工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

東日本大震災・災害ボランティア活動日録(3)

被災地へのアクセス

3月22日(地震発生から11日経過)

夜明けを待って四日市から搬送されてくる車両(ハイエース)への積み込みをすべく、5時にはスタンバイ。
前夜はやや緊張を引きずりながらの就寝だったが、熟睡できたようで心身ともに軽い。
駆けつけた若き隊員Hさんも体調は万全の様子。

四日市からはちょっとしたトラブルで到着が遅れるとの連絡。時間調整も必要となり近くの牛丼屋で朝の腹ごしらえ。

合流後、ハイエースに資材、燃料、支援物資を積みこむのだが、限られたスペースにいかに効率よく、利便性高く納めるかは容易ではない。
結局いくつかの支援物資の積み残しをせざるを得なかったものの、滞りなく出発準備を済ませ、これからの道中安全を確認し、意気揚々と乗り込みスタートさせる。

コースは右図の通りだが、概ね、以下のようだ。

map_shizuoka-miyagi

静岡ー宮城県運行コース

吉田IC
(東名高速道)
清水IC
(国道1号線)
興津
(国道52号線 身延道)
南アルプスIC
(中部横断自動車道)
双葉JCT
(中央自動車道)
  |
(長野自動車道)
更埴JCT
(上信越自動車道)
上越JCT
(北陸自動車道)
新潟中央JCT
(日本海東北道)
高速荒川胎内IC
(国道113号)
(国道13号)
山形市
山形蔵王IC
(山形自動車道)
笹谷IC
(国道286)
仙台市内
(県道31号〜37号〜石巻街道)
松島町
東松島市
(県道16号)
(石巻北部バイパス)
石巻災害ボランティアセンター(石巻専修大学内)

約750Kmのコース。

途中、南アルプスICに入る前にランチをとる。
入ったファミレスでは「計画停電」が間もなく始まり、その後は退出してもらわねばならず、それまでわずか30分しか時間がありませんが ?!、とのこと。
そうだったか、この地域は東京電力管内であることに気づかされるというちょっとしたハプニング。
(富士川以西ではあるものの、山梨県下は東京電力が供給)
食事のメニューも大幅に制約されるなか、慌ただしく掻き込む。

その後延々と果てしなく走行することになるが、3名のドライバー態勢ということもあり、さほど疲労することもなく運行する。
しかし、信じられないほどの積載量の燃料を考えれば、安全第一での運行で、緊張は解けないままではあった。

荒川胎内ICを降り、ここで日本海とはオサラバ。
一般道を山形方向へと東進する前に、夕食および、燃料補給。
このGSでの様子を伺うと、日々燃料の確保が難しくなっているとのこと。
我々のようなボランティアで向かう車両も増えてきているとのこと。

その後、山形市までのルートは山間を抜けるワインディングロード。
夜も更けて、やっと山形市内に入る。
予定ではその日のうちに仙台市内に入る積もりではあったが、仙台市内で宿泊先を探すのは恐らくはかなり困難なはず。

今日のところはここ山形市までとし、ホテルを探す。
ここ山形市内でも多くのホテルが被災し、宿泊もボイラーが使えないなどといったように限定的のところが多いなか、1軒のビジネスホテルが見つかり、転がり込む。

入浴後、持ち込んだラップトップMacをネット端末に接続し、現地情報を入手、分析。
前夜以降、宮城県下ボランティアセンターではいくつかの情報更新があるものの、目的とする石巻ボランティアセンターでは、以前として連絡先の電話も無い状態。

果たして、事前登録した松島町へと向かうのか、そうではなく、事前登録はできないものの、より深刻であるはずの石巻へと向かうのか、額をつきあわせての鳩首会議。
結論は‥‥、言うまでもなく石巻とすることに決定。

あらためて翌日の運行ルートを再確認。
自動車専用道は一部を除き避け、一般道をひた走り、また仙台近郊では被災しているであろう沿岸部を避けてのルート。

こうしたルートはGoogleが提供している、前日の0〜24時までの走行実績(カーナビからの運行実績情報をマップマッチングした地図情報)を活用することで、より信頼性が高まり、さらに山形市内在住の知人からのアドバイスを加味して、確度の高いものを作成。

*福島第一原発:2号機、東京電力(消防車)による注水。
3号機、緊急消防援助隊(東京消防庁)の消防車による連続放水

3月23日(地震発生から12日経過)

早朝、朝刊を求めてフロントに出向いたが、外を見やるとハラハラと舞い降りる雪の中、果てるともない延々とした車列の光景が飛び込む。

山形市内ホテルから、雪の中の車列

開店まで数時間もあると思われるGSへ並ぶ車列だ。
ドライバーは機嫌悪く、あるいは苦笑いを浮かべ、一様に諦観とでも言ったふて腐れた顔つきである。

平和ボケと言おうか、一瞬、何だこれは?と思ったのは事実。
しかしこの光景というものは目的地に到着するまで、あらゆる地域での“ありふれた光景”となってしまっていたのだった。

この朝は、恐らくは“まともな食事”としては最後になるであろう、ホテル朝食をとったが、意気込むほどの内容でもなく、淡々と、しっかりと腹に納める。

チェックアウト後、山形から仙台までは雪景色の山間を抜けていく。
途中、何度となくGS前での長〜い車列に出遭う。

コンビニを含めお店の多くは閉じたまま。
この辺りの被災は内陸なので津波の被害はないはずで、地震によるものだろう。

仙台市内の車列

途中数カ所のGS待ちの車列による渋滞を避け、郊外から郊外へと繋ぎ、仙台市の北部を回り込むようにルートを取る。
途中、コピーのために、大型のショッピングゾーンに立ち寄る。

スーパーマーケットには人だかり。
1商品、一人、一個のみ、といった札があちこちにぶら下がるが、前に進むのがやっとといった感じでの混雑ぶり。
恐らくは被災後、久々の開店といったところなのだろう。

弁当も売られていたので買い求め、そのまま駐車場で昼食となる。

後はまっしぐらに仙台から石巻へと向かうのだが、
石巻に近づくに従い、いやでも緊張が高まる。

道路の確認のために停車した場所も、何とそこは避難所。
体育館様の施設に100名を超えるほどの避難住民が。
静かに、物音さえ憚るような沈んだ空気。

いきなりの遭遇で少し慌てた。

その後、川沿いにルートを取れば、海からかなりの距離があるはずなのに、津波で運ばれてきたと思われるガレキ、車が河川敷を占拠していた。
いやでも緊張が走る。

そうして、午後の早い時間帯に石巻市内に突入。

石巻赤十字病院

数年前に旧北上川河口近くから内陸部へと移設され、被災を免れたという石巻赤十字病院脇を抜け、旧北上川を渡るともう間もなく石巻災害ボランティアセンターが設置されている石巻専修大学のキャンパスである。

石巻赤十字病院敷地内には、大型のテントが張られ、パラボラを載せたTV局の取材車と思われる車両が2つ、この地域の異様な事態を象徴しているかのよう。

前後に自衛隊の車列に挟まれるような走行、やや異次元の世界へと来ちゃったな、との感が強まる。まるで戦場だ。

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