工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

災害ボランティアに手を上げる前に(自律した活動のために)

雪の朝

雪の朝(石巻ボラセン)

「新しい公共」のケーススタディとしての災害ボランティア活動

暖かいハートを持つ多くの人々が我も、吾もと被災地へ向け赴こうとしている。

2010年8月の政権交代において、ボクが最も期待を掛けたのが当時の党首(民主党政権、第1期内閣の首相)鳩山が掲げた「新しい公共」という概念だった。
その後残念ながら萌芽的なものは見えたものの、首相の顔の付け替えを機に、雲散霧消となり、ゴミ箱にうち捨てられようとしていた。

恐らくはこの度の東日本大震災をめぐる多くの方々による支援活動は、この「新しい公共」という概念の主要な思考スタイルを現実のものとしている1つのケースと考えても良いのではないだろうか。
激甚的災害というカタストロフィーによってもたらされた、いわばショック療法的な生成過程のニュアンスを色濃くし、それ自体とても日本的で特異な様相であるものの、実はこうした支援に起ち上がる澎湃たる人々の出現というものは、まさに「新しい公共」を先駆的に体現しようとしていることに他ならないものだと言えるだろう。

政治的言語でイメージするのが苦手な人々にとって「新しい公共」なるものがチンプンカンプンではあっても、実態として産み出されていることを見れば理解は容易い。
もちろん、単なるイメージを超えて、思想哲学的な言語に昇華させ、定着させる作業も必要だろうが、それは哲学家、思想家の領分の仕事だ。

さて、こうした熱いハートで被災者との思いを共有しようという人々による被災現場へのボランティア活動というものは、支援活動の中にあっても、より具体的で、より直接的で、より実効性の高いものとなる支援スタイルといって良い。

ただ(今となってみれば少しトーンも変わりつつあるのかもしれないが)県外からのボランティアお断り、といったメッセージは昨日記述したように、半分しか正しくはないと言っておきたい。
被災現地ではとてつもないほどの膨大なマンパワーを必要としている、というのが短いながらも4日間活動しての確信である。

無論この活動は、時々刻々とその要請内容が変化していくだろうことも明らかだが、実はまだまだ初期的段階の途にある、というのが偽らざる実態だ。

つまり、大津波による激甚的な被災者住宅は、例え大きな損壊がなくとも、とても住めるような状態ではなく(昨日の衛星写真でも分かるヘドロ浸水、詳細はこちらから:一軒一軒の状態が分かるほどの高精細な画像が見られる)、こうした住居の片付け、掃除などの介入は、まったくと言って公的活動は皆無といってよい状態。

これは地元自治体機能の消失と言ったようなところもあれば、例え軽微な打撃ではあっても、ライフラインの復興、被災者の生命維持のためだけに、ほとんどの人力が割かれている状態では致し方ない面がある。

したがってこれらは民間でのボランティアに依存するしかないというのが実態。

そうした家屋は数万、数十万という単位で救助を待っているわけだ。

こうした支援活動へとアクセスするには昨日のリストなどを参考として自力でマッチングを試みるというのが基本的姿勢でありたい。

一般には地元の社会福祉協議会を窓口として登録し、連絡を待つ、といった態勢であるようだが、はっきり申し上げて、こうした行政官僚ルートを信じていると、大きなタイムレスとなり、支援を待つ人々には接近できなくなってしまい、熱いハートを持つ有為な人にとり、新たに大きなストレスを抱え、沈み込んでしまうということにすらなりかねない。

つまりボランティアとはあくまでも個として自律、自立した姿勢を持ち、自発的な意思と責任において臨むという基本的姿勢を持ちつつ、受動的姿勢を超えて、自ら積極的に支援活動の場を切り拓くという思考が望まれる。
その上で専門機関との連携を密にして、実効性を上げるための努力をすべきだろう。

これらの一連の過程は情報ツールを駆使することで相当程度の確度で目的へと接近できるというのがボクの考えであり、また今回の体験を経ての確信でもある。

そして最終的に支援地域を決めるには、相手先のボランティアセンターと連絡を取り合い、受け入れ態勢を確認して、登録が可能であれば登録してから出発するようにしたい。

因みにボクたちが張り付いた石巻市ボランティアセンターでは、事前の登録は不要で、毎朝9時に登録することになっていた。

もう既にお分かりのように、こうした自立、自律した考えを持つ人であれば以下の情報はスルーしても良いほどのものかも知れないが、一応災害ボランティアに臨むための必須の物資を中心としてリストしてみたい。

災害ボランティア活動において準備する物資などについて

服装

  • 防寒着上下(現地はまだまだ氷点下になることがある)
  • 下着(ハイテク高機能下着など)靴下も厚手のものを
  • 作業着・着替え(作業時と、野営の使い分けを←衛生管理上)
  • ヘドロに汚れることを覚悟でのカッパ(オーバージャンパー、ナイロンアノラックなど)
  • (防寒靴+長靴)、帽子マフラー(厚手、長めのタオルでの代用)
  • 軍手(ビニール軍手、作業用革製軍手)

携行品

  • ヘルメット(内側に自身のID:血液型、緊急連絡先等を貼り付けておく)
  • IDカード:上着のポケット、あるいは首からぶらさげる(住所、氏名、免許証のコピー、保険証のコピー、緊急連絡先記述)
     チームの場合は、それぞれのIDを共有化し、パスカードに入れておく
  • 免許証
  • 活動地域の地図(現在、被災地を限定として、国土地理院から5万分の1の地図がフリーでダウンロードできるサービスがある)
  • 情報入手手段の確保(ラジオ、モバイルTV、スマートフォン)
  • 常備薬、他エマージェンシー薬剤の用意
  • AED配備マップiPhone、Android APP)

移動手段

現地ではまだまだ燃料の確保が難しい。
自治体、警察によっては「緊急通行車両確認 標章」というものを発行してもらえ、これを掲示することで優先的に給油が可能であるらしい。
それが確保できないばあいは自動車での移動には、行き帰りの燃料を携行缶に入れて確保する。
ガソリンではキケンが増大するので、できればディーゼルが望ましい。
現地はまだまだ瓦礫の撤去もままならないだろうから、スペアタイアの確認は必須。

移動ルート選定

東北自動車道、および三陸自動車道を含め、規制は解除されたので通行可能である。
ただいくつもの個所で落盤などの痕跡も見られ、復旧工事も行われており、走行には注意を要する。
また4月に入ろうというのに、この地域ではまだまだ降雪があり、スタッドレスであることが望ましい。

ボクたちは必要によっては蛮勇を振るいもするが、まだまだ命は惜しいので福島原発からは遠く距離を取り走行している。つまり上越周りである。

上述したように沿岸部走行はガレキのキケンも多く、移動ルート選定においては、あまり沿岸部に近接しないように留意すべきだろう。

野営態勢の確保

  • テント(雨風をしっかりと防ぐものを)
  • グランドシート(断熱シート)
  • タープ(チームの休憩、および食事環境の確保のため)
  • シュラフ(冬用)
  • ブランケット・毛布(野営時の防寒)
  • ストーブ(木質燃料のストーブ、炭を熱源とするもの、あるいは灯油ストーブ)
  • 湯たんぽ代わりのペットボトル(500mlのものでも足熱することで睡眠の助けになる)
  • 使い捨てカイロ
  • エンジン発電機(15A)
    あれば良いと言う程度。今回は持ち込んだが、ケータイ充電、夜間照明などに活用。
    隣のチームは電気炊飯器も持ち込んできていた(一同唖然 爆)
  • 照明器具(ランタン、懐中電灯など)
  • ラジオ

道具、工具

  • 玄翁、ハンマー
  • 手鋸、丸鋸
  • チェンソー
  • バール(大小)
  • 他大工、木工道具各種
  • 釘、コーススレッド各種
  • 針金
  • ロープ
  • 木工隊としての活動の可能領域がどのようなものであるかは不明であったので、必須のものなどを中心として準備した。

    またボランティアセンターでは、スコップ、ネコ、デッキブラシ、大バールなどが用意されているところも多いと思われる。

調理機材、および食材

かなり低温環境(朝食時でも-3度〜+3度ほど)なので、カートリッジガスボンベなどはガス化が弱いようだ。
コールマン2バーナーは有効に働いてくれた
電熱コンロは全く役立たず
包丁、鍋、釜などの調理機材

3食自力で確保できるのが望ましい。
因みにボクたちの場合、石巻市市街地に近いところでの活動であったが、周囲で外食できるところというのは1軒のラーメン屋だけだった。

  • インスタント麺
  • アルファ米 or 無洗米
  • パスタ
  • 食材缶詰
  • 甘い物(チョコなど)
  • 生野菜、根菜類など
  • 調味料
  • 珈琲など嗜好品
    (そんなの不要だろうという向きもあるやも知れないが、長期にわたって、チームとして活動するには、例え野営ではあってもこうした必須食材の他に嗜好品も持ち込むべき
    究極の嗜好品であるお酒についてはノーコメント)

その他、注意点

被災地では現地受け入れ機関の指示、指導に準じるように心がける
被災者を前にしての振る舞いでは、

    

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