鉋掛けという工程について(その4)
被加工物としての木材(有機素材ならではの物理的、美的な素材)を活かす切削の道具
この項は、前々回でも詳しく触れてきたところですが、家具調度品を作るにあたり、その素材を木に求める、というのは、何よりもまず、工作に容易で、適格性を持った素材として、人間生活のとても近いところにあったのが木だった、と言うのが第一義的だったのでしょう。
あまりに凡庸な回答ですが、生活雑記から建築に至るまで、人間生活にあって、古来よりもっとも近しく使われてきたのが木であったことは事実であり、現代においてもなお、これは自明なことなのです。
「自明」と言い切るのには、いささかの戸惑いは隠せません。
現代とは工業社会から製造される生産物がそれまでの自然から由来されていた素材に全面的に代替されてきた社会であるからです。
自然由来の、非合理的でファジーな素材は工業化社会には適正を欠き、扱いにくい素材であり、工業製品に代替されていくのは工業化社会にあっては必然的な宿命なのです。
私たちは工業製品がもたらす恩恵にあずかり、至便な生活を送ることにシアワセを感じつつも、しかし一方、自然由来の素材や、それらで構成された品々に魅入られることも事実です。
都市空間のきらびやかな世界で活動するのが現代人のライフスタイルであるのですが、この張りつめた緊張状態、こわばった心身をを弛緩させようと、人々は自然を求め、山へ海へ、温泉へと向かうわけです。
都会生活であっても、帰宅すれば木で作られた椅子に疲れた身体を預け、木で作られたテーブルで酒を呑み、食事を摂る。
人が人であるからには、そうした均衡が必要とされ、これを上手に取り込み、楽しむことができれば、明日への希望も湧こうというものです。
つまり、現代社会というのは、工業化素材で全てが代替可能な社会ではあるけれど、人は自然由来のモノに慈しみを覚え、人らしくあろうとするものなのです。
そうであれば、そうした思考、ライフスタイルにふさわしいモノ作りこそ、私たちに与えられた課題であるのでしょう。
ただ木を素材とし、手作りで作ったからと言って、即、それにふさわしいモノだというわけではなく、木を用いることの意味を深く自覚し、素材を活かす手法でのモノ作り、仕上げ法を意識するということでしょう。
手鉋を駆使する、ということは、これに近づく最良な考えということになります。
キコル修羅ABE
2016-2-6(土) 09:45
木イメージ広告 HERMÈS 1998 – 2012 「地上の美」を思い浮かべます。
皮・織り物繊維は最高ですが、「木の美質」は囓り程度です。
商品創作担当が鉋の味わいをマスターするまで
まだまだ時間がかかると。
木目の美の本質を知る
至福な時間を堪能し
作品を手掛ける
有り難い
手仕事
在蟻
椹
artisan
2016-2-7(日) 00:17
HERMÈS 1998 – 2012 「地上の美」
ABEさんのWebサイトにて拝見しましたが、ハイエンドのバッグの広告にあのような雄大な自然を背景に置くという戦略に、ブランドのブランド足る所以を感じ取りましたね。
今回の鉋に関するシリーズは、もう1回ほどで終わりにしたいと考えているものの、どのようなまとめにすべきか、未だ定まりません。
ただはっきりしていることは、木工の拓かれた可能性、
あるいはJ・クレノフが手づから鉋を自作したように、手鉋の魅力というものを再確認するということでしょうか。
キコル修羅ABE
2016-2-7(日) 23:35
後はお任せ、ほいほい。
ハイ、エンド梨。
頭から出すと
湧きでるが
ド玉の
運命
槙