工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

『サヨナラ民芸。こんにちは民藝』(続)

〈承前〉
順序が逆になってしまったが、『民芸 』(あたらしい教科書 11)は小型の本ながら、サブタイトルの通り確かに「教科書的」構成の書で、「民芸」を概括的に捉えるものとして好書かもしれない。
そうした性格の編集のためか、柳宗悦の工芸思想へと深く分け入るというものではない。
民芸 (あたらしい教科書 11)むしろ特徴とされるのが「新しい民芸」という項目。
プロダクト製品を含む、現代の「民芸」をBEAMSバイヤーらの「眼」で見いだそうとするものとなっており、これに大きく割かれている。
いわゆる従来からの民芸ファンからはお叱りを受けそうなものもあえて取り上げるという大胆な企画ではあるものの、若き監修者(濱田琢司氏)ならではの切り口と言えるだろう。
この書もたまたま汐留パナソニックミュージアムの関連書物コーナーで見付けたものだったが(「バーナード・リーチ展」の時だったと記憶する)、「民芸」の現代的風景を見ることができる。
先に挙げた「サヨナラ民芸。こんにちは民藝」の対談1を読むことで、この監修者・濱田琢司氏という人の生の声を聞くことができ、よりこの書の定位置がはっきりしてくる。


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次の『近代工芸運動とデザイン史』、デザイン史フォーラム編というシリーズものの1つ。
このBlogでもかつてこのシリーズの『アーツ・アンド・クラフツと日本』を取り上げたことがあったと記憶している。
その書と同じく藤田治彦責任編集。
頁構成

〈第一部 ヨーロッパの近代工芸運動〉
  略
〈第二部 欧米の近代工芸運動とアジア〉
▼アーツ・アンド・クラフツ、フランク・ロイド・ライト、日本の近代工芸(藤田治彦)
▼伝統と科学の狭間で―イギリスでの松林靏之助の活動を中心に―(前崎信也)
▼柳宗悦と山本鼎(藤田治彦)
▼民芸運動の実践―吉田璋也の活動を例に―(猪谷聡)
▼「韓国」陶磁の二十世紀と柳宗悦―植民地から解放後へ―(竹中均)
▼台湾における民芸運動の受容―柳宗悦と顔水龍―(林承緯)
▼インドの手工芸と振興活動―ラバーリー社会を事例に―(上羽陽子)

それぞれの項、工芸、民芸という分野をフィールドワークする、若い研究者らの研究発表論文というスタイルの構成となっている。
全てに目を通したわけではないが、多くの事柄において示唆を受けた。

フランク・ロイド・ライトについてはそれまでも関連書を読んできているものの、日本の工芸美術への深い理解に立ち、これを高く評価する立場から、日本の学生に懇懇と説いていたことは新しい発見だった。

吉田璋也氏については、ある雑誌に楢のキャビネットが鳥取民芸の紹介文として掲載されていて、そこにこの人物の名があり、その後調べてみたことがあったが、今回のこの書にて少し実像に迫れたかも知れない。

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さて、柳が工芸に興味を持つきっかけとなったのは、朝鮮陶磁器への開眼からであったことは良く知られているところだが、30歳の時に発表された『朝鮮人を想う』、『朝鮮の友に贈る書』での、朝鮮の美は「悲哀の美」という一言は有名だ。

時は植民地支配下、1919年三・一独立運動の頃。
朝鮮の器に美を見いだし、コレクションし、これらの作り手への深い親愛の情が、そうした言葉となって発せられたが、この植民地支配下に朝鮮、あるいは朝鮮人へのシンパシーを語るのは吉野作造をおいて他に誰もいない中での喝破であったことは、柳を考える上で欠かせない事柄。

つまり彼の民芸思想の核心にあるのが、なにものにも侵されることのない自由の精神であり、モノ作りの背景にある健康で豊かな人間性への賞揚であったことをそこに見ることができる。(白樺派との関わりも含め)

ただこうした彼の李朝陶磁器への評価も、朝鮮の人々には正当には受け入れられず、むしろ反発されたことも含め、複雑なものであったことも知っておきたい。
これをどのように理解すべきか、
ボクたちは既にE・サイードの『オリエンタリズム』(1978、日本では1986年)を参照することができるのだが、柳の朝鮮への眼差しも、『オリエンタリズム』における東洋への西洋人の眼差しに共通する「植民地主義」からの視野でしか無かったのではという視座が求められているのかも知れない。
「文化」の中の「政治」あるいは「権力」という問題。
参照:金達寿『朝鮮文化について』

あるいは一方、柳に朝鮮磁器の魅力を教えた浅川伯教、巧兄弟が朝鮮人に広く暖かく受け入れられていたこととの比で考えていくことで何かが見えてくる。
(知識人の言論と、大衆に徹底して入っていった者との差異)

日常雑器に美を見いだし、「民芸」という概念を打ち立て、モノと人の関係性を広く深く思考し、モノ作りの背景にある健康な肉体と精神を賞揚し、作り手と使い手の幸せな関係を整序させてくれた工芸思想家、柳宗悦。

二十一世紀も11年目に入ろうとする現代、モノ作りの世界にあって「民芸運動」に代わるだけの深くて強くシンプルな理念など果たしてあり得るだろうか、と考えた時、恐らくはシニカルに苦笑するか、ケツをまくるか、逃げ出すか、自分の世界に閉じこもるか、残念ながら彼の若き頃のような青春の輝きを放つ時代精神はもはや夢物語であるのかもしれない。

YouTube 朝鮮の民謡「鳳仙花」を加藤登紀子バージョンで(1979年、河島英五の番組から)
二人の語りから入り、2分後から加藤登紀子の弾き語りがはじまる

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