工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

ちょっと恥ずかしい話し(続)

〈承前〉
「グローバリゼーションと舞台芸術」とテーマされた「BeSeTo演劇祭」におけるシンポジウムでの磯崎新氏の発言から。

私は、新国立劇場設立のときの建築家として、コンペの審査委員までしましたが、‥‥日本で初めて「東京オペラ座」という感覚で国際コンペをやった。‥‥「国際コンペ」をどうやったらいいいか誰もわからない。そこで本来ならば呼ばれることのない立場のぼくが、いろいろな「国際コンペ」の経験があるということで呼び出されて、末席をけがしたというのがいきさつです。
そのときは、わりと国際的に注目を浴びまして、アイディアとしてかなりおもしろい案が世界中から集まってきました。ぼくはその中で、オペラの建物として画期的になるであろうと思う案を盛んに推したのですが、なぜか建築界から出てきた審査委員は賛同してくれなかった。
‥‥いろいろな建築の外の人たちと話していると、その人達は建築業界の裏の仕組みとは無関係ですから、「それはなかなかいい」とうことで、みんなその案に賛成し始めたんです。そこで誰がどういう操作したのかわかりませんが、コンペというのはロビー活動というのがかならず起こるんですけれど、ロビー活動をやったやつがいた。それはどういうことかと言いますと、二等以下はいくら外人(ママ)を入れてもいいけれど、一等だけは排除するするというものでして、ということは一等案を採用するわけですから、一等案は日本人に、という操作を審査過程の裏でやっていたわけです。‥‥
そうすると一等案は、ほとんど無名の人が出した、今の案の原型になったものに決まりました。
全世界の劇場建築には、いろいろなアイデアがあるけれど、その中の無難な、われわれから見れば二流のレベルの技術を寄せ集めたような何の特徴もない案が、最終的に意向に沿っているということで決まった。‥‥
資料を調べたらわかると思いますが、二等以下はほとんどが外人でした。この連中がこのときに提出した案というのは、80年代以降の世界の様々な音楽ホール、オペラ座、劇場のなかで大変ユニークなものとして評価されるものがザーッと並んでいたのですが、一等案だけはまったく恥ずかしいとぼくは思うのですが、それに決められてしまいました。‥‥‥
これでは恥ずかしくて、「東京オペラ」は建物としていいとは言えないし、また誰も歴史的には残してくれないと思います。
(2004/11、「グローバリゼーションと舞台芸術」シンポジウムから『演劇』018より引用)

新国立劇場設立に際し、国際コンペの内情を良く知る立場からの辛辣な批評である。
日本人を積極的に推すことは理解できないわけではないが、その結果国際とは名ばかりの閉鎖的なコンペの汚名を与えられ、さらには日本の建築家にとっては国際的競争力を削がれ、伸びるかも知れない才能までが早々と摘まれてしまうという結果をもたらすのでは。
贔屓の引き倒しという奴だ。
国際化、国際化と常套句のように叫ばれている今日だが、その実態たるやお寒いばかりの状態であり、むしろ昨今、より社会的な閉塞感の中にあって内向きな社会に傾斜しつつあるような危惧さえ覚える。
ノーベル賞をめぐるメディアの国籍をめぐる杜撰な扱いと受賞を巡る狂騒も、そうしたことのごくありふれた一面。
週末でもあり、ご愛読に感謝してYouTubeから中島みゆき『重き荷を負いて』(『ララバイSINGER』所収 2006/11、ビデオ映像は2007ツアーより)を、押しつけがましく

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