工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

「知るを楽しむ:グレングールド」(NHK教育)

NHK教育「知るを楽しむ:グレングールド」はこれまで2回にわたって放映されてきたが、明日火曜日の放送を含めこの後2回シリーズは続く。
ところでクラシックのピアノ演奏家として、これほどまでに様々な形、つまり評伝、ドキュメンタリー映画、文学、エッセーなどの媒体、様式で取り上げられる人は他にいただろうか。しかも亡くなって四半世紀の時間が経過するというのに未だになお‥‥‥。
ボクは文学も映画も好きだが、日本文学といえばやはり漱石かなと思うのだが、グレン・グールドの枕元には『草枕』が置かれていたこととか、映画『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターの愛聴盤が「ゴルトベルク変奏曲」であるとか、彼を巡っては演奏の特徴を評すことば以上にその特異な属性、キャラクターのものめずらしさとともに、とても思弁的でかつ論理的思考を好み、一般的な芸術家肌の演奏家とはかなり様相を異にする人物であったなどど言うように、こうしたエピソードには事欠かない
そうした属性も含めた人間的魅力の虜になってしまった人は多いのではないか。
レクター博士などという仮想の猟奇的人物を借りなくとも、多くの著名人が愛聴していることなどわざわざその名を上げる必要も無いほどありふれたこと。
しかしどうしてここまで魅了されてしまうのだろうか。
魅了されるのはそうしたエピソードが示す特異な人物だからと誤解されると困るのだが、クラシックの音源の売り上げのランキングがどうなっているのかは調べねば判らないが、バッハのピアノ演奏家として限ってみれば、恐らくダントツにこのグレン・グールドが圧倒しているのではないだろうか。
バッハの鍵盤楽器の曲は時代的に本来であればオルガン、チェンバロで演奏するということになるが、この常識というものとらわれず、ピアノという近代の楽器でバッハの演奏というものを再定義したのがグレン・グールドと言っても良いのかも知れない。
そうしたグレン・グールドの魅力の深淵にあるものを解読しようというのがこの番組のテーマであろう。
これまで、
第1回/伝説の誕生、第2回/〝コンサートは死んだ〟と進んできているが、番組は宮澤淳一氏(青学準教授)が進行役を務め、随所に日本で最初にグールドを高く評した吉田秀和氏のインタビューをはさみ、時折坂本龍一も顔を出す(学生時代の教授も、その演奏法に影響を受けたと自認している)という構成。
明日第3回目は「逆説のロマンティスト」、そして最後は「最後のゴールドベルク」という予定。


番組ではこれまで見たことのない映像も含め、ファンとしては見逃せないシーンも多くある。
グールドに関する録音、映像、映画は音楽家としては格段に豊富に出回っているし、10年ほど昔だったか、カナダ国営放送による貴重な映像のアーカイブがNHK総合TVで深夜数回にわたって放映され、VHSに録画したものも再生できるので未見のものはないのかと思ったら、存外予測を裏切る貴重なものもあった。
残りの2回の放送を楽しむとしよう。
ところでグレン・グールドの演奏をそれとして意識して聴いたのは高校生の頃。
この頃は洋楽と言えばビートルズが世界的に席巻していた頃だが、ボクも少ない小遣いをやり繰りしてシングル盤を買ったり、友人と貸し合ったりと、そのポップス革命児の演奏に浸っていたのだったが、一方では中学の頃から楽しんできたクラシックへの傾斜も冷めることもなく、バッハ、モーツアルト、ベートーヴェンを中心に楽しんでいたものだった。
高校に進学してからと言うものは後輩のガールフレンドが、かなりのクラシック通ということもあり、これにより、よりクラシック好きが高じたという要素もあった(不純だな)。
グレン・グールドの演奏に関してはその頃はちょっと風変わりな演奏家といった程度の認識しかなかったが、高校を出て就職した職場の年上の同期の人にピアノの手ほどきを少しだけ受けるという機会をきっかけに、大きく傾斜していった。
ピアノの方はたまたま職場の隣が大講堂で、そこにアップライトピアノがおいてあり戯れに弾いていたところ、京都大学理科から入社してきた人がかなりの腕前でこの人から手ほどきを受けたのがきっかけ。
しかしボクは2年ほどで転勤になり、そのメソッドもバイエル、ツェルニーの中程で停まったままになってしまった。
しかし彼からは寮が同じと言うことで、当時急速に普及し始めたオーディオ装置を通し、毎晩のようにこのグレン・グールドをはじめ、様々なクラシック音楽に触れさせてもらったことは、その後の人生に彩りを添えるものとして、今に繋がっている。
赴任したところが長野の山あいであったこともあり、週末には職場の仲間と山登りを楽しんだり、普段は寮の自室で自慢のステレオ装置を鳴らしながら、古典文学を読み進めるなど、それなりに内面を鍛えることができたように思う。
人が生きていく上で欠かせない“真善美”というものを求めるのがこうした青年期であるとすれば、ボクの場合音楽世界でこれを体現させてくれたひとりがグールドであったことも確かなことだった。
しかしこの頃はグールドの演奏の映像など入手できるわけもなく、レコードだけだったことがむしろ幸いしたかも知れない。
この下に貼り付けるYouTubeなどの映像は、彼の特異な演奏法の一部を見ることができるが、果たしてそれは鑑賞者にとって本当に幸せなことであるかは留保せざるを得ない。
あの特異な猫背の姿勢を保つ演奏用の椅子のS.Hは35cmというあまりの低さに眼がいくのは、椅子制作者としては仕方ないとしても‥‥、
しかしやはりそんな属性に目を奪われることなく、彼の手が紡ぎ出す音楽への捧げものとしての一音、一音にこそ耳を傾けてもらいたいと思う。
彼が32歳にしてコンサート活動から引退し、ひたすらスタジオ録音にその表現の場を封じ込めてしまったことの意味をあらためて考えてみれば、やはり正統に向かい合う方法とはYouTubeなどに目を奪われるのでなく、良い再生装置でCD音源に耳をそばたてることなのであろう。
ゴルトベルク変奏曲

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  • 今日もありますね
    tbします

  • 番組、堪能させていただきました。
    20を越えるテイクをつぎはぎ。
    生演奏を至上のものとされたクラシック界にあって、全く新しいテクノロジー時代の寵児ですね。
    現在では、他の演奏家はどのような録音方式を取っているのか、興味深いところです。
    TBうまくいかないようですね。

  • ご無沙汰しています。グレン・グールドの画像を検索していたら、ここがトップで出ました。グールドといえば椅子ですし、ご縁を感じます。

  • 多田さんですね。本当にご無沙汰しています。
    納品させていただいた後もお会いすることはありましたが、グールドのことも含め、音楽のお話しはなかったように思います。
    でもこうしてグールドの話題で再会できることはうれしいものです。
    番組は昨夜の回で終了してしまい寂しいものですが、この4回はグールドにさらに少し接近できたように感じられてうれしく思います。
    Blog訪問ありがとうございました。
    今後もコメントいただけるとありがたいですね。

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