工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

老いを忘れた木工職人

白山を背景に、親方の雄姿?

画像はかつて修業時代に世話になった親方Fさん。
白山スーパー林道でのショット。
世話になった期間はわずかに1年足らずであり、ボクのことを弟子とも思ってはいないかも知れないが、しかしその時間の長さをはるかに超える多くのことを教えられた。

このFさんの木工歴だが、中学を卒業し、職業訓練校に入校。
当時は悪ガキで、決して良い生徒ではなかったようだ。
卒業後、横浜クラシック家具の系譜に繋がる中堅の家具製作所に就職。
駐留軍の米兵などからの依頼で、様々な洋家具を作っていたらしい。

そこの親方は軍隊の将校上がりの人だったようで、かなり厳しく鍛えられたという。
多くの兄弟子にも可愛がられ、いわば恵まれた修業時代を送っていたようだ。

その後縁あって静岡に木工所を構え、一時は多くの弟子を抱えて活況を呈していたという。
ボクが世話にるきっかけはひょんなことからだった。
静岡で木工房を構えていたC/M帰りのMさんのところに訓練校の休みを使いお邪魔したところに、たまたまこのFさんが来ていた。

Mさん曰く、君が静岡に戻ってくるんだったら、Fさんのところで修行するのが最良の選択だよ、と。
Mさんには絶大の信頼を置くF親方であれば、その依頼には抗えず、とうとうボクを世話するはめに。

こうして松本から静岡に戻り、わずかに1年足らずの期間であったがFさんの木工所に世話になった。

その後20数年、盆暮れの挨拶はもとより、周囲の関係者との関わりも含め、何かとつかず離れずの関係で推移し、今回のMさんを訪ねる北陸行も彼からの誘いで同行。

延べ1,000kmの走行は、ボクとこのFさんが交代でハンドルを握ったのだが、ボクがもし疲れたから代わって欲しいと言えば、全線Fさんが走破しかねないほどの老人力の人である。

御年74歳。
本人が言っても信頼性に欠けるが、周囲の人に言わせても、仕事の質もスピードも若い頃と較べ少しも落ちていないのだという。
地域のボーリング大会でも優勝を争うほどのパワー。
年齢別でしょ、と茶々を入れれば、いや若い奴らと一緒なのだという、
こうして画像のようにブルージーンズを粋がって着込み、若い者と一緒に行動することを好む。
ホントは孫と戯れている方がお似合いではあるのだが、一方の職人魂の方は衰えを知らず、いつも新しい創作のことを考え、ぼそりとその新しい仕口について話しかけてくるのだ。

こういう人生も悪いものではないと思わせてくれ、こちらもほくそ笑んでしまう。
ただ問題が1つある。10年ほど前に顧客の大学の先生からMacを譲り受け、楽しんでいるのは良いのだが、良くシステムを破損させてしまうのが頭痛の種。

《関連すると思われる記事》

                   
    

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.