工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

ルーシー・リー展 ─ 器に見るモダニズム ─ (観覧記)

エントランス

ルーシー1陶芸の1つの極北にあるのではと強く魅入られてしまっている器群に再会することができた。

ウィーンで生まれ、ナチスに追われ36歳の時にイギリスへと渡り、80歳代まで生涯陶芸の道で生を燃焼し尽くしたルーシー・リー(LUCIE RIE)の作品群。

2003年、ニューオータニ美術館で開催された「ルーシー・リー展  ─ 静寂の美へ ─」で感銘を受けて以来4年ぶりの再会。

タイトルこそ「ルーシー・リー展 ─ 器に見るモダニズム ─」と変わっており、またややボリュームにおいて縮小されているものの、展示作品はボクにとっては初見のものを含め展開され、また同じくドイツからの亡命者であり、アシスタントとして陶芸活動を供にしたハンス・コパーの作品も数点展示され、あらためてその多様な作風の陶器を身近に触れることが出来たのは幸せであった。

陶芸については全く門外漢の素人なので適切な批評などできようも無いわけだが、日本人のボクが強く惹かれるのにはいくつかの理由があり、それを辿ればこのエントリーも少しは客観性を帯びるかも知れない。


ルーシー2彼女が活躍した時代は陶芸人生60年余にも渡るので、ここでその年譜を辿るわけにもいかないが、やはり彼女の作風というものが確立したといわれる、自身の窯を構えたロンドン移住(亡命)の頃のエピソードを紹介することが一番良いように思う。

移住間もない頃のバーナード・リーチとの出会い(1939)は彼女の陶芸人生にとってとても大きなものであったようだ。

バーナード・リーチが志向する陶芸の道に深く尊敬の念を抱いたのはもちろんであったが、一方リーチの彼女の陶芸に対する評価はその作風において批判的でかなり具体的に修正を求められるということもあったようだ。

その後はリーチの指導に従い、いわゆる英国の伝統様式+東洋(中国、韓国、日本)の民芸調を強く意識した、厚ぼったい作風のものにシフトしていったようだが、どうも彼女自身、確信を持てるものではなかったのだろう。

その頃ロンドンのアトリエでアシスタントとして加わったハンス・コパーからの「あなたらしくない、元のモダンな陶芸に戻るべき」との助言に誘われ、ウィーン時代に洗礼を受けたグスタフ・クリムト、ヨゼフ・ホフマン、コロモン・モーザー、らによるデザイン運動「ウィーン分離派(セセッション)」に強く影響を受けた「ウィーン美術工芸学校」への入学の頃を思い返し、自身の美意識、スタイルに忠実に従うことをその後の陶芸活動の指針にしていく。

リーチにしても近代デザインの始祖でもあったモリスの「アート&クラフト」の影響下で英国と極東の伝統的陶芸に踏まえ、「スタジオ陶芸」の手法を復権させるなど、時のデザイン運動と連携しながら、近代陶芸の指導者として自覚的に活動していたので、ルーシー・リーとはデザイン嗜好の差異はあったものの、惜しみなく助力を与えていたし、ルーシー自身も彼を頼っていたようだ。

ボクがルーシー・リーの作品に強く惹かれるのは、このリーチとルーシーとの微妙な関係性に孕まれた「民芸と、モダンデザイン」の確執と、シフトの違いが見せる近代工芸美術の本質的な問題が隠されていることへの謎解きを感じさせることからなのではと思うのだが…。

また欧州の近代デザイン運動も、セセッション派の運動も、ジャポニズムとの相似性、その影響などを検証することはいくらでも可能であり、したがってまたリーチとの関係性からたどらなくともルーシー・リーが日本で愛好され、またボクが強く惹かれるのも、その意味で必然性を持つものなのだ。

現代にあって「民芸」をどう捉えるのかという問題は、提唱者であった柳宗悦の民芸論と、現駒場民芸館館長であるご子息・宋理氏のモダンデザイン志向に見られる親子の間の差異が象徴しているように、今もってボクたちもの作りを生業とする者にとって等閑することの出来ないものと言えるだろう。

ルーシー・リーの陶芸での業績は、こうした問題への作家としての1つの答えを示しているとも考えることができると思うのだ。

ルーシー・リーの作陶過程は、なかなか独自のものがある。会場エントランスに設えられた生前のアトリエ取材のビデオ(2003年の展示会のものと同じだった)を見ればその一端が判る。

素焼きをせずに1回で焼成させる。釉薬は民芸派に一般的に見られる掛け流し、とかどぶ付け、などという手法に依らず、轆轤の上で、刷毛、筆で丹念に丹念に施すという欧州の伝統的様式に踏まえている。また彼女の特徴である「掻き落とし」「象嵌」から描き出されるモダンな線描は、その独特の美しい造形と相俟って、彼女ならではの世界を構築して独壇場のものだ。

晩年その功績を称え大英勲章Dameの称号を授かるも、しかし勲章も女王陛下も興味がなかったルーシー・リーであったようだ。

この反骨精神というものは、もの作りの世界と権威とが決して相まみえる概念ではないということの姿勢の表明であっただろうし、また美術学校の入学試験をたびたび失敗していたと言われるヒトラーによる徹底したモダンデザインへの迫害は近代芸術運動の拠点、バウハウスの閉鎖に象徴されるが、そうした偽りの権威が跋扈する時代に翻弄されたことへの強い怒りというものが背景にあっただろうし、またそうした反権威の気高い精神を彼女の作風の中に見て取ることも重要なことではないのだろうか。

彼女が近代陶芸に与えた影響は計り知れないものがあるだろう。

若い陶芸家はそれを乗り越えて新たな世界を掴み取らねばならないが、しかしそれこそルーシー・リー自身が歩んできた陶芸人生通しての課題でもあったのだ。

会期は21日まで、陶芸ファンのみならず、デザイン、美術に関心を持つ方にはぜひ観覧することを薦めたい。

会場はJR静岡駅に隣接した「shizuoka Art Gallery」

■ 2003年のニューオータニ美術館での観覧記
画像Topは会場エントランス
画像、中、下は図録からスキャンさせていただきました。

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  • お正月休みに見に行きました。
    そとでビデオも放映してて
    じっくりと鑑賞。
    とても刺激になります。
    今年も沢山良いものを素敵なものを
    見たいですよ。

  • kentさん、コメント感謝です。
    >今年も沢山良いものを…
    既にご存じかも知れませんが、同ギャラリーでは今秋「重森三玲」展が企画されています。(日本を代表する作庭家・庭園史研究家)楽しみです。

  • 本日、遅ればせながらアートギャラリーに行ってきました。
    素晴らしい展示会を逃さず見ることが出来て
    先日の「もう行きましたか?」メールに感謝しています。
    artisanさんのブログに比べれば稚拙な文面ですが
    TBさせて下さい。

  • ルーシー・リー

    昨年末に 街なかでこのルーシー・リーの展示会のポスターを見るまで
    私はこの女性陶芸家を知りませんでした。
    しかしなんとバーナード・リーチ、ハンス・コパーとともに
    イギリス近代陶芸の三巨匠と言われ その世界では神様のようなヒト! 
    ヨーロッパやアメリカは勿

  • サワノさん 少し押しつけがましい紹介でしたが、刺激なり、示唆を受けたとするならば良かったですね。
    日本での評価は三宅一生さんの紹介に依るところが大きいでしょうね。

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