工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

木材の中に隠れた表情を読む

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画像の部材は椅子の笠木(背の部分、Topにあたるところ)。
厚板のブロック(この場合3寸厚)を連続した曲面で木取ることが一般的。

これは帯ノコで切り取った状態だが、このままでは表面が粗いので、次に両面を削り仕上げる。
うちでは高速面取盤でサラサラと削り上げ、最後は手鉋で仕上げる。
おっと、その前に、ホゾを付け、必要に応じて、成形切削することも多い。

さて、今日はこの仕上げに関する話しでは無く、木取りについてである。

ここでは7枚ほど連続して切り取っているけれど、このミズナラのブロック、無節の最上品。
もちろん原木を求め、製材、乾燥管理したものだ。

したがって左右どちらからでもすばらしい木目が出てくる。
ただこの場合、曲面切削であるために、切削方向でその醸す木目はかなり様相を異にする。

こうしたことをどこまで意識するかで、その表情、ひいてはクォリティーに大きく影響してくる。

ボクがこうしたことを意識させられ、自覚的になった最初は、訓練校、教官Eさんの指導に拠る。
例えば、観音開きの建具の木取り、縦框は柾目で木取ることはもちろんだが、その木目の流れは左右シンメトリックに、上下に自然に、かつ見込みについても、自然で落ち着いた風合いをもたらすようにと、さりげなくつぶやくのだった。

次は訓練校を卒業し、間もない頃のこと。
1988年の夏、高山で行われたJ・クレノフによるキャビネット製作サマーセミナーでのこと。
今ではその講義の内容を詳細に思い起こすことは叶わないものの、クレノフ氏からの木取りについての熱のこもった訴えは、今も鮮やかに思い起こすことができる。

彼は、その木材の内部に眠れる生命力、表情を、いかに木工家が引きだしてやれるか、それは木工という工芸における重要な真髄の1つであることを実践的に指し示したのだった。

クレノフ氏も、教官Eさんもほぼ同様のことを言っていたわけだ。
初々しい木工職人としてみれば、生産至上主義とは相反するとも言える、木工の魅力、真髄の一端を、木工に目覚めたばかりの無垢の魂に注ぎ込まれるという、強い印象をもたらしたことは言うまでも無い。

さて、話しを戻すと、
厚板のブロックの左右どちらから取るかは、とても重要なこととしても、さぁ、どうすべきか。

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画像の場合、木目が山型に流れている。
一般にはこれが自然と言えるだろうが、逆に左右に拡がる方向に流すことも、当然可能だ。
山型を取るには、辺材から心材に向かって木取れば良い。
左右に拡がる木目を挽き出すには、逆に心材から辺材に向かって木取れば良い。

これは経験則というものではなく、木目の配列(樹芯から皮に向かって同心円状に年輪が配列されるという真理から導き出される)からあらかじめ読み取ることは可能なのだ。

このことは、木が持つ表情をどのように引き出してやるのか(挽き出す)という、木工というモノ作りの最初の一歩であり、かつもっとも重要な事柄の1つだ。

同時にまた、あらゆる部位の木取りにおいて要求される事柄となってくるだろう。
”手作り“木工などと賞揚するのであれば、なおのこととなってくる。

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