているのかは常々疑問に思っていたこともあって、この対談本はそうした疑問を少し氷解させてくれる種明かし本でもあった。(この辺りは極私的な感想ではあるのだが)

工芸思想としての「民藝」の定義、これに自分のモノ作りを対象化させることでより純化され、あるいは洗練されたものへと到達するという実世界での葛藤は、絶対的指導者としての柳の思惑、コントロールを超えて自律していくものであったかもしれないし、当然にもこれらの活動も資本主義に貫徹される市場のメカニズムの中でもてはやされ、あるいは逆に買い叩かれ、偏倚していかざるを得ないという世俗的な関係にも翻弄されていっただろうことも明らか。

しかし、そうした工芸の現場の様々な矛盾を知る立場の者からしても、なお、柳宗悦の「民藝論」が果たした日本近代史の工芸美術における業績は1つの金字塔と言えるものがあることは否定すまいと思う。

日本においても近代を迎え、広く一般に生活雑貨から工芸品までを求める時代の要請があり、モノ作りの世界にも大きな波が押し寄せ、モノ作りの精神を根底から問われてくる中にあって、これに美質の基準を与え、またその社会的位置づけを明確に語り、啓蒙する指導者が求められたのは必然であった。
ここに柳宗悦の卓越した美意識と理論、そして多くの工人を導く魅力ある人柄、あるいは資金力などに支えられ大きな流れになっていった。

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ところでイギリスのウィリアム・モリスが提唱したアーツ&クラフツ運動については、かつてこのBlogでも少しばかり論考を残してきたが、柳宗悦氏を日本のウィリアム・モリスと並べて論ずる人は少なくない。
ボクは基本的にはこれに同意する。
歴史軸の差異はあるものの、それは日本が欧米に較べ、近代化の歩みが大きく遅れてしまったことを衡量して考えれば十分だろう。

むしろ日本の中世から近代に掛けての工芸における水準の高さを考えれば、ウィリアム・モリスの工芸思想の独自な日本的開花は約束されていたと言っても過言ではない。
無論、柳が語る「他力本願」に象徴される仏教精神の前近代的文脈がいかにもアジア的で、近代日本の工芸世界にどこまで深く定着させられるかは、柳亡き後の民藝運動の推移を見れば分かることだ。

1970年代の民藝ブームが現在の工芸界に何を残したのかは良く分からないが、ただの商標の如くに、あるいは場末の酒場の薄汚い「民藝」風のれんの如くに、その精神をふぬけにさせてきた罪深さの一端を担ったのも先述した小売店舗の経営者などの流通やメディアだけではなく、作り手でもあったことは自覚したいと思う。(この稿続く)

《関連すると思われる記事》

                   
    
  •  僕が学生の頃、東京の西の方には「味の『民芸』」という、うどん系ファミリー・レストランがありました。 何となく苦々しくそのネーミングを見上げたものです。
     テレンス・コンランというひとに会った時にも感じましたが、「民」のものをわざわざ「芸」にしなくても、、、それで儲けようとしなくても、、、と思ってしまいます。
     
     

  • たいすけさん、コンラン卿と交流がおありなのですか。ワォ
    「▽□民芸」「民芸の○△」と言った名称は巷にあふれています。
    それだけ一般名称化されたものと言うわけですね。
    あるいはただの雑器も「民芸店」に置かれれば、価格は桁違い。
    それだけ「民芸」への価値が広く認められたものと考えたいところですが、しかしその多くは流通戦略としてのものであることも事実ですね。

  • 初めまして。里文出版 編集部の上野と申します。この度はネット上にて小社の「サヨナラ、民芸。〜」を取り上げて頂き、誠にありがとうございました。またブログの文章も拝読致しました。このように広告も打たずに口コミで広まったことを大変嬉しく思います。小社は骨董・古美術の雑誌がメインのある意味、なくても良いような雑誌や本を作り続けて34年になります。ただだからこそ出来ることがあると思い、民芸にチャレンジしました。一人でも多くのかたに何かを感じて頂ければ、編集者冥利に尽きるというものです。ありがとうございました。

  • 里文出版・編集、上野さま、コメントありがとうございます。
    出版社の方がご覧いただくことは想定しない、悪文での批評で、お恥ずかしい限りです。
    民芸を今日的にどのように取り上げるかが編集者の力量であるわけですが、この別冊は6つの対談で構成され、その人選も民芸を多角的に捉えていくのに優れたものであったことが、この書の成功を約束したものであったように思います。
    今後も好著の企画を期待します。
    ところで、本書、入手困難な様子ですが、別冊の場合、版を重ねると言うことは無いのでしょうかね。
    多くの方に読む機会が広がることを期待します。

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