工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

2012年の〆

121231

2012年も終わり、数時間後には新しい年が明ける。
今日はお昼までにはすべての仕事も仕舞い、近隣の世話になった数軒のお宅に挨拶回り。

デスクに座り、来し方行く末に思いを馳せるが、大変な年だったことにあらためて思いがいってしまう。

ボク自身の怪我であるとか、工房の突発的なトラブルなども業務に支障を及ぼすほどのものだったし、一方では、ポスト3.11状況下での、原発再稼働をめぐるのっぴきならぬ状況への対応で、福島や郡山に走ったり、都心を埋め尽くす脱原発の人並みに洗われたりと、めまぐるしい日々が続いた。

無論、これらは本業にも多少の支障を与えるものであったかもしれない。
だがしかし、スルーするといった行動規範を選んだとすれば、それこそ自己嫌悪に陥り、気分は落ち込み、体調悪化にも繋がり、いよいよ木工どころでは無くなっていただろう。

心身ともに健全にあることでしか、モノ作りの現場に立ち、健全な良い仕事などできようも無い。

ここで詳しく繰り返すことはあまりに辛いのでやめておくが、先の衆院選結果に見られるように、残念ながら日本においては代議制という政治制度そのものが、今や全く民意を反映しない桎梏にすらなってしまっている。

今年はしかし、日本において絶えて久しい街頭デモが、全国いたるところで、当たり前に、毎週のように繰り広げられるという、かつてない状況を拓いた年として、太文字で刻印されるだろう。

市民が街頭に立ち、デモなどの直接的な抗議活動でで脱原発を訴える、という行動規範に対し、シニカルに眺める向きが多いのも事実かも知れない。それでいったい何を勝ち取れるんだ、といったやぶにらみ。

確かに衆院選の結果を見た限りでは、そうした言説も一定の真実を突いているかもしれない。
だがしかし、日本社会は風通しが良くなってきたことだけは確かだ。
デモについては柄谷行人が再定義したように(「デモが日本を変える」柄谷行人)

一億総中流といった日本独特の生活充足感、あるいは、お上には逆らうなといった同調圧力などによる自己抑制を超え、広汎な市民が為政者に抗う、という、近代社会では当たり前の姿、そうした緊張関係こそが民主主義を育て、発展させるという、本来の姿への萌芽が、やっと日本でも顕れた、というのがこの1年の大きな成果だったことは、これに参加した人々はもちろん、多くの言論人、メディアも認めるところだろう。

一朝一夕で事が成就されるほどこの運動が簡単なものでは無いことは確かで、民主主義のレッスンのつもりで、弛まず、じっくりと腰を据えて闘っていかねばならないだろう。
まさに安倍新首相の地元、上関町のおばちゃんたちの闘いのように。

衆院選の結果にしても、まだまだ、政治というものへの向き合い方は、相も変わらないお任せ民主主義の姿であったことが明らかになっただけだが、しかし脱原発の運動に見られるように、例えば、市民自ら、専門家とともに放射線科学などを市民科学者として学習し、その成果を周囲に広く訴え、時には政治課題を自ら担い、責任を果たしていく、というあり得べき姿が定着してきたことは、日本近代史にあっては画期的であり、希望を照らすものであると言って良い。

衆院選結果を受けての記事でも少し書いたので、これ以上は触れないが、ボクはこの結果に悲観も楽観もしないでおこうと思っている。これが偽らざる日本であり、日本人の選択の結果だからだ。

弛まず、日々の仕事に打ち込み、そして少しでも明るい未来を拓くよう、健全な一市民として生きていくこと。

市民の自由や権利を侵犯するような事態があれば(いまの原発再稼働の蠢きや、普天間基地移設問題などはその典型だし、あるいは“帰ってきた自民”によって3.11後の市民活動が抑圧される懸念は少なくない)不服従の姿勢で立ち向かい、不正を訴え、街頭に立ち、人々と肩を寄せ合い、苦難と歓びを共にする、という道を選ぶということだろう。

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • こんばんは、
    今年も1年間ご苦労様でした。
    いつも興味深く読ませていただきました。

    <弛まず、日々の仕事に打ち込み、そして少しでも明るい未来を拓くよう、健全な一市民として生きていくこと。>

    本当にそう思います・

    来年も楽しみにしています。

    • mu-さん、ありがたいコメントですね。
      世の中、捨てたモノじゃ無い、なんて思っちゃいました。

      いやいや、多くの人が、健全で良い社会の一員として振る舞いたいと願っているわけですよね。

      昨年、何度も脱原発を訴える街頭に立ちましたが、
      いわゆるフツーの、どこにでもいる市井の人々がほとんどで、
      思いを共有するため、肩を並べるために起ち上がっているんですね。

      ますます困難な時代になっていくのでしょうが、
      それに拮抗する形で、少しづつ、少しづつですが、
      良い社会を作り上げようという、自覚した市民の登場が見られたのが、2012年だったように思います。
      今年もどうぞよろしくお願いいたします。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.