工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

「晩年」の仕事と身体

このところ体調は良く、仕事にもストレス無く勤しむことができている。
忘年会などでの同世代の話題には、胃を切ったとか、肺は片方しか無いとか、医者から酒を止められているとか、そんな話が飛び交い、老人会でもあるまいにと大笑いする。

私も住まい兼工房の建築、転居という一大事業に専念する過程で、身体への酷使があったためか、あちこちに怪我やら歪みやらで、弱っていたことも確か。
それまでであれば、休息したり、温泉に浸かったりと、安易な対応で事足れりとするところだが、あることを切っ掛けとして、そうしたパッシブな方法から脱却し、体調を整えるべく、日々、トレーニングに精を出すことにした。

トレーニングとは言っても何も大げさなことではなく、ジョギングしたり、筋トレしたりと、自力で簡単にできるものでしかない。

それでも、1kmほどで脚に痛みを感じ、体力の減退に嘆くところからスタートし、これが3kmに伸び、5kmに伸び、と、少しずつトレーニングの効果も認められるようで、一人ほくそ笑んでいる。

40代くらいまでは、そうしたトレーニングで身体をいじめ、楽しむことも日常だったのだが、仕事が忙しくなるにつれ、あるいはそれを言い訳として、徐々に遠ざかり、結果、惨憺たる体力に落ち込んでしまっていたようだ。

加齢と共に体力が減ずるのは仕方が無く、抗いがたい現象ではあるのだろうが、しかし多分に身体のメンテナンスを怠ることによる劣化というファクトが実は大きいのでは無いかと思う。

同年の集まりでも、多くの者が仕事をリタイアし、忘れかけていた若い頃の趣味を再開したり、夫婦での旅を楽しんだり、地域のボランティアに汗を流したりと、「晩年」の生活をエンジョイしている者がほとんどだ。

たんまりと給付された退職金ににんまりとし、イタリア製の自転車を手に入れ、颯爽とペダルを漕いだり、垂涎の眼で眺めていた釣り具を手に入れ、渓流に出掛けたりと、リタイア後の余暇をエンジョイするというわけだ。

私のように現役で仕事に従事している者は多くはない。

無論、そうした「晩年」を楽しむためにも健康は必須の要件となるが、私のような現役で、しかも重量物を自由に扱うような場面もあるような職域では、何よりも頑健な体力の維持と、体調管理が欠かせない。

デスク脚部の加工

デスク脚部の加工

私は20年近く喘息を患っているものの、さほど深刻なものでもなく、服薬治療を継続することで発作は抑えられているし、内臓系の疾患は皆無。
多少、オツムの調子の問題がある程度で、至って健康体であるので、体力を維持しさえすれば、暫くは、木工を楽しむ人生を続けられるはずだ。

2011年の3.11をめぐる苦難の時代、ボランティア活動から帰還した数ヶ月後、体力の衰えを自覚せざるを得ないことがあり「このままじゃヤバイなぁ」と、思ってはいたが、仕事の忙しさにかまけ、何らかのアクションを起こすこと無く推移していた。

しかし、工房の環境が改まったこともあり、あることを切っ掛けとして踏み出すことにした。

ジョギング、筋トレの他、電車などでの短い距離の移動の際は、席が空いていても座らない、駅の階段はエスカレーターに乗らない、などと、身体への負荷を意識したライフスタイルに切り換えつつある。

大枚はたいて工房を改めたわけで、元を取るとまではいかずとも、それにふさわしい内実と、継続性を持たなくては、意味が無いということもある。

私たちのような職能が求められる仕事というものは、仕事の内実の蓄積がモノを言うところがあり、若い頃に難儀していた加工工程も、いとも簡単に成しうるようになり、加工工程におけるムダが削ぎ落とされ、合目的的に事を進めることができたり、あるいはさらには、造形における稚拙さを回避し、良いバランスと、美しいラインをたちどころに描くことができるようにもなってくるものなのだ。

ここまで到達した職能というものを、はい、あなたは○△歳になったので、仕事は辞め、余生を楽しみましょう、と、安易に捨て去るわけにはいかない。
もったいないでしょう。

「ご主人、このところオイラの身体は悲鳴を上げています。そろそろ辞めても良いのでは・・・」と、心の奥底から囁かれるまでは続ける、というのが「正統」な「晩年」の過ごし方というものでは無いだろうか。


先日、訓練校の恩師と電話でお話しさせていただいたのだが、私より数年若い先生だが、公職をリタイアした後、最近では家具制作に勤しんでいるとのこと。

生徒への技能指導、学校管理の煩雑業務など、心身ともにタフな環境での仕事で疲れ切った人生だったろうことは想像に余りあるが、やっと訪れた「晩年」にたっぷりとした自分の時間を木工に費やすという選択は、恩師らしい振る舞いだろうと思っている。

こう言っては失礼だが、我々とは違い、公務の期間、恵まれた待遇があり、今後もたっぷりとした年金給付もあるだろうから、あえて辛い仕事に入ってこずとも、豊かな「晩年」を送ることもできる。
しかしそうではなく木工に「晩年」を充てるという人生の選択は、「木工」なるものが持つ「魅力」、あるいは「木工という人生」のある種の本質を観る思いさえしてくるではないか。

例えそこまで大仰に捉えなくとも、現在の経済社会で気分良く働くと言うことは、実に難しいことであるだろうから、それらとの比で考えれば、単価が厳しくなる一方の現実はあるとは言え、「天職」として働く者としての尊厳を奪われること無く、好きな仕事に打ち込めるだけでもありがたいと思えるものだ。

小泉政権をターニングポイントとして始まったネオリベ経済社会の席巻による労働現場の荒廃は、不安定な雇用関係、株価の昂進とは全く無関係な労働賃金の切り下げとして結果し、アベノミクスとやらの表層の「輝き」とは裏腹に、働くことが忌むべきものとして労働者を苦悩させている。

リタイアした後の高齢者向けの低賃金での再雇用の現場もまた似たようなものであることを考えれば、自らの職能を活かし、モノ作りに励むことができるということだけで、とりあえずは日々充足できるだろうし、明日への希望を見失うことも無いはずだ。


私とて、いくつかの趣味を持ち、それらに打ち込める日々を待ち望むということもあるし、買うばかりでページさえ開かず、ただ積み上がっていくだけの書籍を読破したいという欲望も失ってはいない。

しかし、そうした欲望より、木工の現場で木に向き合い、働くということに、より強い人間的な価値と喜びを見出すというのが、偽りのない私の生き方なのだろう。

さて、2015年も終わり、年が改められる。
体調も良いわけで、ますます元気に、良い仕事をと考えている。

実はまだまだ自宅の造作や、作業環境の整備などが残ったままで、そうした残余の制作業務を進めつつも、注文仕事にも専心し、さらには新たな構想にも取り掛からねばならない。

身体とともに刃を錆び付かせず、良く研ぎ、職能をさらに鍛えつつ、良い仕事を積み重ねていきたいと思っている。

2016年、佳い年を、と締めたいところだし、周囲では2020年五輪へ向けての需要喚起の話もチラホラ聞こえてくるものの、安倍政権下では期待できる材料など無いものと考えておいた方が良い。
耐えに耐えて、厳しい時代を生き抜いて、どん底から這い上がる自力を付けておく時期と見做し、慌てず騒がず、静かに、胆力を鍛えておこう。

若者にとっては大変厳しい時代だけど、夜が明けない闇も無いと考え、友や、周囲の仲間を大事に、自分を信じ、弛み無く生きていくことだ。

2015年、読者の方々には大変お世話になりました。
心からのお礼を申し述べます。

直近に納めたデスク

直近に納めたデスク


《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 工年季 香年気 抗年機 厚年喜 巧寝希 幸然期
    巧念来 更年木 高念希 来年もまた好燃機
    善い酔い良いしごとの一念でしたからたいしたもんです。
    「恵来」「恵良胃」良い食事がだいじですね。
    ロクタル先生はちゃんとたべているんだろうか。

    • 男性にも更年期とやらがあるというのが、定説になりつつあるようですが、私の場合、“迂闊”にも、無自覚に経過しちゃったみたいです(まだまだ、あっちの方も元気ですしね)。
      適度な量の酒、1日3〜5杯の珈琲、良質タンパクの栄養摂取、これらが元気の素でしょうか。

      ロクタルさんは心配無用かと。
      世話焼いてくれる人もいるようですし、自力でも生きていけるサヴァイバルな人です。

      キコル修羅ABEさまには、謎めいたコメントも含め、1年間、Blogを賑わせてくださり、深く感謝いたします。

      本文にもありますが、どうぞ健康には留意され、「晩年」をより有為な時期としてご活用いただき、それらのエッセンスを我々にも分け与えていただければと心から願うものです。

      J・クレノフ氏の「晩年」は、ややエキセントリックな言辞などで周囲を惑わせたり、刺激させたりと、なかなか興味深い振る舞いを見せてくれたようですが、いわばそれまで纏ってきたしがらみ、あるいは属性から自由の身となり、ある種の本質をさらけだして提示してくれたという解釈もできるのでは無いでしょうか。

      だとすれば、「晩年」だからこそ許されるという領域もありそうですので、過激に、若者を刺激し、生き様を見せるのも一興かと。

      来る2016年も、どうぞよろしくご指導ください。

  • 諦念・定年フリー 賞外現役めでたく
    ボーナスフリー 賞罰無縁
    財布はいつも素通りでかるく
    木目芸術にひたすら溺れ
    空腹をわすれるほど
    毎日往き生き
    鉋研ぎ

    資源環境生物絶滅時代の最高贅沢な営為は
    自分の森を持ち、木を切り刻む仕事
    木樵は最高責任名誉労働者
    貴輝希喜

    ベンスリーでもなくスイスクロノメーターでもなく
    霜降り豪牛でもなくスマホTVもいらない
    戦争飛行機もいらない
    原発もいらない
    P2.5もいらない
    消費税も入らない
    添加物どっさりパンもいらない
    補助菌漬けはいただけない
    ほしくないものばかりの21世紀
    古は
    レバノン杉を切り尽くして棺桶宮殿をつくり
    いま戦場
    森を伐り尽くしトイレットペーパーにかえ
    バイオ発電のチップを燃やして
    山荒れ、はげ山の一夜

    わんだふるふる雪がフル
    詠み人の震えやまず
    おりさげ酒
    うまし

    望あれ駿河に浮かぶ桜エビ

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.