工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

《東ベルリンから来た女》とドイツ映画、そして日本

120224a近年、多くの名作を生みだしているドイツ映画だが、この《東ベルリンから来た女》もその秀作リストに新たに書き加えられるべき作品だろうと思う。

内容の重さにしては、まるで解説的なナレーションも無ければ、セリフさえも少なく、役者の抑制的な演技だけでスリリングなドラマが展開していく。
低音部を効かせた控えめな弦楽演奏や、落とし気味のトーンの映像表現は、陰鬱で乾いた空気の東ドイツ社会をより深く印象づけ、息もつかせぬ、緊張感あふれる展開で終始する。

ここではストーリーの詳しい紹介は他に譲るが、ベルリンの壁が崩壊する9年前の東ドイツ北部の地方都市がその舞台。
多くの人々が西側の社会に憧れるように、主人公のエリート女医Barbaraもまた、何らかの機会に知り合った西ドイツの恋人の支援を受け、国境を越えようとするが、許可されなかったばかりか、制裁として地方都市の小さな病院に左遷させられてしまう。

周囲は秘密警察の回しものばかりで、日々その動向は監視され、心の安まる場が無い。
優しそうな同僚医師の心遣いも、他の者と同じように監視者なのだろうと受け入れず、あえて孤立の道を選び、不法出国の機会を待つ。

しかし優秀な医師としての力量は、その小さな病院でも発揮され、職業的倫理、使命に促されるままに、運ばれてくる患者に治療を施し、寄り添う(患者の一人はBarbaraで無ければ心を開かないまでに)。

やがて、不法に国境を越える手はずの時がやってくる。
しかし、最後の最後、観客はこのBarbaraの取った行動に、あっと虚を突かれてしまうのだ。
そして間もなく暗転し、エンドクレジットへと移っていく。

観終わり、観客ははじめて、Barbaraの勇気と自己犠牲、そして医師としての職業的倫理にしたがう崇高さに圧倒されるのだ。

このクリスティアン・ペッツォルトという監督(脚本も)の作品は、日本では初だそうだが、他のも観たいと思う(ヒロインBarbara役のニーナ・ホスとの作品もあるようだ)。

ドイツ映画

ボクがドイツ映画をそれとして意識したのは『ブリキの太鼓』(原作:ギュンター・グラス)が最初だったか。
その後はヴィム・ヴェンダースの数々、ハンナ・シグラと数々の名作を出したファスビンダーなどの、いわゆるニュー・ジャーマン・シネマと言われる70-80年代の充実期を経、近年は『グッバイ、レーニン!』、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』、『善き人のためのソナタ』、『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』、『ヒトラーの贋札』など話題作が立て続けにリリースされ、楽しませてくれている。

タイトルからも推し量れると思うが、その多くがナチスドイツと、その後の分断国家ならではの困難に題材を取り、映像の世界から20世紀という時代を検証しようとする積極的な試みであったとも言えるだろう。
いくつかの時代背景において、似通っているアジアのどこかの国とは、映画世界とは言え、かなり位相も異なれば、時代への眼差しの違いに眩暈すら覚えるほどである。

3.11後の福島と日本社会

さてところで、きわめて個人的な感想でしかないかもしれないのだが、この映画が描く世界は、3.11以後の福島県下の被災者が置かれた立場とアナロジーできるでのは、ということだった。

確かに飛躍に過ぎる類推であるのは承知での物言いである。
しかし未だ、高い放射線による被曝のリスクを負ってもなお、福島県下に居住し続ける多くの人々がいる。
3.11原発震災をもたらした当事者である東電、そして日本政府により、極めて不十分な移住政策により、取り残された被災者らは、移住した方が良いと分かってはいても、補償が不十分であること以外にも、様々な事情から継続的な居住を選択している。
移住した人々との間の軋轢、葛藤、それは家族を引き裂き、コミュニティーを断絶させ、過酷な状況をより厳しいものとしている。

人々はそんな困難な生活基盤の中で、営々と生活を営み、またそれを人生を投げ打って支援する人々の貴い姿も多く観ることができる。

Barbaraにとってみれば、西側の恋人とともに希望にあふれる生活を選択しようと願うのは当然であるのだが、しかし田舎の病院に運び込まれ、助けを求める患者に寄り添う中から、自分でも信じがたいまでの自己犠牲の精神で、意識転換を図ってしまうのが、人間という、少々やっかいで、すばらしい生き物なのだと、あらためて考えさせられてしまった。

福島原発被災ということで、さらにもう1つ穿った見方をすれば、こうだ。

東ドイツの人々は、この映画がディテール豊かに描いているように、まさに檻の中に押し込められた生活を強いられていたわけだが、片や、ポスト3.11下の日本では、何も終わっちゃいないのに「収束宣言」がなされ、あまつさえ帰ってきた安倍政権による原発推進社会の復活という「檻」の中に押し込められ、ひっそりと息を殺して生きているという、究極のアナロジーさえ可能では無いのか。

《東ベルリンから来た女》
原題:Barbara
監督、脚本:クリスティアン・ペッツォルト
製作年:2012年
製作国:ドイツ
配給:アルバトロス・フィルム
受賞:2012ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督)
   2013アカデミー賞外国語映画賞ドイツ代表
公式Webサイト:http://www.barbara.jp/main.html

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