工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

村上富朗さん、どうぞ安らかに

日本を代表するウィンザーチェアメーカー、村上富朗さんの訃報です。
享年62歳。生き急いだ人生でした。

私はあまりに遅れてきた青年でしたが、木工を志した頃、彼は既に著名なチェアーメーカーでした。
新宿小田急ハルクにおいて、他の数名の木工家のものとともに常設されていたウィンザーは異彩を放っていましたし、日本においてそうしたモノ作りの生き方があることを示唆してくれた先輩の一人でした。

その後、OZONE、九つ井などの展示会でご一緒したり、名古屋丸善・椅子展に押しかけた夜の酒席を楽しいものにしてくれたのも村上さんでした。

若き頃のフィ ラデルフィアでのウィンザーとの出合いから、その後オリジナルデザインを含め100脚の椅子を作るという宣言など、自身に課した大きな課題の困難を、いかにも楽しげに語るという風のキャラクターも、やはり彼の椅子の大らかさと繋がるものであったのかも知れません。

先の東御市文化会館での「一日だけの村上富朗木の椅子100脚展」にも小海町の会場から抜け出して観覧させていただきましたが、多くの友人、顧客らに囲まれ、余命わずかと告げられていたとも思えぬ靜かでおだやかな笑顔もまた村上さんらしく素敵なものでした。

天国に召された今、自身の揺り椅子に揺られながら、にこやかにバーボンを傾けている姿が自然と浮かんでくるのも、やはり彼ならではのものなのでしょう。

どうぞ安らかに。

Wood Worker Murakami

《関連すると思われる記事》

                   
    
  •  村上さんのご逝去、残念です。
     「100脚の椅子」は杣工房先代の「百盆展」に影響を受けての試みだと御本人にお聞きしました。雑誌「室内」や、近代美術館工芸館の展示など色々とご縁のある方でした。 ご冥福をお祈り致します。

    • たいすけさん、ご尊父はもう7回忌を迎えるのでしょうか、村上さん同様早すぎましたね。
      「現代の木工家具」への招待展示のお話しですが、お二方とも存命中で良かったと思います。

      さてところで、彼はかなりの左党(呑兵衛)でしたが、たいすけさんはほどほどに‥‥、子供たちのためにも長生きしましょう。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.