工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

五輪の暑い夏


昨深夜の日本列島、歓喜の声がとどろき渡ったはず。

英国グラスゴー、ハムデン・パークでの男子サッカー1次リーグの試合。
W杯チャンピオンスペインを相手に互角に渡り合い(ボール支配率は35%だったが)、最小得点差ながらも若き日本の雄士たちは勝利を収めてしまった。(AFP BB News

下馬評をことごとくけちらし、サッカー史に新たな1ページを書き加えたというべきか。
ロンドン五輪、開会式前の序盤戦で女子サッカーの対カナダ戦勝利に次ぐ快挙だ。

明日未明の開会式からいよいよ各会場で熱戦が繰り広げられる。
この炎暑が続く日本列島、加えて間もなく始まる甲子園での高校野球、そしてこの五輪祝祭空間でいよいよヒートアップしていく。

スポーツ祭典のみどころ・英国開催の意味

ロンドン五輪大会の見どころは個々様々だろうと思うが、ボクが注目したいのは、個別競技への関心はともかくも、何よりも近代スポーツの発祥の地がこの英国にあるということにある。

もちろんクーベルタン男爵による近代オリンピックの第1回が、古代オリンピック開催の地、ギリシャのアテネ、ゼウスの神殿があるオリンポスであったことは良く知られている事柄だが、その歴史的、文化的背景を考えた時、近代スポーツの国際的普及において最も貢献したであろう、その発祥の地・英国での開催ということは、あまりメディアも触れていない事柄であるにしてもきちんと位置づけておきたい。

ボク個人が関心を寄せる競技種目はいくつかある。
何と言っても五輪競技の華とも言うべき陸上100m。ウサイン・ボルトがフライングせずに本来の力を発揮することができ、人類のランニングの記録を塗り替えることができるか、といったところ。
無論、他にもいくつかあるが、それなりに楽しむことはできるだろう。

ただ“それなりに”という留保には、五輪を巡る周囲の環境、あるいはメディアの報じ方などに強い懸念とギモンを持つからだ。
いわば、苦々しい顔つきで、片目をつぶってみやる、といった風である。

メディア報道は冷ややかに片眼でみやる

まずメディアの報じ方から少し触れていきたいと思う。
開会式を前にした男女サッカーの1次リーグでのそれぞれの快挙ということもあるためなのだろうが、NHKニュースの枠に五輪報道が大きくせり出してきていることへのいらだちがある。
メインニュースのTopに五輪報道が延々と繰り広げられる。

別枠特集で扱うのは勝手にすれば良いのだが、通常のニュース枠に大きく食い込み、削がれているというのは、あまりにも平衡に欠けた編集、構成と言うべきだろう。
これが8月中旬まで延々と繰り広げられることを考えると、嫌気が差すこと請け合いだ。
こうしていよいよニュース情報源は既存メデイァからネットへとシフトせざるを得なくする。

これを異様と見做すか、いやいや、それでいいんだ、という見方で、恐らくは五輪へ向かう視聴者の意識も計れる。

それとともに悩ましいのが、報ずる対象、あるいは報じ方における、ナショナリスティックな視座への懸念だ。
五輪は確かに国民国家としてチームが組まれることが基本ではある。団体競技ではこれを基準とせざるを得ないからだが、しかし個人競技種目などは、その個人の力と、パフォーマンスの美しさ、肉体の美にこそ栄誉が与えられるべきで、背景にある属性としての出自を過度に浮き彫りにするのは如何なものか。

例えばいまだ80年代の血で血を争うバルカン諸国の紛争国からは、国籍を換えることで出場を果たさざるを得なかった選手もいれば、表彰台で自国への抗議を示すことでアイデンティティーを確認するしかなかった選手もいるわけで、あらためて五輪憲章を考えるところから、各競技を楽しむようにしたいと思う。

今日の朝日新聞のオピニオン覧には、親日のジャーナリスト、ロバート・ホワイティングさんの「他国選手の活躍に敬意を」とタイトルされたインタビューがきているが、いちいち肯きながら読ませてもらった。
真の意味でスポーツを楽しむことは決して難しいことではなく、ホモ・サピエンス、ヒトの人体が発する力、あるいは美、パフォーマンス、チームとして発揮する総合力、そうした根源的なパワーと美しさを称え、ともに喜ぶという視点で楽しむことで、つまらぬ属性を超えたところでの歓喜が待っているのだろうと思う。

長い読者であれば、五輪の度に、あるいはFIFA国際大会のたびに、実は同じようなことを語ってきているわけだが、メディアの編集への視点、報じ方を見る限りでは、いよいよ偏狭な視座にこり固まっていく傾向が見られ、大いに懸念しているところだ。

時には五輪精神を想起しつつ

五輪は「平和の象徴」として子どもたちにも教えられ、また開催の度にそのようなキャンペーンも張られる。
しかしご存じの方も多いと思うが、メイン会場を含め、会場周囲には英国軍がミサイルを配備されるなど、その標語とは似つかわしくない現実に支配されていることも知っておきたいものだ。

五輪開会中には国際紛争は一旦停止するという了解事項など、政権崩壊間近と言われるシリアなど中東諸国などは我関せずの事柄であるだろうし、世界は狭くなってきているものの、いよいよ五輪の精神は踏みにじられていくのだろうかという苦々しさは増すばかりだ。

最後にIOC(国際五輪委員会)制作によるプロモートビデオを貼り付けておこう。
五輪を取り巻く周囲の事柄なども視線の隅におきつつ、各競技を大いに楽しみんでいきたいものだ。

※ 参照
adobe readerアイコンオリンピック憲章 2.3MB

※ 過去記事
北京五輪の憂鬱
北京からの風
バンクーバー五輪の楽しみ方(Sustainability)
Kazuクン、君は立派にやり遂げた(孤高のスノーボーダーへ)
バンクーバー冬季五輪大会を終え(メディアから考えた)
■旧サイトから
スポーツの祭典の楽しみ方
IOC

IOC[Muse-Survival]
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=66molzUEkWI[/youtube]

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