工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

100歳の流儀(新藤兼人さんを悼む)


旬日を経ずして、またもや戦後日本の知性を代表する、今度は映画人の訃報である。

吉田秀和氏 没98歳に対し、新藤兼人氏の場合、100歳である。

古木が朽ち果てるるように‥‥、という表現が似つかわしい超高齢での死去のように思われるが、ボクの思いは、それとは少しニュアンスが違っている。

80代以降、これが最後の映画作品だと自分に言い聞かせるように語っていたものだが、誰も信じちゃいやしなかった。
晩年になっても、その創作意欲は衰えを知らず、制作本数も、若い頃と較べても何ら遜色ないほどのペースで新作を世に問い、それぞれがまた感銘を与え、興業的にも成功を収めていたことを見れば、この後も永遠に撮り続けるマエストロなのか、とも思えたものだった。

同時にまた、作品の通奏低音の如くに流れている人間の業、あるいはなまめかしさ、奔放な性愛などの表現を最後まで失うこと無く貫いたその姿は、“枯れる”とはほど遠い、人の生身の世界を描く若々しい映画人だったように思う。(殿山泰治という個性派役者がキャスティングに欠かせなかったのもここにあるか)

25年ほど前だったか、何かの新作を受けてのインタビューの映像では、広島弁丸出しで、何を言っているかさっぱり分からなかったり、パートナー(後に入籍)の乙羽信子のことを乙羽さんと、さん付けで呼ぶあたりが印象的だったが、そんなことはどうでも良いことなのだが(いや、興味深いエピソードではあるけどね)、戦中から戦後の日本社会の周縁、あるいは底辺で生き抜く人々をまるごと活写しようとメガフォンを握り続けた監督だったように思う。

またそうした作品に貫かれるのが、人間社会への賛歌であり、希望であったことも確かだろう。
これは戦後日本そのものが希望に満ちたものであったことと相即していたとも言える。

ボクが観ている映画は以下のようにほんの一部でしか無いけれど、いずれも印象深い新藤兼人節で貫かれていた。

  • 『愛妻物語』 (1951・キネ旬10位)
  • 『第五福竜丸』 (1959・キネ旬8位)
  • 『裸の島』(1960・モスクワ国際映画祭グランプリ他受賞多数)
  • 『裸の十九才』(1970・モスクワ国際映画祭金賞、キネ旬10位)
  • 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975)
  • 『竹山ひとり旅』(1977・モスクワ国際映画祭監督賞・ソ連美術家同盟賞
    キネ旬2位)
  • 『北斎漫画』(1981・キネ旬8位)
  • 『濹東綺譚』 (1992・キネ旬9位)
  • 『午後の遺言状』(1995・モスクワ国際映画祭ロシア批評家賞、キネ旬1位)
  • 『一枚のハガキ』(2011・東京国際映画祭審査員特別賞、キネ旬1位)

人によっては新藤兼人氏のことをアルチザンとも呼んでいたようだが、これは自分がメガフォンを取る作品だけでは無く、多くの優れた脚本を遺したシナリオライターでもあったことを指している。
まずはメガフォンの前に“本”ありき、ということである。

あらためてそのリストを確認すると「けんかえれじい」(鈴木清順監督)も、そうだったというので、これにはちょっと微笑ましく思えてきたものだ。(この物言いを理解していただけるのは私の世代までか)

長い映画人生、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

※ 脚本リスト(主要作品から)
『氷壁』(1958・井上靖原作、増村保造:監督)、『座頭市海を渡る』(池広一夫:監督)、『華岡青洲の妻』(有吉佐和子原作、増村保造:監督)、『事件』(大岡昇平原作、野村芳太郎:監督)、『ハチ公物語』(神山征二郎:監督)、『完全なる飼育』(和田勉:監督)、『大河の一滴』(五木寛之原作、神山征二郎:監督)、『HACHI 約束の犬』(ラッセ・ハルストレム:監督) etc


〈余談〉
昨日30日の NHK 「クロースアップ現代」では映画館の廃業が相次いでおり、その主たる原因、フィルムからデジタルメディアに急速に切り替わっていることの問題を取り上げていた。

新藤兼人監督の『一枚のハガキ』(2011)でさえ、デジタル機材での撮影であることがメイキングビデオで分かった。
以前は35mmフィルムと、テレビカメラの映像の差は天地のさほどあったと、ボクは感じていた。
TVのそれはベタッと平板なものであり、フィルムのそれは色の深み、階調の豊かさ、暖かさがありTV映像とは似て非なるモノだった。

しかし『一枚のハガキ』を観た限りでは、デジタル撮影も今やフィルムの表現力に急速に迫ってきていると感じ入った。

メディアのコスト、編集の容易さからして、フィルムからデジタルへの移行は抑止しようが無いだろう。
問題はしたがって配給の在り方、そして映画人の意識のありよう、同時に映画ファンの鑑識眼であり、映画を愛する熱量ということになる。
映画を観ましょう !

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