工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

美術展・2009回顧と、見逃せない企画

セバスチャン・サルガド アフリカ 生きとし生けるものの未来へ》は、ぜひ会場に足を運び網膜に焼き付かせて置きたい写真展だと思った。
ただこの会期は13日までという制約で、希望を叶えるに十分な余裕とは言えずダメかも知れないな。
ボクがこのセバスチャン・サルガドの手による写真をそれとして自覚したのはユニセフの資料にあったアフリカの痛ましい現状を知らせる写真資料からだったと記憶しているが、そのライカによる白黒写真が放つ特有の印象は観るものの心を強く揺さぶるものだった。
その後、図書館などで写真集を見ることで氏が現代を代表する「フォト・ドキュメンタリー写真家」であることを知らしめられることとなった。
これまでオリジナルプリントに接したことがなかったので、良い機会であるのだが‥‥。
南北の圧倒的な非対称・過酷な労働と生命の尊厳・憎悪と寛容・世界の不条理
そして写真の芸術性

今年の暦も残すところあとわずかの分量となってしまったが、写真展に限らず、いくつかの美術展へと足を運び、目と頭脳と心をリフレッシュさせてもらうことができた1年だった。
■ Arts & Clafts ウィリアム・モリスから民芸まで(東京都美術館)
■ 朝鮮王朝の絵画と日本  (静岡県立美術館)
■ ベルギー近代美術館展  (山梨県立美術館)
■ 坂倉準三展       (神奈川県立近代美術館・鎌倉)
■ 坂倉準三展       (松下電工ミュージアム)
■ パウル・クレー 東洋の夢 (静岡県立美術館)
■ ウィーン世紀末展    (日本橋高島屋)
■ ゴーギャン展      (名古屋ボストン美術館)
  《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》
■ 冷泉家・王朝の和歌守展 (東京都美術館)
  etc.
こんなリストから傾向を読み解くのは意味があるとは思えないが、12月に入って各紙誌面では各ジャンル、「2009回顧」として、注目された催しを評論家が取り上げて論評する記事が出されつつあり、興味深くチェックしている。
因みに「朝日」による美術部門では3人の評論家によるそれぞれ3つに絞った選考結果が出されていたが、上記観覧のものを上げる人はいなかった。 
その中で唯一選考が重なったのが《“文化”資源としての<炭鉱>展》というものだが、ややキワモノ的な匂いもするが、どうしてなかなか戦後日本のエネルギー資源を支えた炭鉱を「視覚芸術」として捉え、「‘文化’資源化による産炭地域の社会再生について、息の長い思考と取り組みを期待」するというのだから、決して「3丁目の夕日」のような(観たこともないくせに参照させるのだが)単に懐古的に振り返るだけではない意気込みも感じさせ、興味を持った。
27日までやっているというのだが、行けるかな?


個人的欲望としては、あまり注目されないような会場で、一人静かにお気に入りの美術品と向かい合うというようなシチュエーションが望ましいが、自分の美意識、鑑識眼だけを頼りにこれを探し当て、時間を作り、お金を掛け、実現させるのは簡単ではないだろうな。
さしあたっての欲望は「川村記念美術館」の壁面を埋め尽くす「マーク・ロスコ」か。
難渋した?村 薫の新刊『太陽を曳く馬』を読了し、いま少し理解を深めるのにもしかして有用か、などという下心を排してからにした方が良いだろうけど。
さて、話しは戻り「セバスチャン・サルガド」。
どうかとは思うけれど、印象を悪化させてしまうことを覚悟で低解像度でしかないYouTubeから「Sebastião Salgado」のスライドショーを貼り付けてみよう。
ただ、これは「Henri Cartier-Bresson」(アンリ・カルティエ=ブレッソン →マグナム・フォト[Magnum Photos]の創立者の一人)と抱き合わせのバージョン。
一時期、このマグナム・フォトにも席を置いていたセバスチャン・サルガドという両巨匠が肩を並べるのも肯けるところ。

このバージョンを選択したことについて一言。
実はこの写真展、「東京都写真美術館」でのものだが、たまたま同会場で《木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン──東洋と西洋のまなざし》という写真展も同時開催[時期が少しずれるのだが]であることと、このビデオのBGが数度このBlogでも触れたStingの「Shape Of My Heart」が使われていることも決め手の1つ。
投稿者もこの曲の演奏時間にピタリと合わせているところを見ても、意識的な編集であることが伺え個人的にはより親しみを覚える。
前半のアンリ・カルティエ=ブレッソンが、写真というものが芸術表現として社会的な関心を持たれはじめる頃の第一人者として登場したということもあるが、それらの写真がより救いと希望を与えてくれるのと対照に、セバスチャン・サルガドにのものは南米、アフリカなどに被写体を取ったということにも依るのだろうが、現代世界の病を写し取っていて凝視を迫られるものとなっている。
この両者の違いもまた20世紀の前、後半の歴史的位相の差異として印象深く見ることができ、感慨をもたらす。
なおこれはSting「Shape Of My Heart」の抒情性が強いだけによりその思いを深くする。
既にお気づきのようにジャコメッティー、ヘミングウェイが被写体になっているものもあるね
スライドショー前半がHenri Cartier-Bresson、Sebastião Salgadoは後半
Web上にはいくつものサルガドの写真サイトがあるだろうが、ここでは中でも良質と思われる次のサイトを紹介しておきたい(こちら)。
(YouTubeの方ではさほど凄惨な現場の写真は無く、意図して外したものとも思われるが、投稿者の穏便な配慮からか。この「Photography-Now」の方は一部血なまぐさいものも含まれる。なお自動でフルスクリーンになってしまうのでご注意を)
この「Photography-Now」には、他にも多くの有力な現代写真家の作品が収められている。
(salgadoのものも含めFlashのサイトだが、いずれも良好な画質で楽しめるだろう。)
* 参照
東京都写真美術館
■ アンリ・カルティエ=ブレッソン 〔Henri Cartier-Bresson〕(アンリ・カルティエ=ブレッソン財団
■ セバスチャン・サルガド〔Sebastião Salgado〕(UNICEFサイト

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