工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

“小沢昭一的こころ”に導かれて

「絆を強調 ちょっとだけ心配」

今朝、acanthogobiusさんからコメントをいただいたが、朝日新聞の記事からのものだった。
少しページをめくると、第二社会面というところになるのか、『シブトク立ち直って』というタイトルでの小沢昭一のインタビュー記事があった(インタビューというより聞き書き、かな)
以前、このBlogでも同小沢師匠の「大相撲八百長問題」に関わる持論を紹介したことがあった。
今回もまた師匠の被災地へのエールと、警句に惹かれた。

小沢昭一的こころぜひ原文にあたって欲しいと思う。
ここでは他人のBlogを借りて申し訳ないのだが、「ネパール評論」というBlogに引用があったので、ご参照いただきたい(震災後日本と小沢昭一の貧主主義

小沢師匠ならではの、芸能という切り口での東北論、とりわけ沿岸地域、港町の人々のその根っからの明るさ、開放感を自らの芝居を通した経験から振り返り、「東北というのは日本の原鄕」と位置づけている。
そして後段、いよいよ小沢師匠ならではの批評精神、希有の芸能人ならではのエスプリ(そうは思わせないところがまたすばらしいのだが)が開陳される。

先にこのBlogでも語った「ガンバレ ニッポン !」の薄気味悪さと同じ文脈で「一致協力」「絆」の強調への「心配」を糺している。
「‥若い人たちには初めての新鮮な言葉なんでしょう。いつの間にか意味がすり替わらないように、気をつけなくちゃいけませんよ。」との苦言。

小沢師匠に座布団○枚、やってください !!

芸人の力を侮ってはいけないのは言うまでもないことだが、この度の大震災へのメッセージでキラリと光る芸人の言葉にあまり接することがない。
もちろんボクのアンテナの取得ゲインが弱いだけだとは思いたいのだけれど‥‥。
東北出身の若い芸人も多いはず。自分たちの力を信じ、故郷へと届けて欲しいと思う。

芸人ではなく、小説家、劇作家の方だが、井上ひさし氏がこの大震災を前にして、どのように語ったか知りたいと思ったのはボクだけではないはず。
東北を愛し、農業を愛した劇作家だった。
小沢師匠よりも少し若いが、同じように戦後の困難を生き抜いてきた人だ。

近景2枚

夕闇迫る水面 新茶も間もなく
先ほど所用で近くの知人宅を訪ねた帰りに撮影した近郊の光景を2枚貼り付けてみる。(クリック拡大)

この辺りでは早いところでは4月初旬には田植えを終えるところもある。
ここは数日前といったところだろうか。
収穫は8月中旬あたりかな。

この度の「エスペランサ木工隊」の呼びかけに最初に応じていただいたのは関西の米農家のUさん。
その後交わしたメールでは、「今期の耕作を例年以上にしっかりやること‥‥」と自らに課す、静かな中にも力強い意志を感じさせるものだった。
被災地では日本の底力を持ってすれば産業復興は急速に起ち上がっていくものと思われるが、第一次産業はと言うと、とても懸念がある。
稲作にしても、畑作にしても、津波で洗われた土壌は塩害があり、ましてや原発被災地の農家の悲嘆は、想像を絶するものがあるだろう。

他地域の多くの農家の方々がUさんのような思いで今季の稲作に挑まれているものと思う。
完全食品としての米穀が今年も実り豊かに収穫できるよう、頭を垂れて深く祈るばかり。

またボクが日々味わっていきた鮮魚のその多くが東北の港からのもの。
来季の牡蠣はどうなってしまうのだろう。ボクの人生の楽しみが1つ奪われてしまうようで寂しく、哀しい。

新茶も間もなく収穫を迎える。
昨年は数10年ぶりとか言う遅霜で大変な被害があったようだが、今年も朝晩の冷え込みが続いているものの、霜が降りるほどではないので、良いお茶ができるだろう。
もう少しお待ちください。(いえ私がお届けするわけではなく、お買い求めいただきたいということで‥‥)

写真だが、夕方6時近くになる時間帯での撮影で、いずれも逆光。
あまり調子の良いものでは無く(腕も悪いのだが)、申し訳ない。

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • ドイツでは秋になるとオクトーバーフェスト、所謂収穫祭があちこちで
    行われます。
    ドイツ南部のシュツットガルトで参加したことがありますが、巨大な
    テントの中で大きなビールジョッキに鳥の丸焼きで、沢山の人々が
    大騒ぎをします。

    誰の言葉だったのか忘れてしまいましたが、そのオクトーバーフェストの様子を見て、ドイツ人が一つの方向に向かい始めた時のエネルギーを感じると言っている人がいました。
    つまり、第二次世界大戦に突き進んだドイツのエネルギーということです。

    日本人にも、ある意味似たような気質があるのではないかと感じることがあります。
    もちろん、そう言った気質が日本やドイツをここまでの経済大国に
    して来たと原動力でもあると思います。
    力のベクトルをどちらの方向に向けることができるか、という問題だと
    思いますが。

    • >大きなビールジョッキに鳥の丸焼き
      ですか、それはさぞ盛り上がることでしょう。

      ドイツ、日本に限らず、いわゆる1つの共同体としての社会経済的な繋がりがネイション、つまり国民国家という枠組みとして形成されてきたのが近代であったわけですよね。

      ドイツの場合はナポレオンの侵攻を機に民族共同体としての「ナショナリズム」の勃興があったということになっていますが、第一次世界大戦後、ワイマール体制を経て、ナチス政権誕生から一気にファシズムへと雪崩を打って世界を動乱の極へと運んでいってしまったわけです。

      日本も、小沢師匠が語っているように軍備の独裁と暴走により無謀きわまりない戦争へと突き進んでいったわけですが、その経緯と結果を身をもって知る師匠ならではの懸念も理解できるところです。

      ただ戦後の歴史を見たとき、ドイツの場合は徹底した非ナチ化が行われたのに対し、日本での戦争の総括は様々なところにおいて不徹底なまま、戦後再建が行われてきたようです(戦前から戦後まで、その政治経済の権力基盤はほとんど変わらず)。

      まぁ、このあたりが日本の特徴でもあり、怖いところでもあるのでしょうね。
      もちろん、その背景にはアメリカの意向(東西冷戦を背景とし、朝鮮戦争を梃子として)というものも色濃く反映しているわけですが。
      今の沖縄問題をはじめ、様々なことがこの戦後処理の過程でスタートしていますね。

      >力のベクトルをどちらの方向に向けることができるか
      まったくその通りで、この微妙なところを突いているのが、この小沢師匠の指摘なのでしょうね。

      若い方々にはぜひ近代史を紐解き、今ある自分と、日本が、どのような経緯で今に至っているのか、知る意欲を持って頂きたいものです。
      そうしたことを武器として、どれだけ自覚できるかが、分かれ道でしょうね。

      なお、一般的な愛国心、郷土愛(=パトリオティズム)というものはナショナリズムとは全く異なる概念ですので、大いに隣人を愛し、郷土を愛し、災害復興への大いなる支援は、ぜひにと思いますね。

  • こんにちは。
    今回の記事を読んで、昨日慌てて新聞を読み返しました。

    この一ヶ月半の間 被災地を思い 心を痛め 避難所の様子を見聞きしては涙し
    何か出来ることはないか、小額でもおくることはできないか、などと
    考えてきました。私のまわりは誰も同じだと思っています。
    突然溢れ出した「がんばろう 日本」「絆」「みんな一緒」という言葉も
    義援金の集まるスピードや膨らんでいく金額、被災地で活躍する人々の様子、
    明らかになる原発の実態などを 毎日少しずつ理解しながら
    素直に自分に入ってきた気がします。

    ここが何故 危うい思考になる危険性があると「心配」されるのか、
    分からないのです。
    これが近代史を理解できていない証拠なのかもしれません。

    上のartisanさんのコメントの最後に
    一般的な愛国心、郷土愛を持って 大いに隣人を愛し 郷土を愛し
    災害復興への大いなる支援は ぜひに、とありますが 今の私も含めて
    戦前の日本で、素直にそう思っていたはずの多くの人達が
    目的がすり替わったことに気付かなかった?となると
    自分も相当 危ういのかも、とは思いますが
    ただ私は、よく聞く当時の「お国の為に」という言葉の真相には
    言葉通りの「日本国の為に命を投げ出す」という意味ではなく
    ひとりひとりの故郷や家族や近しい人達の存在があったと思っています。

    オクトーバーフェスト!
    飲めない、そして貧乏な私は
    これをハズしてドイツを楽しみ、学んできました。
    負の歴史をもしっかりと背負って歩もうとする素晴らしい国だと思いました!

    • 小沢師匠の警句は、サワノさんのように若く、熱いハートを持つ人たちに向けてのものなのかな。

      限られた紙面でもあり、また聞き書きでの編集が加わっていますので、師匠の真意も伝わりにくかったかも知れないね。

      しかしサワノさんほどの知性とピュアな魂を宿していれば十分に理解できるはずのもの。
      (というより、あなたのような生真面目な方ほど危ういとも言える)

      パトリオティズム(郷土愛)とナショナリズムと言うのは隣り合わせの概念であるのは確かなものの、実は明確に弁別されねばならないものであることも、先の大戦での教訓から学習できるはずのもの。

      ぜひ戦前戦後の日本と東アジアの関係史とともに、国内の人々の暮らしと国家との関係から見えてくるエートス(心性)などの在り様を学習してみてください。

      鶴見俊輔丸山真男の労作は良い資料ですし、一昨日、最高裁で勝訴した「沖縄ノート」(大江健三郎)なども参考になります。
      若い碩学では小熊英二がお薦めです。

  • たいへん深い話の後で なんですが

    「東日本大震災・災害ボランティア」へ出発前後より帰還後の当ブログで幾度か私のことを語られていますが(好意的に)

    テレビの前でタダ政府東電に「なんでやねん」 自民党には「お前らがやった結果やろが」と突っ込みを入れてるだけの私にとってコソバユイかぎりです

    井上ひさし「コメの話」新潮文庫はある時期私のバイブルでした

    • Uさん、恐れ入ります。
      GATTウルグアイランドの議論の頃に井上ひさし氏が必死の思いで抗った本ですね。

      米作をどのように捉えるか、というのはいつも議論されるところですが、米一粒から見えてくる日本国内の経済社会と国土、さらには世界と地球に拡がって‥‥
      具体的な数値をあげながら、分かりやすく、おコメがいかに大切な日本の「文化」であるかの話しでした。

      私が小学校の頃に給食に出されたコッペパンが、最初にアメリカから供給された小麦粉からのものであることを知るのはその後長じてのものでしたが、あれは明らかにアメリカ文化への洗脳のためのものだったのでしょう。
      センセイ ! ご飯喰わせろ !! と抗うべきだったかな。
      (いつも皮のスリッパの裏で頭をコツンとやられていましたが (×_×)

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