工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

カサゴとメバル

めばる+かさご
皆さんはどんな魚を召し上がっているのだろう?
うちの食卓はプアなもので太平洋沖、アラビア沖、北大西洋、地中海にまで船団を繰り出し、豪快な漁で運び込まれてくるようなマグロなどめったに食卓に上がることはない。
もっぱら日本列島近海から産出される雑魚が主体。
でもたまには雑魚と言うにはあまりにも立派な画像のようなものも入手できるのでありがたいものだと思っている。
これは近くの御前崎沖から上がったものだという。
メバルはちょっと小型であったが、カサゴはオニカサゴも含め2尾手に入った。
いずれもこの2尾は釣り上げたもので、活き締めにされていた(頭の上から包丁を入れ、念仏させ、腐らないようにさせるやり方)。
全部合わせても1,000円ほどで包んでくれた。
購入したのは週末、県庁所在地の駅に近接したすこぶる品揃えが良く、業者が買いに来るような人気のお店。閉店時間直前のこと(ここがポイント 苦笑)


ボクは餓鬼の頃、瀬戸内の海辺で育ったことがあるためか、雑魚には親しんできた。その様々な魚類の旨さというものは幼少の頃でもあったことで自身の味覚を豊かに育て、今に至っているものと思っている。
昨今、子供達はあまりこうした魚は食さないと言われている。ホントだろうか。
というよりも、その母親にあたる世代があまり好んで食卓に上げないということだろう。
子供の味覚などはおおよそ両親の好みに大きく影響される。親が顔をほころばせ美味い美味いと箸を出せば、子供だって興味津々に食らいついてくるもの。
しかしながら昨今、若い家族の食卓は肉料理が主体でこうした魚はあまり好まれないのだろうか。
スーパーマーケットの魚コーナーでは、いわゆる丸ものは見向きもされないせいか品揃えが悪い。大体が切り身にされた状態で売られていることの方が多い。
あるいは魚屋もサービス過剰気味で、奥さん、調理してやるよ〜、との声に、当たり前でしょ、とばかりに手渡す光景が多いからね。
やはり、丸のママ家に持ち帰り、子供達を前にして魚を捌くならば、自ずから命を頂くという生物と人間の関係性というものに自然と近づくことができるものだ。
この2種、魚体からしてもお分かりのように、近縁の種だそうだ。
メバルはさっそく煮付けにしたが、その濃厚な旨みと、しっかりとした魚肉は
やはりメバル特有のもので楽しめた。
一方カサゴは、さてどう調理したものかと迷ったが、結局1/2にぶつ切りにし、塩コショウ、酒ふりふり、香味野菜に暫し漬け込み、じっくり唐揚げにして、ニンニクの風味を増したトマトソースで少しの時間煮込んでみた。
旨い。美味い。うまい。
この無骨な魚体からは想像できないほどに、独特の旨さがある、
日本では一般には醤油で煮付けるというのが一般的かも知れないが、鍋にも良いだろうし、いろいろとバラエティーに富んだ調理ができると思う。
カサゴ万歳 !
カサゴ
PS:
このところの食を巡る偽装、化学物質による汚染、あるいは食物テロとも言いたくなるような悪意の農薬混入事件は目に余るものがある。
こうしたかつてない国境を越えた膨大な食料輸入という新たな時代にあっては、食物汚染という問題はある種不可避なものであり、次々と報道される食物関連の事件が教えるのは、現在の日本の食物需給環境がいかに歪んだものであるかという警鐘だろう。
ぜひ「地産地消」「食物マイレージ」というものを意識し、できるだけ大手食品流通から脱し、近くに産するもので、氏素性の明確なものを口に入れるという、ちょっと前まで(’60年〜’70年代頃まで)は当たり前であった本来の日本の食文化へと回帰することが求められているのではないかと思う昨今ではある。

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  • 家の近くにも銚子まで仕入れに行く魚屋さんがあって両親が良く
    買い物をするので良い魚が入った時は電話がくるようになっています。
    最近はスーパーで切り身しか見たことのない方もいるようで、以前の
    会社で鯵と鯖の区別の付かない若い女性がいたのには驚きました。
    まあ、やはり親の影響でしょうね。

  • acanthogobiusさん宅は、とても良い食生活を営んでいらっしゃるようですね。
    人の生き方にとって、食というものは様々な意味合いにおいて基本です。
    子供さん達が様々なストレスを抱え、キレやすかったり、集中力が無いと言われる原因の1つが食であることも確かだそうですからね。
    ジャンクフードばっかり食べてちゃいけません。

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