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脱原発から野田政権退陣要求へと質的転換した人々の怒り

大飯原発前、1日早朝から繰り広げられた「再稼働やめろ」抗議集会は終日休むこと無く延々と繰り広げられ、あいつら、あのままぶっ倒れちゃうんじゃないか、とばかり、それは今朝未明まで続けられていた。
雨中、バギーカーを押し駆けつけた若いママ、プラカードを重そうに掲げる、就学前としか見えない気丈な子たち、まさに老若男女が枯れそうになる声を振り絞り、怒りをぶつけていた。

ボクはIWJのUSTREAMを視ていただけだったが、彼らにはホントに頭が下がる思いと、無力さと、野田政権、関電への怒りとで、胸が張り裂けそうだった。

10万人を超える29日の官邸包囲デモに先立ち、この集会・デモの主催者の一人である「素人の乱」による記者会見の模様がupされているので、以下に貼り付ける。

同時に、今回は声明文が出されており、この内容もぜひご覧いただきたい。
起草者は柄谷行人氏。
ここでは感想めいた記述は遠慮したいが、
先の本Blog投稿にもあるように、6月8日の野田首相による記者会見の内容は、明らかに市民の怒りに火を付けてしまったということ。

「脱原発」への市民レベルでの広汎な合意形成の潮流を、ちゃぶ台返しのごとくにひっくり返してしまった。(= 3.11以前に戻してしまった)
というより、さらに悪いことには、原発は安全保障と深く関わることであるので、再稼働する、という論理的飛躍 [ではなく、本心であるわけだが](原発 = 核武装)を含むものだったことへの怒りが、45,000人 → 15万人 の怒りの集結となった、ということ。

※ 参照
野田退陣要求デモ記者会見における、柄谷行人氏の談話草稿

【7.1新宿原発やめろ!!!!!デモ記者会見】2012/06/29


Video streaming by Ustream

記者会見、登壇者は以下。
松本哉、柄谷行人、雨宮処凛、鶴見済、橋本美香、大熊ワタル

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  •  デモの声を「大きい音」とは、、、、、タメイキ、、、、。

    • つまり、日本国憲法において市民に与えられた尊重すべき権利行使の1つである、“デモ”(集会・結社の自由)への社会的認知が十分ではない、ということ?

      それもまた、いかにも日本的な風土、気質(≒エートス)なのかも知れないね。

    • たいすけさん、ちょっと的外れなレスを付けてしまったかも知れません。

      野田首相がSPに漏らしたという、デモへのコメントのことですね。
      日本のTopであれば、“音”では無く、声をきちんと聴け ! ということですね。

  • 脱原発を掲げて作られようとしている「小沢新党」を
    素直に応援できないところが辛いところです。
    彼ら(とまとめて扱うには無理があるかもしれないが)の
    真意がどこにあるのか、まだ良く分からない。

    • >「小沢新党」を素直に応援できない
      そうした人は多いでしょうね。

      一方、ことここに至ってもなお、メディアによる〈野田降ろし〉が起きないのが不思議で仕方が無いです。
      (というか、あまりにもその差配は“財界寄り”、“既得権益側”、という姿勢が浮き彫りに)
      思い返せば、メディアによる、鳩山降ろし、菅降ろしのすさまじさと好対照。

      つまり、09年、民主党マニフェストにはメディアも市民も歓呼の声を上げて迎えたのに、
      それを貫こうとする小沢一派にはあくまでも冷淡きわまる接遇。
      このメディア、TV芸者(=お茶の間の評論家ども)のミスリードには反吐が出ます。

      (私は小沢氏の政治手法、理念には賛同できないことも多いですが、
      現在進行中の「政局」とやらでは、その理があるのは、明らかに野田首相の側ではありませんね)
      現政権は、たぶん史上最悪です。

  • うーん、マニフェストを貫こうと彼は言葉では言っていますが
    それは本当なのだろうか、とも思ってしまいます。
    私もメディアに影響されやすい方かもしれませんが(笑)あの
    マニフェストが実現できると彼は本当に思っていたのだろうか?
    実現できないことは、彼が一番良く分かっていたのではないか
    とすら思うのです。
    最近の彼の言動は、「何にでも反対すること」が目的のように見えます。

    • 複数の世論調査により、脱原発の方向性というものが3.11後における潮流となり、
      一時は野田政権もそれを受ける形で脱原発へ向けて踏み出したわけです。
      しかし06/08の記者会見では、それをひっくり返し、「国民の生活」のために「再稼働」
      という詐術を用いた。

      その視線の先にあるのは福島の原発被災者の姿では無く、
      財界であり、原発ムラであり、エスタブリッシュメントであり、
      アメリカでしかないことをはっきりと示してしまった。
      とても罪深い。

      消費税増税も同様。
      マニフェストに無いことはやらない、と野田氏も選挙戦の渦中で訴えていたことがYouTubeで流れていますが、その実、ケツをまくり、真逆のことをしている。(財務官僚に完全に籠絡されてしまった)
      (「消費税増税」がいかに不公平税制を促進させるもの(金持ち優遇、格差拡大)かは数回前のエントリでも示しました)

      上に述べたように小沢氏は、そうした政権交代時における選挙民との契約(マニフェスト)を反故にするばかりか、真逆のことをしていることへの批判を明確にし、執行部に突きつけ、受け入れる余地が無いとして、離党したわけでしょう。

      今回の訴えの中で、
      3党合意という大連立(翼賛体制)は、選挙民への選択肢を奪うことになる、
      という文言がありますが、全くその通り。
      つまり総与党体制の危険性(民主主義制度の劣化、停滞、崩壊に繋がるという)を指摘しているわけです。

      こうした一連の流れ視るには、ワイドショー的メディアの政局分析から一歩出て、
      底に流れる、権力者(親米勢力でもあるわけですが)の意図を見抜く必要があります。
      彼らにとって都合が悪いのが小沢でしょ。

      恐らく現政権が続く限り、ポスト3.11の日本は立ち直れないほどに低落してしまう。
      選挙民はいよいよ政治への嫌悪感が高まり、何も期待できなくなってしまう。

      これを09年政権交代時における希望を取り戻すための、再構築へ向けて何ができるのか、
      選挙民としても考えていきたいものです。
      「任せる政治」では、もはや何も変わらない、自分たちで「担う」ところへと踏み出さねばならないのでは?
      シニカルに視るだけでは無く、自分たち自身の問題として捉えることの重要性を考えていきたいものです。

      私も政治家は結局は“人”であると思うのですが、
      ここ数年の小沢への司法サイドにおける吊し上げ(証拠でっち上げなど不法で腐敗しきった検察の実態が暴かれている)、政権中枢からの冷遇、
      あるいは朝日新聞などのメディアによる徹底的なパッシングを視るとき、
      あまりの権力者寄りの姿勢、平衡を欠いた論評によって、覚醒させられたわけですね。

      政治を語るには、表層をなぞるだけではなく、
      その背景にある時代潮流、歴史の流れ、世界における日本の立ち位置(特に米国との関係性、さらにはアジアとの関係)など、
      時には深く考えないと流されてしまいますね。(定見を持つことの難しさ)

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