工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

われらが日本という国の不思議さ(衆院選を終え・・・)その2

(承前)
どうして、こうした事態に陥ってしまっているのか

誰しも思い当たることからでも、いくらかの説明が付く。
経済低迷、消費不況に人々はあえいでおり、企業の収支は改善せず、税収も一向に上向く気配が無い。
そしていよいよ格差社会は抜き差しならぬもとなってきている。

加えて、このどん底景気からの浮揚の妙案は見えず、将来にわたり、希望が見いだせずにいることで、社会、とくに若年層への不安が掻き立てられていることからの、短兵急な政治意志が醸成されつつある。

選挙にあたっての選択肢で、経済問題、景気浮揚、雇用の確保などが常にTopにきていることからもこれはあきらかだろう。
原発問題、急迫する外交問題、より何より、まずはおまんま頂戴 ! というわけである。

そこを安倍自民は巧妙に突き、量的緩和政策をぶち上げ、白川日銀を籠絡しようと目論んでいるようで、たちまち円安・株高に振れ、多くの有権者を幻惑させるに十分な材料たり得たようだ。

しかしこんなものは「消費増税」を実効可能ならしめるための作為的な方策であることは見え透いている。
ヘタすれば物価だけは反転し高騰するも、一方の賃金は全く着いていかない、ということになり、あげくは国債が暴落し、ギリシャ経済の二の舞を演じるだけなのではないだろうか。[1]

国際的な日本の経済的ポジションを考えれば、中国、インド、ブラジルなどの急成長に対し、日本では労賃も消費も頭打ちであり、国情はまさに歴史的に老いつつあり、ファンダメンタルズでの力学は、小手先での処方箋では如何ともしがたいところに位置している。

あるいはもっと大きく捕まえれば、世界資本主義そのものが頂点を極めた後の、後退期、あるいは終焉へと向かいつつあるという認識は持つべきなのだろうと思う。(物事を考えるには、明日のことだけでは無く、明後日から近未来へと照準を伸ばすことも時には必要かもね)

実体経済とはかけ離れた金融工学とやらで世界の金融を操作するなどという、虚構経済の暴走が産みだしたのが先のリーマンショックだったわけだが、これはまさに腐朽を極める世界資本主義のターニングポイントを印すできごとだったし、その後も一般的利潤率の低下は克服されるどころか、活路が見出されずにいるというのが、日本のみならず、欧米の多くの先進国が抱える病では無いだろうか。

そうした歴史的な転換期に差し掛かっている状況に、棹さすやり方では無く、飽くなき経済成長への欲望を動員し、量的緩和政策を極限的に強いる(安倍総裁の日銀に対する「輪転機で札ビラを刷りまくれ」という扇動)方法は、いかにも円安、株価上昇を数字上で糊塗するものでしかないだろう。

ところで、3.11大震災、原発事故について、ボクはこのBlog上でも“第2の敗戦”と、何度か語ってきたのだが、その意味するところを簡単に繰り返せば、国破れ、山河敗れ、灰燼に帰してしまった状態というのは、単に震災と原発に依る被害を指すのに留まらず、日本という国そのものの統治機構から社会経済全般にわたる老化、機能不全が一挙に露わとなり、被災者への支援もままならず、復興への道筋、グランドデザインも描くことができないという状態を指しての物言いだった。

そのもっとも象徴的な事柄はちょうど1年前に出された、野田首相による、福一の冷温停止・収束宣言だったように思う。
この強弁とは裏腹に、いまだに放射線に汚染された冷却水はダダ漏れし、大気にもいまだに大量に放出されている。
宣言と実態とのあまりの乖離にこそ、現政権の統治能力の欠如と、ウソで塗り固められた方便の薄汚さが象徴されている。

原発被災者は、いまだに仮設住宅での避難を強いられ、一方、解体・破産処理され、責任が問われるべきはずの東電もまた、のうのうと生き存えている、という許されざる状態こそ、国破れ、山河敗れ、正義も敗れ、まさに1945.8.15以後の状態をはるかに超えるクライシスを示していると言えるだろう。

そこへ登場した安倍自民の衆院選へ向けたキャッチコピー、「日本を取り戻す」とは、既に、あらかじめ、壊れてしまっていた日本を露わにした3.11から21ヶ月経、また再びぶっ壊す欲望の吐露に他ならないだろう。

今度は、敗北した民主党の宗旨替えで「人からコンクリート」というわけかい?
そんなものは、一時は、新たな需要を生むかも知れないが、中長期的には日本の滅亡を早める愚策でしか無いことは、早晩明らかになるに決まっている。

求められるのは、土建屋自民ではなく、新たに真に生き直すための処方箋であり、廃墟から起ち上がるための、新しい明日へ開かれた設計図なのではないだろうか。
そうした勇気を持たずして、3.11後の迷走しまくる統治機構の混迷からの脱出も無ければ、原発を乗り越えていくことなどできるわけがない。(本稿、もう少し続く)

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❖ 脚注
  1. 参照:REUTERS〈日本の金融政策改革は世界をリードできるか=カレツキー氏〉 []
                   
    

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