工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

クォリティーへの評価(オリジナリティーとの対比において)              ── 村上富朗さんの仕事 ──

ボクはウィンザーチェアについて特段語るべきことを持っているわけではない。
今日の考察については解釈における間違いが含まれるかもしれないが、そこは知見を持つ人からのコメントで補強していただければありがたい。

他でもない、さっさと現世からオサラバしてしまった村上富朗さんの仕事、その主軸であった彼のウィンザーチェア作りについて考察することで、ボクたちの木工への関わり方、その制作のスタンスについて考えてみたい。

この記事は、かつてこのBlogで記述を重ねた〈論考「職業としての家具作り」〉を補完するものになれば良いと思っているが、果たして‥‥。

ボクたち木工職人、あるいは「木工家」でも良いが「職業としての家具作り」に臨むにあたり、人生の選択としての「木工」というものの可能性、あるいは社会的な存在様式というものについて様々な角度から考えてきたのが、上述のBlog論考であったわけだが、村上富朗さんの仕事とそれら業績を検討することを通して、木工職人、木工家の可能性というもを考えてみたいと思う。

既にネット上でも多くの哀悼の言葉が並び、ボクもRSS取得しているいくつかのサイトの記述に触れて感じることは、その多くが彼の人柄にフォーカスを当てたものが主要なものとなっている傾向に、やはり村上さんらしさが出ているなとほっこりするとともに、また一方、モノ作り、家具制作に少しでも関わっている者であれば、彼の仕事の本質に少しでも迫るようなところからの言葉があっても良いのにな、との思いがよぎってしまったというのが正直な感想だった。

まだ四十九日も経ていない時期であればそれも当然かも知れないけれど、彼の仕事を良く知る立場の人からぜひ彼の業績についての詳細な解説と評論があれば、彼の業績もより明確に定着し、彼を慕う若い椅子づくりの方々から、広く一般に木工家具、木製椅子に関わる社会的知見も深まるのではとの思いもしてくるというものだ。

ウィンザーチェアの名手

先の訃報の時にも書いたことだが、ボクが最初に彼の椅子を見たのは1980年代中頃のことだったか、新宿の小田急ハルクの家具のフロアだったが、そこにはJ・ナカシマのものや、数名の信州の木工家のものと並んで飾ってあった。
家具制作をめざそうと志していた頃という高揚感もあり、見入ったものだった。
その時のウィンザーチェアこそ、彼のアイコンであり、生涯を貫き、ひたすら一心に作り続けていった椅子だった。

その頃のものは既に完成形であったと思われるが、これは英国、米国に広く伝わり、長い歴史の中で洗練され尽くされ、またそのことにより私たちが椅子と言えば、ウィンザーチェアを親しく想い浮かべるように、まさに椅子の1つの代名詞としての位置を歴史的に獲得してきたモノとしての親和性とともに、彼の椅子制作の豊富な研究と経験、それらをさらにまた日本の伝統的な木工技法でよりブラッシュアップされ、そのことで、容易に量産されやすいウィンザーとは対極のハンドメイドならではの作り込まれた造形美と、構造的強度、そして座りやすさの獲得があったものだろうと思う。

小田急ハルクで見た頃はただの素人でしかなかったからか、いったんロクロで挽いたスピンドルをあえて南京鉋でで削り込むという手法や、そこかしこの手鉋の削りの痕の鮮やかさ、そして座板の丁寧な彫り込みなどのディテールの集積からなる全体のフォルムの美しさに惚れ惚れとしたものだ。

ややもすれば他の多くのウィンザーチェアに埋もれてしまいかねない、誤解を怖れずに言えばありふれたフォルムではあるものの、量産品に見られる劣悪な作りであったり、フォルムのバランスの悪さや、拙劣な技法による構造的問題を抱えたままのものであったり、あるいは過度にオリジナル性を投下しようとしたためのキッチュな雰囲気であったりといった、洗練性に欠けるものなどとは対極の、究極のプロフェッショナルとしての自覚に裏付けられた高度な美質を獲得したものとしての存在感を持つものと言えるだろう。

良く知られるように、彼は椅子100脚をめざして、常にいつもオリジナルなものを産み出そうと自身に課し、また実際それを成し遂げる力量を持った作り手であった。

先の東御市文化会館での本人が立ち会った最後の個展を拝見させていただいたが、小さなスツールから大きなロッキングに至るまで100を超える大小様々に展開される椅子の数々、いずれの顔もまた作者を感じさせ、作者ならではのルーツを感じさせるものだったし、それらはSack-Backウィンザーなどの彼の代表的な椅子に収斂されていくものであるように感じたものだ。

これは私見でしか無いので、違うご意見も多く出ると思うが、やはり彼の椅子は伝統的なウィンザーチェアの村上版こそが、彼の仕事を語るにふさわしい代表的なものであったことは確かだろう。

もちろん他のオリジナルな椅子の数々も、村上さんらしく、造形的にも、仕事の品質としても、優れたものを見せていることは言うまでも無いのだが、それでもやはり伝統的なウィンザーチェアの村上版こそが彼の業績の真髄であると考えて良いと思う。(今日のテーマに即した考えに引きずり込む、やや牽強付会的な物言いになってしまっているかも知れない?)

オリジナリティー追求という消耗戦

ボクたちが木工というモノ作りの世界に没入するにあたっては、その契機も、背景も、志の方向も様々だろうと思うが、しかしどのような造形、デザインを目指すのかという点では、均しく一様に課せられるテーマであることに異論は無いと思う。

ボクもそうであることをあらかじめ表白しての記述になるが、独創性あふれるものを何としても作りたいと思い、日夜あげき、苦悶するということは、若い頃に較べれば少なくなってきてはいるものの、このオリジナリティーこそがボクたちのような木工房で家具を制作する者にとっての最大のテーマであると信じ、これを自らに課し苦闘するというのはありふれた姿だろうと思う。
特に若い世代にとっては、ある種強迫観念に近いものがあったりするのではないだろうか。

既にここまで書き及んで気づいた人もいるかも知れないが、J・クレノフ氏の著書「A Cabinetmaker’s Notebook」でもこの問題について言及されていた。

彼の場合は、木といくらも対峙せずして、過度にオリジナリティー追求に奔走しがちな若者たちを強く戒めている。
木材を愛し、渾身の力を投入し、謙虚さと喜びとをを持って制作し、調和の取れた靜かな作品が作られる、とするJ・クレノフの境地は、現代世界における工芸の在り方にとり、かなり異質なものかも知れない。

確かに多くの人を惹き付けるだけの強いメッセージを発する独創性があるとも思えぬ彼のキャビネットだが、しかし真に工芸的内実というものを理解し、あるいは社会の喧噪から一歩下がり、人生というものを深いところで生きていこうと〈真・善・美〉への信頼を託す人には静かに深く訴える力を持っているものだ。

J・クレノフ氏の場合は、特に木という素材の持つ力への信頼と、それを引き出すことの大きな美的、工芸的価値を内在する主張だと思われるが、その真髄まで到達できないまでも、言わんとすることは理解したいと思う。

さてこうした文脈から考えた時、村上富朗さんの家具づくりにおける姿勢もまた、これに繋がる文脈で読み解くことができるのではないだろうか。
つまり、椅子の伝統的アイコンの1つであるウィンザーチェアに徹底的に取り組み、工芸的品質によって、今を生きる家具工芸家のあり得べき姿の1つを指し示してくれたのではないのだろうかと。

言い換えれば普遍性が持つ力への信頼と言っても良いだろう。

日本という木工芸、木工文化の土壌、いや一億拝金主義がまかり通るような社会にあって、J・クレノフ的な存在様式は、はっきりいってとても困難な在り様だと思う。
むしろそうではない対極のところからアプローチしている木工家が成功者であったりすることはよくある話しだ。

近年、上述したJ・クレノフ氏の著書「A Cabinetmaker’s Notebook」の翻訳本が刊行されたことは、このBlogでも何度か触れてきたところだが、訳者に聞けば、その販売された数はとてもペイするほどの冊数には届かないものであったようだ(日本語での翻訳という制約は当然差し引いても、)。

しょせん日本という国にあっては高品質ですばらしいキャビネットなど、まっく関心が無いに近いものと、嘆くのは簡単だが、一方で村上富朗さんのようなすばらしい人生を歩むことができたことを考えれば、希望というものを捨てずに、日々、静かに弛まなく、木と向かい合い、真摯に取り組むという在り様にも可能性が見えてくるのでは無いだろうか。
これは決して椅子というジャンルに限るものでは無く、キャビネットメーカーにだって同質のことが言えるだろう。

ここでは村上富朗さんの家具づくりにおける戦略、戦術ということにはあえて触れなかったが、もちろんそうした領域での努力があっただろうことも疑いない。
それはまた個人的な繋がりの中で語る機会があれば、ということで。

恐らく今後、彼と親しく交流してきた多くの方から、こうした領域の話しやら、論考もでてくるかもしれないので、さほど親しく接してきたわけでもないボクのこうしたBlog記述は門外漢で場違いなものかもしれない。
そうであればコメントなどで指摘していただければありがたい。

村上富朗さんにはあらためてご冥福をお祈りします。

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • はじめまして。
    村上さんのことをほとんど知らない自分には、興味深い内容でした。オリジナリティについては、とにかく良い家具を追求していくと、結局同じようなところに行き着くのでは?などと考えていたところで、ひとつの考え方として参考になりました。

    まだ全部は読めていないですが「職業としての家具作り」など、木工関係の参考になるお話、あまり関係ないですがMacやWordpressなど自分の趣味と重なる記事、ありがとうございます!
    過去記事も含めこれからじっくり読ませて頂こうと思っています。

  • こんにちは。
    木工に関する論考・Tipsなどとても興味深く読ませて頂いてます。木工家具で仕事をしようと考えている僕にとっては、大変参考になる記事ばかりです。
    ありがとうございます!
    (一回コメント送信したのですが、送れなかったようなのでもう一度)

    • motorajiさん、ようこそ、はじめまして。
      まずはじめに‥‥、このBlogのコメントポリシーですが、初投稿に限って承認制を取っています。
      このように1度承認・表示されますと、今後は投稿、即表示されますのでご安心ください。

      貴Webサイト拝見させていただきました。
      お若い方のようですが、良い木工をされていらっしゃるように感じ入りました。

      こちらは長く弛まずやっているだけが取り柄のBlogですが、どうかご贔屓に。
      旧いエントリについては、既に忘れ去っていることも多いものですが(苦笑)、気になった記事がもしあればお気軽にコメントいただき、呆けつつある頭脳を覚醒させてやってください。

      >MacやWordpressなど自分の趣味と重なる記事
      WPに関しては、どう見ましてもあなたの方が使いこなされているようですので、師事を仰ぐのは、逆転してこちらかも知れませんね。

      工房セットアップ、これからのようですが、楽しみです。
      ぜひがんばってください。

  • 重複コメントとなってっしまい申し訳ありませんでした。

    >お若い方のようですが、良い木工をされていらっしゃるように感じ入りました。
    御覧いただきありがとうございます!
    まだまだ、悩みつつ、楽しいような、辛いような気持ちで作っていますが、いろんな方のお話を聞いたり、読んだりして、少しづつ成長していきたいと思っています。

  •  クレノフ氏の言葉を逆から解けば、「木と真摯に向き合い付き合えば、何をどのような形で作ればいいかは自ずから判って来る」といったところでしょうか、その中で、技術やアイコンが自然に生まれてくるのは理想的だと僕も思います。
     村上さんをよくは存じ上げないのですが、artisanが村上さんに対して抱くリスペクトはよく判る気がします。数を作ることの大切さは時間の経過とともに自分自身に大きくのしかかってきますね。
     クレノフ氏の著書に対する反応が薄いことは想像するに難しく無かったことですが、幾冊か買い求め、幾人かに渡した反応も同じくで、本当に寂しい思いがします。
     

    • たいすけさんの冒頭の解釈は、その通りだと思いますね。
      木と対峙し、あるいは制作途上の家具をためつすがめつ立ち尽くす彼の姿は印象的です。

      >数を作ることの大切さ
      家具作家、木工作家、などと言う前に、日々仕事に打ち込み、熟練したワザを身につけ、誠実に木に向かうことがまず必要なのでしょうね。

      日本でのクレノフ氏の著書への関心の低さですが、いろんな側面から考えることができるように思います。
      その1つには、英文の著書(翻訳も含め)という言語のハードルがまずありますし、さらにまた、発刊された時期、つまり時代の精神ということも無視できないように思いますね。
      どういうことかと言いますと、たいすけさんが小さな頃のことですのでピンと来ないかも知れませんが、発刊を前後して全米を巡った講演は、まるでロックコンサートのようだった(彼自身の比喩)と振り返っているように、70年代という時代の転換点(ベトナム戦争を背景とした)にピタリと填まっていた、ということも上げられるのでしょうね。

      本件Blogでも、やや挑発的な書き方をした積もりですが、いつもと同じようにコメントは極小に留まるでしょう。
      時代は冷え切っているかのようです。
      シニシズム、アパシー、自己愛(自己抑圧)、関心領域の狭隘化 ‥‥、

  •  クレノフ氏の著書の発行時期についてはあまり考えていませんでした、なるほどですねぇ。 
     しかしながら、そういった背景にあるものを考慮した上で考えてみても、もう少し、興味だけでも持つひとはいないのか、何かで、アカデミックな環境でもいいから、取り上げる手はないのか、疑問を通り越して愕然とした思いです。
     artisanの最後に並べられた言葉の中の「自己愛」がイタイですね、思い当たるフシがあり過ぎです。
     

    • >発行時期
      クレノフ没直後のNYTの訃報の中で“a pre-Kerouac hippie,”という表現が視られますが、70年代という熱い時代を背景に米国で迎え入れられたクレノフ氏その人もまた戦後アメリカ社会でのカウンターカルチャーの洗礼を受けた人だったようです(弊Blog参照)。

      村上さんなども、熱かった米国社会のあの頃と同時代に木工を始めていることも、彼の木工人生を考えるとき決して無関係では無いように思いますね。

      >何かで、アカデミックな環境でもいいから、取り上げる手はないのか
      「日本デザイン学会」では、関連する研究報告があります。(あまり一般の眼には触れられませんが)

      美術専門校では、関心のある教員が取り上げる、という程度でしょうか。(良くは分かりませんが、両手の数ほどにはいないかもしれませんね)

  •  カウンター・カルチャー、またはそれ以前、その流れが少し遅れて日本にも到着していた頃の「木工」というものを少し思い出した気がします(幼い、拙い記憶が手掛かりですが、、)。
     当時、大勢の木工を志す方が工房を訪れていました、杣工房先代の彼らへの対応もそれぞれでしたが、今のartisanより若かったですが、同じような姿勢を持っていたように感じます。
     日本に入りたてのアメリカンカジュアルに身を包んだ当時の若い人達と、エコ、デザインを語る今の若い人達、明らかに現在の方が元気が無いですね。
     ジェームス・クレノフを「過去のもの」とするには、現在は余りに未熟です。

    • >当時、大勢の木工を志す方が工房を訪れていました
      私もそのうちの1人だったのかも。

      >明らかに現在の方が元気が無いですね。
      あまり世代論として捉えることはしたくないですし、時代がこのような成熟社会になり、さらにまた3.11以後を抱えてしまい、気の毒なほど。
      ただ、こういう時代だからこそ、若い人も“来し方”、歴史というものに向き合い、現在というものの依って立つところを考えて見ることは、した方が良いでしょうね。

      今の若い方々は、頑迷さも無く、些末なことに拘泥しないところが良いですね。
      他者への想像力を涵養し、大局を見る目を養うことでさらに良くなるでしょうね。
      個人的には、とても期待していますよ。ホントに‥‥
      たいすけさんのようなステキな若者がいるじゃないですか。

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