工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

夜は更けて(2008年を終えるにあたり)

はじめに
年越しを迎えようという日であるにもかかわらず、何やら朝から慌ただしく時間を費やしてしまったが、せめてもと思い、夕食後はデスクに向かいこのBlogの更新やら、読書で過ごすことができた。
朝からバタバタしたのは、事務机周りの書籍、雑誌、資料の整理をはじめてしまったせい。
柄にもなく、というところだが、普段散らかしっぱなしの状態が慢性化しているので、重い腰を上げてこの機会に、というところだ。
整理作業の最大のポイントは、如何にスリムにするか、ということに尽きるように思う。
雑誌のバックナンバーは不要なものはまとめて資源ゴミに出し、アーカイブとして残す必要のあるものはまとめてダンボールに仕舞い込む。
書籍、資料も同様だが、整理していてあらためて思わされたのは、ここ10年ほどの購入書籍の傾向はコンピューター周りのものが多いと言うことだ。
人文書の方はこれに反して減少傾向が著しい。
これは業務上、あるいは私的活動上でのIT対応でもあるので仕方ない側面が強いとはいうものの、やはり知的活動の停滞を示すものとして反省多とせねばいけない。
これはこうした読書傾向に留まらず、2009年への課題を考えたとき、生活周りをできるだけシンプルに、スリムに、研ぎ澄ませていきたいということに敷衍させるべきものでもある。


生活のスタイルをシンプルに
先日友人と鍋を囲んだ忘年会のおりに、彼から97歳という長寿で何かと話題に上る日野原重明氏の食生活というものを取り入れ実践していきたいとの表白があった。
つまり朝食、昼食はめちゃくちゃ簡素に(ジュース、牛乳ぐらいのもの)、夕食にしっかり摂る、というものである。(日野原重明氏のサイト
確かに現代人はあまりにも飽食に過ぎる。
あるいは教育現場をはじめ、朝食からしっかりと摂ることが肝要という、やや強迫観念に近いものが通念となっているのだが、これとほぼ対極に近いスタイルを取ろうというものであるらしい。
ボクにはとても真似ができるものではないが、論理的思考で冷静に自己分析ができる彼ならではの意志であれば何ら反対できるものではない。
ボクは彼がめざす簡素な食生活で充足できるほど抑制的になれはしまいが、しかしシンプルな生活スタイルを標榜しようというところにおいては共通する何物かがあると思う。
消費社会から抜け出ようという試み
ボクなりにこれを解釈すれば、消費生活というものに日々の生活が丸ごとどっぷりと浸かってしまっている現状から抜け出し、“自律”した人間としてもう一度自己を立て直そうというものであるのかもしれない。
これは2008年の世界規模での社会経済を基底づける通奏低音であったリーマン・ブラザーズの経営破綻に発する世界的規模での金融資本システムの破綻が意味する、ハイパーな資本主義社会の歴史的デッドロックに対する、ひとり一人の自己防衛であるだろうし、また資本主義社会への批評を孕んだオールタナティヴな可能性を追求しようという、積極的な意志であると言っても構わないものではないだろうか。
無論、人々の生活のそのほとんどが消費社会システムに絡め取られている現状を丸ごと打破することはできるはずもないのだが、しかし上述のような意志を内在させ、非消費社会への可能性を常に意識しながら、自己の行動規範を打ち立てるならば、身体はより健康になり、ふぬけ切った精神にも活力が蘇り、地域社会の共同体としての復活への模索にも繋がる契機にはなりうるのではないだろうか。
あまりにもひとりの人間が想像できる領域を越えたところでの消費社会(数100万 Kmも離れたところからやってくるマグロなど、その背景にある生産システムを想像できるか)への依存がもたらすさまざまな弊害を克服し、そうしたかりそめの“豊かさ”を拒否し、穏やかで、緩やかで、フレンドリーで、信頼を託すことのできる経済諸関係を取り戻す中から、真の豊かさというものが掴めるのかも知れないと思う。
Changeの可能性
そんな夢想など語るほど無駄だと考える向きは多いかも知れない。
しかし社会というものは意外とダイナミックに変貌を遂げると言うことは歴史の教えるところでもある。
数年前に誰がアメリカ合衆国の大統領に黒人が選ばれるなどと考えただろうかと思えば判りやすいだろうか。
もっと卑近な事例を挙げてみようか。
2009年の秋までには、日本の政界も政権交代は必至というのが識者共通の分析である。自民党は野に下がり、民主党が政権を取り、ここから首班が指名されるだろう。
いわゆる五十五年体制と言われる盤石と思われた自民党による支配体制というものが名実ともに崩れ去ろうとしている。
いや、確かに民主党に代わったからと言って、社会がドラスティックに変貌するものではないことぐらいボクにも判る。
そうではなく、ともかくも変化をもたらすことはできるのであり、社会というものはそうしたものであるということの認識を持つことが重要なのだ。
あまりにも堅固な旧弊に変わり、新たな枠組みが定着するには恐らくは5年、10年という単位でのスパイラルな描線を描きながらのものとならざるを得ないのは必至だろう。
今日の夕刻のニュースでは〈NPO法人自立生活サポートセンターもやい〉事務局長の湯浅誠さんらによる「年越し派遣村」が日比谷公園内に開村したという、とても暖かいニュースが報じられたが、各地域でも同様の動きがあるようだ。(毎日jp
つまり、本来であれば労働運動側が組織せねばならない炊き出し、生活支援というものが、悲しいかな、労働運動側がほとんど力を喪失する中で、弱者の依って立つ場が失われつつあったのが、ここにきて新たな行動規範を持った人たちに再興されつつあるということを示していると見るべきだろう。
このように盤石であるかのように思える腐りきった既成の価値観、行動規範も、エネルギッシュに未来をこじ開けていこうとする勢力によって変転を遂げうることも確かだということを示してくれているのだ。
木工家として
さて、ボクはしがない木工家のひとりとして、2009年もただ淡々ともの作りに励むことができるならありがたいことだと思っている。
恐らくは数年単位、あるいは5年、10年単位での経済的苦境は必須とボクは見ている。いやむしろ数年で金融破綻と世界同時不況の現状というものが、新たなパラダイムの下で再構築できるなどと夢想することなどできはしない。
楽観的なことをTVカメラの前で訳知りに語る掃いて捨てるほどの数の経済学者、コメンテーターなど絶対に信用しない方が身のためだ。
しかし昨日のBlogのタイトルではないが、苦しくて暗い夜も、いずれは一条のまばゆい光とともに明ける日は訪れるものだ。
そこへ向けてどのように準備し、耐えていくのかが問われているのだろう。
こうした過程もまた生きるに値する苦しみと信じ、明るく、人との信頼を糧に未来をたぐり寄せるようにしたいものだと思う。
2009年のBlog運営
なお、このBlogの運営についてもひと言語っておきたい。
まずは2008年の1年間ご愛読いただきましたこと、心より感謝申し上げたい。
アクセスカウンターを見る限り、多少の浮沈はあるものの概ね一定した数でのアクセス数もあり、想定以上の読者が訪れてくれていることは感謝に堪えない。
それだけに責任も大きいとあらためて自覚せねばならないが、決して有用なエントリ記事ばかりとも思えないし、あるいは罪深い内容のものもあるのではと自覚している。
しかしより記述の精度を高め、信頼に値する内容を心掛けていきたいとは考えている。
さてところでこのBlogの2009年を展望すれば‥‥、
内容的にはあまり代わり映えしないと思うが、インターバルを少し変えるつもりでいる。
現状では、業務の忙しさもさることながら、読書、新しい技能の取得などに時間的余裕が少ない問題があり、これらとの調整でBlog運営方法も変えて行かざるを得ない。
2008年は、ほぼ日々更新してきたが、今後は週に数回のエントリになっていくだろう。
そのことで読者が離れるのも致し方ないかも知れない。
しかし本業において、より高品質な木工家具の制作に精励する積もりであるので、そちらで評価されるように心掛けたいと考えている。
ただコメントなどには的確に対応していくことに変わりはないので、どしどしいただきたいと思う。
佳いお年を
さて今年も残すところあとわずかだ。もう除夜の鐘の準備に入っている頃だろう。
2009年、大きな荒波とともに明けることになると思うが、心して臨みたい心境ではある。
諸兄、諸姉には、健康で少しでも佳い年であることを祈念して、2008年を結ぶ言葉とさせていただきたい。
ありがとうございました。

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  • 明けましておめでとうございます。
    artisanさんのように今後の生き方に確かな展望を見つけることも
    できず、荒波に漂う小舟のようになりそうな状態ではありますが
    何とか木工を楽しめる年になればと思っています。
    今年もよろしくお願いします。

  • acanthogobiusさん、あなたのように本業を別に持ちながら、かなり本格的な木工に従事するというスタンスというものも、さぞ難しい側面も多かろうと思います。
    一方良い意味でのアマチュアリズムを貫き、妥協しない良質なものを作る環境にあるとも言え、その点ではうらやましく思いますね。
    本年も旧年に増してお付き合いの程を、よろしくお願いします。

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