工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

春へと向かって(若いボランティア隊員のリポート)

新年度の初日の今日、多くの社会人、学生らとともに新たな気分で臨んでいる。
これまで60数回のリセットを重ねてきたものの、今年の新年度ほど重く、また深く考えさせる春はない。
いつもの年と変わらずにこれから花開くだろう桜をどのように愛でるのかは分からないが、そのあまりの美しさに気圧され、それとの対比で被災現場がフラッシュバックしてくるのが怖くもある。

エスペランサ木工隊として共に赴いてくれた仲間の一人は若い。
そして今、本格的に木工を学ぼうとして意気盛んである。
工房 悠もこうして世代交代しつつ、新たな春を迎えるように、被災地でも美しい桜が花開き、希望の蕾を膨らませることを信じたい。

この仲間、堀内君がこの度のボランティア活動の報告をまとめてくれたので、以下掲載する。

 

I shall be released

─── 東北大震災 災害ボランティアを終えて ───

私、堀内がエスペランサ木工隊に参加した経緯、気持ち、活動内容、感想をご報告します。

私は神奈川の訓練校を卒業後、紆余曲折を経て工房悠の門を叩き、半ば強引に工房に通わせてもらっています。家具製作の基本とMacの操作、その他いろいろなものを工房悠さんで勉強中です。

3/11、その日僕は、午後から先輩の木工所へ応援にきていました。何十台もある椅子の部材の素地調整をまかされていました。

単調な作業にリズムが乗った頃、足下がふらつく、めまいか?と思った時先輩と目が合いました。

長く気持ちの悪い揺れだったのですがまさかこんな大惨事になっているとは思いもよりませんでした。

次の日、工房悠での休憩時間はいつものようにおいしいコーヒーと薪ストーブ、ガラス越しにさす気持ちのよい光の下、話題は地震と原発のこと。

そんな中ふと言った私の「現地に行きたい」という一言が、親方の心に火をつけてしまい、火がついたらさすが家具職人、あっという間に木工隊結成、義援金、支援物資の受付など流れるように進んでいったのです。

準備の期間、なんとか現地に入り何かしらの活動をしたいという気持ちも大きかったけれど、それ以上に不安も大きく、行ったところで何が出来るのか?テレビでのボランティアの現地入りはまだ早いなどの報道、刻々と状況が変わる原発、親兄弟の行くなと言う反対。

逆風の中それでも現地を目指した自分の気持ちは、心の奥底にある強い意志と自分を信じることにあったと思います。

22日の早朝、木で家具を創るという共通点で集まった三人が静岡県島田市に集まり、東北・宮城を目指しました。

ハイエースに200ℓ近い燃料と、自分たちが一週間現地で生活できる衣食住と最低限の木工屋の道具を載せたらほとんど一杯に。
それでもなんとか三人分のスペースを残し支援物資を詰め込み出発したのです。

ルートは被災地の通行止めや原発を避けるため山梨から長野、日本海へと抜けて新潟、山形、仙台という片道500キロ以上の強行軍。

なんとかその日の内に宮城県に入る予定でしたが、山形市内で22時を回ってしまい、明日に備えるということで一泊。

早朝に宮城県の石巻を目指しました。

この日の朝刊には石巻市、死者行方不明者2700人避難3万7千人と出ていました。

山形市内のコンビニの棚にある商品は残りわずかで、仙台に近づくにつれほとんどの商店は閉まり、営業するかもわからないガソリンスタンドには先が見えないほどの長蛇の列、たくさんの自衛隊の車。

なんとかナビをたよりに石巻市のボランティアセンターが設置されている石巻専修大学に着いた時間は昼過ぎ。

着いて早々状況もわからずボランティアセンター受付で登録。

不安とは裏腹に思った以上に機能していることに驚きました。

そのまま寝る場所の確保も出来ないまま、地図と依頼書をもらい自分達の車で現地に向かってくれとのこと。

依頼内容は津波で水に浸かった家具の運搬でしたが、行き先に近づくにつれ見慣れない光景が目に入ってくるのでした。

折り重なった車、道路の端につながれているボート、町が一面土埃で汚れたさまはアジア放浪で見た古い町並みを思い出すものでした。

依頼された場所に着くと、家の中は津波で浸かった家財道具とヘドロ、途方もない作業だと瞬時に直感し、ほとんどのものは使いものにならないのは明らかでした。

作業は9時から16時までという決まりらしく大学へ戻りテントの設置、夕食の準備に取りかかり、キャンピングスタイルでなんとかあたたかいものを食べることが出来ました。

水道はなく、電気はなんとか大学構内までは来ていて携帯の充電程度には借りることが出来ました。

トイレは仮設が四つ、テントは救援物資を保管する倉庫の隅に張らせてもらうことが出来たのですが、三日目には物資で一杯になり寒空の外へ移動させられました。

寝袋に段ボールだけの強者もいたり、朝、テントから顔を出すと辺り一面雪が積もっていた日もあり、朝晩は非常に冷えたものです。

計四日間のボランティアの活動内容と依頼主とのやり取りなどここでは書ききれませんが、とにかく水とヘドロに浸かった家財道具の片付けに追われ、街の至る所にゴミの山が出来ていました。

石巻に着くまでは不安で一杯だった気持ちはすぐに吹き飛び、お手伝いさせてもらった被災者の心から出る感謝の気持ちを一杯に受け、今までに感じたことのない充実感は自分の人生にとって大切な経験になると思っています。

そしてもう一つ大きく得たものはボランティアで来たいろいろな人との出会い、学生から自分の親世代の人まで、国籍、年齢、関係なしに情報も十分ではないところに何か自分に出来ることはないかというあついハートで集まった人たち、それぞれにここに来るまでの思いとドラマがあるんだと感じ、大切な経験、繋がりにしたいと思っています。

今回の大震災は日本にとって大変な出来事だと思います。

今回身を以て感じ伝えられることは、日本人の心は美しいということです。

テレビ、デマ、噂などの一方的な情報に流されず、自分の感じるままに行動すればきっと日本は復興と同時に忘れられてしまった美しい日本になると思います。

まずは自分に出来るほんの小さなことから‥‥。

このたびの地震により被害をお受けになった皆様に、心よりお見舞い申しますと共に、一日も早い復興をお祈りいたします。

今回エスペランサ木工隊に支援を託してくれた皆様、家族、友人、本当にありがとうございます。

皆様の気持ちがあったからこそ現地に向かうことが出来ました。

現地で活動をともにした若い友、ありがとう。
服部さん!、現地での作業をスムーズに出来たのも僕への見えないところでのサポート、ありがとうございます。

そして今回木工隊を結成した次郎さん、心から感謝しこの経験を糧に日々精進したいと思います。

2011/04/01  堀内 圭

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