工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

機械、電動工具をその性能、品質から考える(海外メーカーとの比較において)【その9:最終回】

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産業機械、工具の開発から観た日本における特徴

これまで概略的に、国内、海外それぞれの現状を観てきましたが、断片的なものでしかなかったとはいえ、彼我の状況を見較べて見ることなどで、日本の産業機械、工具の開発における姿勢、企業理念の特徴なども、少し浮かび上がってきたものと思います。

こうした日本固有の特徴というものは、果たしてどのように解読すれば良いのか、少し考えて見たいと思います。
問題は多岐にわたり、様々な要因が隠されているような場合、まずは問題を俯瞰して視ることで見えてくることは多いものです。

そこで、迂遠なようですが、近代産業の歴史を振り返り、少し大きな物語から説き起こすことにしたいと思います。
私は産業の専門家でもありませんし、ましてや歴史研究家でもありませんので、かなり大ざっぱな捉え方しかできませんが、ごくごく常識的な理解からも見えてくることはあるでしょう。

近代における産業機械の開発と、それらの果実の日本における受容

James Watt:£50紙幣から

James Watt:£50紙幣から

近代における機械の開発と言えば、何と言ってもまずは蒸気機関でした。
英国では17世紀半ばあたりから、この蒸気機関が開発されていたようですが、これを一気に産業の主ステージに押し上げたのがワットですね。18世紀初頭のことでした。

まさに産業革命を巻き起こす最大の動力源であったわけです。
その後、石炭をエネルギー源とした蒸気機関に替わり、さらには石油の採掘と精製が行われるようになった結果、内燃機関が普及し、あるいは電力をエネルギー源とするモーターへと時代とともに移っていったわけですが、これらの進化とともに、様々な産業機械が開発され、進化を遂げてきました。

もちろん、木工、建築分野でもこれらの成果を導入し、機械化の道を歩んでいったものと思います。


さて、日本では長きにわたる幕藩体制下での鎖国政策の末、これら近代産業の勃興は西欧に遅れること100年、19世紀半ばの明治維新以降と言うことになります。

明治以降、西欧の近代化を積極的に取り入れ、富国強兵に励んでいったのでした。
産業機械も恐らくは英国、ドイツ、アメリカあたりから最新のものを導入し、取り入れるというスタイルからスタートし、国策による軍事産業が牽引する形で進化していき、やがてはそれらの果実は民生分野での開発へと繋がっていったことでしょう。

日本人の類い希な勤勉性と、近代がもたらした明日の未来への希望を糧とした産業界での総動員態勢は、西欧における最新技術へのキャッチアップの歴史であったわけです。

こうした歴史の歩みの特徴からも分かるように、いわばそのスタイル、つまり海外から技術を導入し、その複製技術からスタートさせるというスタイルは、日本という国の近代化の特性からして、歴史的必然性によるものであったと言えるでしょう。

このスタイルというものはその後百数十年を経てもなお、簡単には変わらないという側面は否定できません。

現在でもなお、西欧のものを積極的に導入し、これを換骨奪胎しつつ、日本人の体格にあうものに部分的な改良を施し、さらには使い勝手の良いように機能を付加させる、といったように。

これはこれでとても賢い思考スタイルです。明治以降の日本が置かれた「1周遅れのトップランナー」という立ち位置からして、もっとも相応しい在り様であったのでしょう。

工具メーカーの海外戦略

上で観てきたように、ここ数十年、日本の工具メーカーも積極的に海外へとその販路を広げつつあるようです。
これは日本に留まっていたのでは、販売力も頭打ち。より企業利益を高らしめるには海外戦略を打ち立てるのは、当然にも資本からの要請であるでしょう。

これは我々ユーザーとしても注目して良い傾向だろうと思います。
日本に留まっていたのでは、西欧における電動工具の進化に触れ、キャッチアップする契機を失うでしょうから、海外の厳しいユーザーの目に触れさせ、否応無しでのフィルタリングから、より高品質で、高機能へと進化するきっかけになるわけです。
大いに海外戦略を展開してもらいたものです。

そうした戦略とともに、世界的シェアの獲得から産み出される経営資源を、海外の電動工具メーカーの開発担当者をあっと言わせるような、新奇性の強い、画期的なマシンというものを開発して欲しいものです。

欧州からの風と、Apple.inc

これまで集中的に取り上げたFestool社、Lamello社、いずれも欧州の企業です。
こうしたところから革新的なマシンが発信されていることには、注目した方が良いかも知れません。

何が言いたいのかと言えば、世界最大の工業国でもある米国からのものではない、ということにみられるモノ作りの背景についてです。

米国の企業が、やはり新自由主義的な経済理念によって支配、運営されているのに比し、無論、欧州もそうした影響下から自由では無いとしても、どこかに牧歌的な作風が残っていて、伝統的なモノ作りへのスピリットが息づいていることがあるように思われるのです。

さらに言えば、経営陣の姿勢もさることながら、上級設計士、労働者の経済的環境、あるいは生活レヴェルでの時間の余裕であったり、緩やかな地域共同体がまだまだ残っていて、労働現場で精一杯活動ができる環境にあるということなどの、いわば風土的なもの、歴史的に作り上げられてきた日々の営みといった、社会環境から育まれる要素が反映しているとも言えるのでは無いでしょうか。

そうした背景や土壌が無いことには、容易に彼らと肩を並べて優れたマシンは作り出せないのではと慨嘆してしまいます。

このシリーズの中で言及した欧州車に関しても、そうした文脈から説明がつくかも知れません。
日本車も米国車もすばらしいが、しかしドイツ、イタリア、フランス、あるいは英国、スウェーデン、こうした国の産業から作りだされる名車の数々が産み出される土壌。

単に性能が良いわけじゃなく、どこか魅惑的であり、運転してみたいという欲望に駆られるモノであるわけです。


また、いかにIT技術に先んじていたとしても、機械を作る総合力というものは、ITなどの力量に相応するわけではないでしょう。

話が少しずれますが、一昨日WSJが伝えた「Apple,incがEV社の開発に着手した」とのニュースは、決して驚くべきことでは無いかも知れませんが、これが単なる噂を越えた真実みのある話題であったとし、米国企業のAppleが、どんな車を作るかは、産業史にあってエポックメイキングなものになる可能性を秘めているかも知れません。
(Apple.incに電動工具を作らせてみたいとも想念しますが、それはあり得ない 笑)

産業というのは、様々な技術の集積でもあるわけです。
Apple社が世界最大の企業と言われ久しいわけですが、このApple社の製品は決して独自に開発した素材を作っているわけでは無く、ほとんど全てが既存の素材で、これを独自のアイディアとデザインでアッセンブリされ、洗練されたソフトウェアの力で駆動され、産み出されたものです。

他方、日本を代表する家電メーカー、SONYですが、今や屋台骨はグラグラ。
音楽プレーヤーも、TVもダメ、VAIOも売られ、今やゲーム機とエンターティメントのソフト会社でしかありません。

私は若い頃は電気技術者でして、そんなところからSONYへの憧れは強いものがあり、現在の惨憺たる状況は見るに忍びないものがあります。

またいかにトヨタが世界大的な企業に登りつめたとしても、SONYの現状から見える日本の産業界の光景はあまりにヒドイです。

この現状がそのまま未来を映しているとは言いませんし、決してそうであってはならないわけですが、そのためにも日本の産業界がすばらしい企業理念を持ち、想像力あふれる新規産業を産み出すような努力を望みたいと思いますし、そうした企業への政策誘導も必要であろうと思います。

時代潮流の変化

世界の潮流は大きくうねりを上げながら、変わりつつあります。
成長への基軸国が欧米、日本から、アジアへと遷移しつつあるのは明かです。

米国経済がリーマンショックから立ち直り、驚くほどの好景気を見せていますが、OPECが仕掛けた原油安のショックは、この好況に水を差す効果として表れていますし、オバマ後の政権如何によっては、混迷する中東情勢を、より悪化させる方向へと向かう可能性は否定できず(ヒラリー・クリントンは、より強固なシオニストであることなどの不安定要因)、時代潮流としての成長基軸はアジアへと向かうことは止められません。

そうした世界情勢の中にあって、日本の進む道はどうあるべきなのか、考えねばならないことは山積しているわけですが、しかし産業という分野にあっては、その素材を産み出す力量、そして明治以来の近代産業の歴史、あるいは識字率100%で勤勉な労働者、こうしたファンダメンタルズの力量が失われていない状況下、アジアの基軸国として、できることはたくさんあるはずです。

ただ残念なことに、アベノミクスとやらは一時の勢いは失せ、消費増税の影響を越え、今やリセッションの様相を呈している様です。
特に新たな産業を掘り起こすための三本の矢の3本めが、ゼンゼンダメです。
構造改革などは掛け声だけで、原発再稼働へまっしぐらの現政権に、新エネルギー産業など新規産業への育成など、まるで関心が無いのであれば、望みはありません。

現政権の政策とアジアへの眼差しを考えれば、ただただ暗澹とさせられてしまうわけですが、そこを建て直していけるならば、道は拓けてくると思います。


こんなBlogで産業界や政府に提言しようなどとは思いませんし、その任に値するわけも無いわけですが、現状を良く認識し、世界潮流の新たな荒波にしっかりと碇を降ろし、日本が培ってきた近代150年の歴史にふまえ、あるいは連綿として伝えられてきた匠の技を有為なる基盤として再評価し、そこから未来を見据え、活気ある産業界をもり立てて行ってもらいたいものです。

そして、その鍵はこれまでのモノ作りの大車輪は、間違いなくアジアへとシフトしつつある中で、日本が為しうる有力な分野は、いわば産業の頭脳として、アジアを、そして世界をリードしていくことだろうと思います。
最先端のクリエイティヴな領域で研究開発されたものを、アジアから世界へと送り込み、より豊かな社会を創造することです。

ただ、明治以来の産業基盤が先進国へのキャッチアップの歴史であったとすれば、これを大きく塗り替え、創造性豊かな技術開発のための人材育成、経営資源の投下、そして政策誘導、選択と集中が必須の要件でしょう。
そこにおける基本は、やはり民主的な政治経済が広く行き渡るような社会で無くてはだめでしょうね。

日本の社会経済は衰えつつあるとは言え、あるいはそうした状況を産み出した1つの原因でもある成熟した社会に登りつめてきた、という見立て、あるいは定義は、たぶん世界史的にみれば、間違いの無いところです。

明治以来の国策的な産業育成の中から獲得されてきた高度な産業技術は、あまねく日本社会を高度の消費社会へと変貌させ、近代化へと押し上げてきた源の1つでした。

成熟社会の到来と産業の未来

しかし今、成熟社会を迎え、世界経済の牽引力がアジア諸国へとシフトしつつある中、これまで通りの経営理念(大量生産、大量消費)で成り立っていくはずもなく、よりクリエイティヴでアイディアと知性あふれるデザイン性豊かなモノ作りこそ求められていくだろうと思います。

経営資源、人材、海外へ向けての積極的なアプローチ、あらゆるものを統一的に戦略化させ、打って出るチャンスでもあるでしょう。

私たち、国内のユーザーもそれを求めているでしょうし、世界もそれを待っているはずです。
「モノ作り日本」が、ただの掛け声倒れにするのでなく、より実のあるものとして次世代へと繫げていくことができるかどうかは、この10年ほどの状況で決するでしょう。

私はある意味で覚悟しなきゃ、とは思っています。
日本はとことん沈下していく。破滅願望ではありませんが、時代状況を冷徹に見れば、状況を座視するならば、その道もただの脅かしでは無いというのが偽らざる現状認識の1つです。
沈みきったところで、やっと気づく、という最悪のシナリオです。

そこまでいかなきゃ、自身の立ち位置が見えない。
そこから新たに起ち上がる、まさに70年前に日本が迎えた状況の繰り返しです。

ここからは本稿のテーマを超えるものになるでしょうから、これ以上筆を進めることはしません。

あえて結語的なことを言わせていただければ、日本が有する強力な産業技術の資産とファンダメンタルズ、そして有能な人的資源、これをどのように活かし、未来をたぐり寄せるかは、島国の閉鎖的な次元を越えた世界戦略を、知の力と匠の技で切り拓くことができるのかどうか、政権がバラ撒く成長戦略に右往左往するのでは無く、民間の力を結集させ、打って出ることができるのかどうか、というところなのでしょう。

いくつものコメントで奮い立たせてくれたキコルABEさんのややペシミスティックな知見も、ほぼその通りであったとしても、そこで指摘されるような論理、振る舞いでは立ちゆかなくなること、必定です。

若者の奮起が求められることだけは確かでしょう。
本テーマでの関わりを越え、周囲を見渡せば、私の観る限りでも、有能で未来を感じさせてくれる人材は出てきていますので、心配は無用でしょう。

大人たちは、それらの芽を潰さぬよう、求められれば、必要に応じてサジェスチョンしつつ見守ることです。

9回に渡るシリーズ、お付き合いいただきありがとうございました。

Blog的記述の制約とは言え、とても読み返すに値するものではないヒドイ内容だったと我ながら思わされますが、思いの一端でも伝われば望外の喜びです。感謝を!

おわり

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hr

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  • 家具金物、工具・刃物、機械、資材・機材が先端開発、更新されるのは、リグナハノバー、ケルンなどのメッセにいくとショックをうける。ミュンヘンのPATAMTがEuroPATAMTになり特許記録、サービスシステム、産学パワーなど知的総合基盤が違うことに身震い。図書・文献は桁違い。技能訓練校を環境系大学へ吸収昇格する事も無い国では、真似できない哲学的ベースも。パクリマスターしたころには、先に進み追随できないパターンの半世期から方策・オペレーションは何処にありや、なしやと。室内・家具産業・木機工・前か工連、みなつぶれましたが、クラウド木工サイトに活路を見いだしませう。終了天晴れ、目出度し。連れ買いしてしまう酔い記事、いとあはれ。

    • キコルABEさんの難解さは、隠語、造語の多様を越え、ドイツを中心とする家具産業・デザイン、そしてジョイント技法の歴史的推移など、そのフィールドの広さ、あるいは深さからのものであることは明らかなるも、さらに国内家具産業への批評的な視座が360°全域、さらには周縁へとわたることなどからのものでしょうか。
      これは本論考で風呂敷を広げすぎたことゆえのものでもあり、反省多としているところです。
      いずれにしろ問題の根は深く、手に負えない領域でもありますが、しかし目を見開き、立ち位置、座標軸を確固として打ち立てれば、日々の仕事の範囲でも、世界は開けてくるはずです。
      ABEさんのWeb上で公開されているデータ、論考は1つの指標になりますので、ここに分け入っていくことにしましょう。

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