工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

牛タン「利久」の口福

「利久」の炭焼き牛タン定食 by iPhone 4

画像は仙台市内「利久」の「炭焼き牛タン定食」[1]
この食事の後、酒席を供にさせていただいた仙台の人に伺えば、地元の人はあまり好んで食べに来るところでは無いのだとか。
なるほど、そういうものかとヘンに納得したのだけれど、でもこの牛タンのふくよかなボリュームと、炭火でミディアムレアに焼かれた滋味に、偽りの無い肉牛の特異な部位における特異な旨さを再確認させられたものだった。

これまで仙台は東北新幹線で通過するだけで、車内販売での牛タン弁当で欲望を抑えてきたのだったが、もちろんそんなものと比較できるものでもなければ、あるいは新宿へ出向けば、3度に1度は暖簾をくぐった「新宿ねぎし」のまずまず真っ当と思われるあの牛タンとも異なる、やはり仙台・利久の牛タンならではのものであることも確かだった。

この肉は○▽のもの(福島県下の地名)じゃないよね、まさか‥‥、などといった問いかけをするほどに野暮じゃ無いよ、ボクは。
どこの肉だって、旨いモノは旨い。
小出先生の提言ではないけれど、例え若い人、子供には口にしてはいけない放射線に汚染された食材であっても、ボクのような年齢ともなれば構わんだろ。
(断っておくが、利久の肉が汚染されているなどとは一言も言っているわけでは無い。厳選されたものを提供している。
要するに食を提供される側の振る舞いのことであり、放射線汚染状況下にある食生活に大人がどのように立ち向かうか、という一般的な考え方について述べているに過ぎない)

酒席を供にした人もまた食への欲望の強い人で、東北の食材を大いに楽しめたわけだが、この度の放射線汚染をめぐり、日本の食文化に傷が付くのは許しがたいし、汚染の問題はとても深刻ではあるのだけれど、これにへこたれて日本の食文化の一部が縮小し、劣化させていくこともあってはならないと思う。
これは生産者の側の自覚の問題であると同時に、消費者、食を愛する全ての人の自覚に関わる問題だろう。

愛だ。食への愛情を注ぎ込み、この困難を打ち破って豊かな食文化を次の世代へと引き継いでいかねばならんだろ。

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❖ 脚注
  1. 炭焼き牛タン定食:炭焼き牛タン、テールスープ、高菜、麦飯。
    画像のパンプキンスープはビールの付きだし??、
    他に牛タンの佃煮が付いた []
                   
    

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