工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

4年目の3.11に思う

2011.03:石巻、峠道から雄勝町を望む、津波に洗われた一帯

2011.03;石巻、峠道から雄勝町を望む、津波に洗われた一帯

あの時、そして4年を経て

あの時も今日のように真冬の厳しい寒さだったように思う。極寒の中での逃避行、凍るほどの冷たい津波に洗われ、凍えながら救助を持つ数万人にのぼる人々らが逃げ惑う、想像を絶する震災だった。

震災後の関連死を含めれば、20,000人を越える犠牲者を出した3.11東日本大震災。
あらためて、お亡くなりになった方々、ご遺族の方々に深く哀悼の意を表します。

救出の手が伸びなかった、あるいは震災後の救援が不十分な状態で死を招いた事例も多いと言われ、無念の涙に沈む親族の哀しみは、4年を経てもなお、癒やされるものでは無いと思う。

2011.03:石巻市中心街沿岸部

2011.03:石巻市中心街沿岸部

あの3.11の旬日後、ろくたるさん、ホリちゃんらと、支援物資満載で赴いた石巻だったが、設置したテントも降雪に潰され、あるいは突風にテントの骨が折れるといった、過酷な気象状況の中での支援活動。

熱気に燃えていた私たちはともかく、全てを失い、途方に暮れ、佇むだけの被災者にどれだけ暖かい手が差し延べられたのか、今でもその頃のことを反芻することがあったりと、この時期になると胸が締め付けられるようで心が重くなる。

4年を経、TVメディアなどからは、女川市街地に代表されるような復興の槌音高らかに響く報道も多く、しかし未だなお仮設での避難生活を送る人々が230,000人にも達するという報道に接すれば(河北新報)、心穏やかならざるものがある。

あるいは、復興の槌音高らかに響くとは言っても、復興事業の大部が土木事業に集中しているらしいであるとか、村井宮城県知事による「創造的復興・東北メディカルメガバンク構想」なるものが、いわゆる「東北ショックドクトリン」ではないのかと指摘する古川美穂氏の論考を読むと、きらびやかな巨大な専門的医療施設が作られはしても、どれだけ被災者に寄り添った復興になるのだろうかという疑念は晴らせてもらえない。

「アンダーコントロール」のその実態とは

2011.03:石巻市日和山公園から望む

2011.03:石巻市日和山公園から望む

そして何よりも復興を遅らせている最大の課題が福一であり、そうした現状を身捨て、現在運転停止している原発を、川内、高浜などから、この5月にも再稼働させようとする国の、理解不能とも言うべき妄動には、評する言葉さえ見つからない。

理解不能と言えば、かつて、巨大な環境汚染で地域住民の生命を脅かした数々の企業犯罪は訴追され、有罪の司法判断が下されたものだったが、福一の事業主体である東電幹部へは、なぜか未だに誰1人として訴追されたとは寡聞にして知らない。

福一周囲一帯から、全国へと、あるいは地球全域へと放出されてしまった放射性物質ブルームは、「無主物」[1] であるとする見解、法的判断の新聞報道に接したときは、我が眼を疑い、腰を抜かすほどに驚ろかされたものだが、そうしたおぞましいまでの非人道的な姿勢、日本を代表する大企業とも思えない非倫理的な企業理念といううものは、未だなお、何も変わっていないようだ。


高濃度に汚染されたプラント施設屋上の雨水などが、外洋へと漏洩していたことを隠していたことが報ぜられ、漁業者の怒りは沸点にまで上がったのはつい最近のこと。
誰1人訴追されないばかりか、その隠蔽体質、企業防衛、利益優先の反市民的な体質は何も変わっていない。変わろうとしない。
できることなら、どこまでも騙し続けたいかの如くに。

これが安倍首相が世界へ向けて宣言した「アンダーコントロール」なるものの実態であることに、疑惑の眼差しを寄せる世界の人々を前に、ただただ恥じ入るしかない。

放射性物質の漏洩は、半減期とともに、その数値は軽減していくのだろうが、しかし毎日のようにプラントに流入する200tと言われる地下水はメルトダウン、メルトスルーしたドロドロの核燃料に汚染され、立錐の余地無く建造されたタンクに収めようという企てにも、やがては限界がくる。

あるいはこの汚染水対策の決定打と喧伝されている凍土壁なるものもその建造そのものが無理であるとの報道に、誰もがやっぱりダメじゃん、と諦念の言葉を漏らし、後ろを向くだけという哀しさ。

私自身も大変懸念していた4号機の核燃料プールからの1,533本の燃料棒の取り出し作業は、すべて昨年末に終えたというので、安堵したものだが(東電Webサイト)フランスのアレバ社の除染装置で散々な失敗に終わったのを受けて製造された、東芝の「ALPS」には期待を繫いだものの、トラブル続きで、運転している時間の方が少ないという有り様(東洋経済)で、40年掛かると言われている廃炉へ向けての作業も、そのとば口辺りで四苦八苦している感じで、途方に暮れる。

廃炉作業のとば口と、東電の企業体質

今日の夕方のNewsでは、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」は、廃炉作業の核心的部分になる、溶け堕ちた燃料の取り出し作業につき、格納容器自体の過酷な破損で、放射線を閉じ込める水を満たすことが出来ず、別の方法を取るしか無いのでは、との検討に入ったとのことで、40年掛けての廃炉へ向けたスケジュールは見直されるとの報道がきていた(NHK)。

事ほど左様に、廃炉へ向けての作業の困難さは想像を絶するものがあるようだが、問題はむしろ、後から後からと、困難さが小出しに出されるという、その手法の稚拙さ。危機的事態への向き合い方があまりにも安全サイドに力点を置くために、当然にもやがては破綻するという繰り返し、最悪のパターン。

ところで、この東電の福一過酷事故へは、誰1人として死者は出ていないじゃないか、と、このBlogへのコメントでも言われたことがあったと記憶しているが、とんでもない暴言だ。
放射線汚染により、周囲一帯数10kmにおよび、立ち入りを制限された状況の中、救出の手が及ばず、本来であれば救われた命の数もたくさんあっただろうし、あるいは震災後間もなく、「原発さえ無ければ・・」と書き置きを残し、死を選んだ牧場経営主の話には、多くの人が涙したものだ。

また、福一での廃炉へ向けた様々な作業においても、作業員の高所からの落下による死亡事故も報告されていて、これもまた関連死と呼ぶべきものと言えよう(東電の隠蔽体質は、こうした事故報告においてもあるのだろう)。
最近のものでは、安全帯を装着していなかったことでの落下死であったようだが、これもスケジュール優先での過酷な作業による被害と言われている。


しかし、人の口の半減期だけは早いようで、こうしたことへは誰も見て見ぬふりであるようで、メディアも伝えなくなって久しい。

あまつさえ、2020年の東京五輪の競技の1つぐらい、福島でやりたい、などと抜かす関係者があることには言葉を失う。
たぶん、福一への危機意識は、当事者、当事国の日本より、海外の人々の方に正しい認識があるのかもしれないと思わされるほどだ。

どういうことかと言えば、誰も責任を取らず、放射性物質による汚染を止めるに至らず、しかし再稼働するんだと言うし、東南アジアから中東へ向け、積極的な原発輸出外交を繰り広げていることに、日本という国は、日本の市民というのは、いったい何を考えているのかと、他国では巷のバーの片隅などでひそひそと話されているに違いなく、余りのわからなさには〈フシギノクニ、日本〉と、その汚名は定着しているんだろうなと思うと、やりきれない。

元通産官僚・古賀茂明氏の〈I am not ABE〉と言いたくなるのも、良く分かるというものだ。
一緒にしてもらっちゃ困る。


数日前、来日したメルケル独首相の、「日本とともに原発から新エネルギーへ」との鮮やかで希望に満ちたメッセージ[2] [3] は、彼の国のスマートな国柄をあらためて教えられるものものだったが、ただただ羨望の眼で魅入るだけで、翻って、我が国の原発への固執は、とても同じ時代を生きている国のものとも思えず、恐竜時代か、氷河時代かと思わされるほどに、現政権には先見性が微塵も感じ取れず、鬱々とするばかり。

しかし両首脳による共同記者会見の場で、記者からの質問に「再稼働します」との明言には、良く恥ずかしくも無く並び立っていられるものだと、その厚顔無恥さに感心させられる。

一国の政治リーダーともなれば、時の経済界の意向を受け、政策誘導することもあるだろうけれど、数十年から数百年にわたり影響を及ぼす課題であったり、人命に関わることであれば、やはり優れた洞察力と政治哲学が求められ、軌道修正すべきとなれば、大胆に既得権益との癒着を断ちきり、新たな道を切り拓くため、勇気を持って踏み出すと思うのだが・・・、無い物ねだりと一蹴されてしまうのだろうか。

4年の時の流れ

2011.08:気仙沼市、沿岸から市中へと打ち上げられたままの「第18共徳丸

2011.08:気仙沼市、沿岸から市中へと打ち上げられたままの「第18共徳丸

時の流れとは、置かれた状況により、受容のされ方が様々であることも当然なのだが、3.11という特殊具体的なものにあって、余りの位相の差に言葉を失う。

政府主導の情報操作によって、3.11がもたらした過酷な状況はどんどんと後景へと追いやられている。

一部では高い線量があるにもかかわらず、国道6号線は開通され、昨日は常磐線の全線開通を決定した(河北新報

そして、アンダーコントロールだから、平気だから、再稼働しちゃおうとの方針だと。

一方では各地に避難している被災者にとってのこの4年は、やはりまだらな状況を呈しているのだろう。
働き盛りの年齢層では、被災地に見切りを付け、他の地域への移転を選択しているし、崩れ落ちるままに家屋敷を捨て、避難生活を送る高齢者にとっては、やはり帰宅できる時期が来れば帰りたいと思うのは、痛いほどに理解できる。

放射線のリスクが無くとも、余りに遅い復興、集落の再建で、帰るにも帰れず、厳しい居住環境の仮設で心身ともに疲弊し、少なく無い人が病に倒れ、中には自死を選ぶ老人もある。

2011.08:陸前高田の沿岸部の林(赤茶けたところまで海水に浸かったと思われる

2011.08:陸前高田の沿岸部の林(赤茶けたところまで海水に浸かったと思われる)

復興の遅れには、土木、建築の作業員が2020年東京五輪などの事業へと振り向けられてきつつあることも影響しているとのことだ。

こうした齟齬は年を経るごとに、表層へと浮かび上がって来るのも容易に想像できる。

日本は列島全域に地震の巣が眠っている。いつ起きてもおかしくないと言われる東南海地震以外でも、再び三度、いつ何時、過酷な震災が起こるかは、誰も知らない。
しかし起きることだけは確かなこと。


そうした列島に生きる私たちは、この震災に学ぶべき事は山ほどもあり、またこれを学ぶことでしか、20,000人という犠牲者の悔しさに応える術は無いのだろうと思う。

そうした立場とは180度異なる、原発再稼働という愚劣な判断に邁進する私たちが戴く政府には呆れるばかりだが、これがしかし現実であれば、それに向き合うしか無い。

私は311直後、震えながら布団の中で広げたのが『方丈記』(鴨長明)だったが、4年後の数日前、『方丈記私記』(堀田善衛)を読み進めた。
ここには『方丈記』(鴨長明)を引用しつつ、1945年、大空襲により灰燼に帰した東京を歩き、そこで見聞きした過酷な状況、そして日本人というものの深層へと分け入り、思考を巡らす堀田の姿が活写され、胸に響く。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。

淀みに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。

世の中にある人と住家と、またかくの如し

3.11直後の石巻への緊急災害ボランティアに名付けた私たちの名称は《Esperanza》だった。
日々、希望を剥ぎ取られそうになる現実は如何ともしがたいものがあるけれど、
希望を失ってしまっては明日は無い。

また、明日から《Esperanza》を掲げ、歩んでいきたい。


参照:NHK原発事故 4年目の決断〉(被災地の今がドローンによるものと思われる空撮で展開され、これを背景に「避難者の決断」としてビックデータに基づく、様々なデータ解析が示されます)

《関連すると思われる記事》

♦ 脚注
  1. 無主物とは、ただよう霧や、海で泳ぐ魚のように、だれのものでもない、という意味だ。つまり、東電としては、飛び散った放射性物質を所有しているとは考えていない。したがって検出された放射性物質は責任者がいない、と主張 []
  2. die Bundesregierung []
  3. ハフィントンポスト []
                   
    
  • ドイツを手本にしてきたこの国の政治家や学者、企業人はもうパクリ続けず、どこかで道を外れました。システムというのは、都合良く一部分をコピペするのでは機能不全しますね。木工・建築は鎖国から出た時に、優れた棟梁を排除して洋化制作をして在来とさげすみました。今、そのツケが極まるところまで来ているのでしょう。では、どうする。インチ木を見定め、一粒づつ変米ゴミをとることを続けるという当たり前のことを途方もない作業を続けていきます。DIN( どいついんだすとりあるのーめん) 独工業規格の威力、ゲルマン森の民族の本質をみせつけられました。真似する所を間違えたのではなく、いい加減に作り替えた掘っ立て小屋では無理な耐震性、思想力を感じます。

    • ABEさん、いつも的確なご指摘、目が見開かれる思いがいたします。

      この国の近代化は「和魂洋才」として、その本質の一端を表すことも多いわけですが、やはりどこかに“木に竹を接ぐ”嫌いがあることも否めません。
      福一などは「洋才」をまるごと受け入れ、設計から施工まで丸投げだったようですが、しかしその設計思想の深度(近代科学の奥底にある、ある種の本質)においては、簡単に学べるものでも無かったためか、失敗しちゃいました。

      私は常々、日本の近代化における「跛行」(幕藩体制を覆す革命ではあったものの、市民社会の成熟は置き去り、といった諸々の特異性)を問題意識として持ち続けているのですが、そこまで遡及しなければ、福一過酷事故への真相には迫り得ないのではと考えるところがあります。

      >真似する所を間違えたのではなく、いい加減に作り替えた掘っ立て小屋
      やはり安易なコピペでは、やがては破綻し、しっぺ返しを受けるのは歴史が教えているところです。

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