工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

被災地と彼岸

3.11東日本巨大地震・義援物資搬送、義援金について

被災地への義援物資、今回分はFullとなってしまいました。
皆さんの数々の思いやりの籠もった物資、確かにお預かりいたしました。
本当にありがとうございました。
一方の現地活動資金を含む義援金の方はまだまだ募っております。
ご賛同、ご協力いただける方は以下の口座へと振り込んでください。
(ご協力いただけた方には、活動終了後、会計報告させていただきます)
■ 銀行名、支店名:静岡銀行 初倉支店
■ 預金の種別:普通預金
■ 口座名:エスペランサ 木工隊 工房悠
     エスペランサ モツコウタイ コウボウユウ
■ 口座番号:0228828

このところの業務外繁忙での睡眠不足もあるのだろうが、支援物資受け取り、燃料携行缶借り受けなどでのハンドル捌きはうつら、うららと、こんころもち良くなってくる陽気の週末。

カーラジオから聞こえてくるのは避難所で仮の暮らしを強いられている人の名前、名前。
新聞、TVでのどこそこに123人、あっちには36人、と員数だけでの呼称に替わり、ここでは例え名前だけではあるものの一人ひとりのIDentityがあり、極限的な恐怖から生き延びた人達の鼓動が聞こえてくるように思える。

タッチパネルでTVに切り替えるといきなり哄笑の渦に包まれた。
NHKに限らず、全てのチャンネルが震災関連の番組で占められていた状態から、いつもの日常へと替わっていたというわけだ。
ただの哄笑ならともかくも、知性も品もないようなお笑いにはついていけずに、SDメモリからのピアノ曲に変えたのだが、日常に戻りつつあるのは決して悪いことではない。

震災をめぐっては、例えばプロ野球の選手会が公式戦Openを先延ばしたいと申し入れるということがあり、あるいはここ静岡市では春の大きな祭りが、また5月の連休の浜松祭りが、それぞれ中止となったようだ。

プロ野球の一件などは詳しく追っているわけでも無いのでそのいきさつは不明だが、あまり過度に自主規制するというのは、ボクは気持ちよいものでは無いという考えを持っている。

むしろ予定通り開催して、そこで黙祷を捧げるであるとか、試合後、選手達が義援金を募るということであれば、名実ともに大きな支援になるとさえ思うのだが、これはおかしいのかな。

ただ、やはり3.11というこの日を結節点として、時代相というものは明らかに変わっていくのだろうと思っている。
いや、変わることでなければ、果たしてどれだけの数になるのか怖ろしく深く考えることさえ止めたくなるほどだが、万という単位での犠牲者を真に弔うことにはならないような気がする。

なかなか困難な命題ではあるので、回りくどい言い方になっているが、この度の自然の猛威による空前規模の災害は被災地に大きな爪痕を残し、復興への足取りを確かなものにするにはかなりの時間と物量の投下が必要となってくるだろうし、加えて福島第1原発のメルトダウンをめぐる問題はこの過酷な震災をより困難で、先見することを許さないまでの命題を、我々人類に突きつけているようにさえ思えてならない。

ここで人類という言葉を用いたが、決して安易に使っているわけではなく、類としての我々がエネルギー源として選択した核というもののいわば隠蔽されてきた本質が、この震災によって虚飾がはがされ、露わとなり、裸のままで我々に迫ってきている。
様々な手立てを講じてこの魔の怒りを鎮めんとしているのだが、この原発ジプシー、電力社員を先頭に、消防隊員、自衛隊員、警察官らの決死の作戦を、神にも祈るような気持ちで注視しているというのが、世界の人々の共通する思いではないだろうか。

「安全神話」というものの揺らぎは、例えかつてない規模での震災が大きなきっかけであったとしても、ここまで露わに核というものの反人類的な相貌を見せつけられれば、誰の眼にも明らかに、いかに沈静化へと向かうことができたとしても、メルケル(独首相)だけではなく、全世界の為政者の今後のエネルギー戦略の手足を縛る大きなファクターにならざるをえないのだろう。

こうした文脈というものは、畢竟、現代文明のある種の危うさ、近代社会のある種の病弊をも我々に問うているように思う。

冷たい握り飯だけ与えられほおばって泣いている被災者の向こう側には、哄笑だけで構成されているような番組が再開され、何もなかったかの如くの日常が再開している。

いや、お笑い番組が悪いというのではない。
そうではなく、3.11という結節点を経て、私たちは何を学び、何を今後の生きるよすがにしていくのかということが問われていて、例えお笑い番組であっても、過去に収録したものをおざなりに放送に載せるというセンスというものは、ボクには到底許容しがたいと映る。

3.11で起きた結果の、現在の困難、混迷、というものを、お笑いの場ならではのセンスで切り取り、批評、ひねり、ブラックユーモア、などいくらでも作りようがあるだろうと思う。

欽ちゃんが避難所をこっそり回る、という企みがあるらしいが、ぜひ彼のセンスで項垂れ、疲れ切った被災者に笑顔を取り戻す芸を披瀝してもらいたいと思う。
彼らにはそうした力がある。

困難を超えて、人は希望を見いだし、新たな絆をたよりに生を営んでいくだろう。
彼らの丹田には、無常観が宿り、人の世の暖かさ、冷たさ、不条理、夢、愛、様々なものが心のひだの数をふやし、新たな人間像として立ち現れていくだろうと思う。

そうして、日本社会もごろっと歴史を動かし、3.11以後の新たな再生を歩んでいくのだろうと思う。

君は何がどのように変わる?
ボクは?

さて、支援物資で工房のスペースは足の踏み場もなくなり、義援金は個人でのボランティア活動としてはかなりの額に登るということで口座開設で無理を聞いてくれた銀行キャリア女史も驚いているかもしれないほどのもの。

それぞれに心からの支援の気持ちが込められた尊い資財。
ボクたちは彼らに代わって被災地へとお届けする使命をもって、22日に旅立つ。

準備を重ねれば重ねるほどに、その困難さも押し寄せてくる。
メンバーの一人の親兄弟は押しとどめに入ってくるのは当然としても、多くの支援者もその「無謀さ」に呆れかえっているらしい。

しかし一方、現地の支援スタッフとの電話でのやりとりで受ける感触というものは、一面事務的ではあるものの、それぞれに大きな試練を乗り越えていこうとする高揚感、義務感、共同体としての紐帯の喜びというものさえ感じ取ることができる。

全てが予定調和的に進むという日常であるならばともかくも、この未曾有の危機であれば、少々の「無謀さ」をも厭わずに突破していくことなくしては何も拓けていかない。
3.11以後、というものにいったい何が見えるのか、それは被災地に身を横たえることではじめてほの見えてくるだろう。

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  • 被災地へ向かう道路も少しずつ整備され、燃料なども入り始めれば
    これからボランティアの活躍できる場も増えてくると思います。
    artisanさんの行動力に敬服しています。
    危険を伴う行動ですので、無理をされないようにしてください。
    義援金で多少なりとも協力したいと思っていますが、我がメインバンクは
    現在システムダウン中ですので、復旧しだい振り込みしたいと思っています。

    • acanthogobiusさん、
      ご心配おかけしていますが、長いお付き合いのacanthogobiusさんには、私の思考スタイルはご理解いただけるものと思いますが、いずれにしましても、木工ネタは少し沙汰やみになり申し訳なく思います。
      義援金にもとてもありがたく思います。

  •  artisanの気持を奮い立たせる何かを朧げながら共感しています。僕もお手伝いに馳せ参じたいのですが、自分の責任で進行中の事柄が多く、自身残念です。
     義援金協力したく思っています、また2次、3次と我々ならではの支援ができるようなことがありましたらご伝授下さい。まずは御自身、お気を付けて!

    • たいすけさん、
      >2次、3次と‥‥
      仰るように、今回は先遣隊的な使命を持ったプロジェクトになるでしょう。
      また帰還した後にリポートさせてただき、共有化したいと思います。
      元気に行ってまいります。

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