工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

栄光と影(M・ジャクソン、復活コンサート直前の急逝)

King of Popと称されたマイケル・ジャクソンの最期はどのようなものだったのか、7月、ロンドンでの復活コンサートを前にして、薬物依存、摂食障害を抱えながらの猛烈なレッスンの日々であったろうことを考えれば、肉体的酷使の結果としてのものであったことは想像に難くない。
あまりの早世であったことは残念としか言いようもないものだが、しかし誤解を怖れずあえて言えば、復活を夢見ての途上での事故と思えば、マイケルにとって本望であったのでは、とも考えられはしないだろうか。
何となれば90年代以降はスキャンダラスな事件ばかりがクローズアップされ、そうした失意の時期を乗り越えようという意志を奮い立たせる過程のものであったことは、彼にとってもファンにとっても一縷の“救い”であると言えるのだから。
決して良いファンではなかったボクに何かを語ることなどできないが、良く言われる過剰としか形容するしかない整形手術、ブラックへの忌避、あるいは数々の性的虐待疑惑、等々、スーパースターが抱える孤独、疎外感へは等し並みの興味はあった。
つまりいかにスーパースターとして君臨しても、その背後に感じる陰湿な人種差別主義であったり、ジャクソン5への道筋過程での父親からの徹底したシゴキへの憎悪であったり、幼くしてスター街道を歩む過程での、いびつな性体験であったり、と言ったように、とにかく真っ当な生育過程を経ずして、“孤独な”スーパースターへと登り詰めたマイケルには、勝ちとった名声と莫大な資産の代償は常人には推し量ることのできないものがあっただろう。
今日はちょっと視点を変えてYiuTubeからは《We Are The World》を‥‥
マイケル全盛期の1985年、アフリカエイドのキャンペーンソングだね。
マイケルとライオネル・リッチーとの共作。
「Thriller」を含め、80年代のアルバムでコンビを組んだクインシー・ジョーンズがプロデュース。

エイドとしての批判は少なくなかったが、80年代アメリカポップスシーンを考えるとき、欠かせないかも。
シンディー、かわいいから許されよ
‥‥理想主義を語ることが許された時代でもあったということか‥‥


このビデオクリップ、iTS(iTunes Store)に良質画像のものがあるよ
   →(こちら)¥300
またこの「We Are The World」のマイケルだけのスタジオ録音メイキングビデオもあった。
こちら
■ 参照
REUTERS
REUTERS スライドショー

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  • 名前だけは知っていますが、書かれたたものなどを読んでみると、現代の“カストラート”かな、と思ってしまいました。

  • kokoniさん、クラシック界の音楽家が、このM・ジャクソンをどう捉えるかは興味深いところです。
    マイケルの声質は、確かにポップス歌手としては異色でカストラート的な高い音域が特徴的ですね。
    またカストラートが“去勢”を意味するということでは、黒人でもなく、白人でもなく、あるいは中性的なイメージを特徴とするマイケルには、決して不当な定義ではないかもしれませんね。

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