工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

“プロダクト的思考”と“手作り家具”(その2)

知人木工家の廃業

過日、松坂屋への搬入作業を手伝ってもらったHくんの工房を訪ねた折、いわゆるスカンジナビアンスタイルのワークベンチ(作業台)が鎮座ましましてあったのです。
御主、やるな、と訊ねたら、廃業してしまったSくんによる自作の物だったのが流れてやってきたということで、なるほどと合点がいったのでした。

実は私もこの廃業した若い木工家とは交流があり、起業時にはローズウッドの板をプレゼントしたりと、その誠実な人柄と努力家としての資質から期待を掛けていたものです。

ただ工房は70kmほど離れた場所と言うこともあり、その後の活躍ぶりは風の便りで聞く程度で、廃業の連絡があった時は、いささか驚かされたものでした。

この廃業との報せには驚かされる一方、仕方なかったかなとの思いも実はあったのです。

彼の場合、コンピューターワークが木工に就く以前の仕事から得意だったようで、そちらの方へと転身していったのですが、早く見切りを付けて良かったのかも知れないと思ったからです。


さて今日のテーマですが、彼のような誠実で努力家の木工家が廃業を余儀なくされた背景の1つに、木工作業における低い生産性が生業として成立する限度以下だったことを、残念ながら挙げざるを得なかったという問題です。

もちろん、家具制作を生業にする場合、いくつもの領域における一定水準以上の力が求められるわけで、制作作業における生産合理性はそのうちの1つでしかないかもしれません。

あるいは、そんなものは重要な要素で無いばかりか、オリジナリティ豊かなものを産み出すに当たっては阻害要因でしか無い、などと否定される人もおられるかもしれませんね。

今回はそうした特殊な制作スタイルに関してはひとまず横に置かせていただきます。

何より、私は彼が修行したK工房に3ヶ月ほど在籍していたことがあり、また彼の工房において、制作途上のパーツに施された枘などについて、本人とディスカッションをしたこともあり、そのスタイルを知る立場にあったからです。

加え、静岡という家具産地ならではと言っても良いわけですが、中堅どころのメーカーの下請けで糊口を凌いでいたことで、そうした業務内容からして、生産合理性を追求しなければとても採算を合わせるのが至難という環境にあったからです。

家具産地の木工職人 vs 産地とは無縁の木工職人

少し余談になりますが、家具産地における工房と、そうでない地域の工房の運営にはかなりの違いが認められるのではと思います。

どういうことかと言いますと、家具産地であれば、下請け業で糊口を凌ぐことも可能であることはご理解いただけると思います。

この下請けに甘んじてさえいれば、とりあえず仕事は回ります。

でも、工房スタイルで木工に勤しんでいる多くの職人もまた、自身の看板を背負い、自立的な仕事をしたいと構想し、グループ展などの機会があれば積極的にオリジナリティあふれるものを造り、晴れのお披露目の場に意気揚々と出展する人も多いことでしょう。

しかし普段の仕事内容が下請的な業務内容で展開され、さしあたってそこで充足してしまうこともでて来るわけです。
自身が置かれた諸般の状況下、経営安定を図るには、この下請け業が理に適っていることは否定しがたいのです。

経営安定に留まらず、その職人の技能が買われれば、相応の高度な技法を要求される魅力的な仕事を任されることも出てきますので、職人的な充足感も満たされるということになります。

そうであれば、作家的な厳しい状況に自己を立たせるということからは無縁でいられ、自身のオリジナルなブランドを打ち固めていく願望からは日一日と遠ざかってしまうということも避けがたいでしょう。

あえて困難な道を歩む必要性も無いというわけです。

他方、こうした下請的な仕事がその地域で無い場合、産地での、のほほんとした環境とは大きく異なり、自分で仕事を作っていかねばならないわけで、厳しい工房運営を強いられるのは必至でしょう。

その結果、強い自意識と、能力と、粘りがある人が生き残り、自己のブランドを洗練させ、社会に打って出る道をこじ開ける木工家として名を成すことにも繋がるというわけです。

これはあくまでも一般論であり、個別具体的な話になると、様々なケースがあり、一様にそうであるとは言えないまでも、そうした環境であることは否定しがたい実態があります。


さて、このS君の木工を対象として、本人と議論されたことは以下のようなものです。

  • 框組の加工に習熟していない(正しく理解されていない)
  • 木取りにおける寸法基準が多様に過ぎる
  • 設計上、枘の割り付けの非合理性
  • 教育訓練の問題(親方の問題)

それぞれ、少し詳しく考えていきたいと思います。

※ んが、明日から松坂屋での個展の追い込みになり、数日、更新ができません。
あまり遅延せぬよう、いたしますので、悪しからず。

まだ、会場に来られておられない方、ぜひ、お越しいただき、声を掛けてください。

会場立ち会いは以下のように予定しています。
04/16、17、19(最終日)

実は、かくいう私も家具産地での起業だったわけです。
確かに産地であることの恩恵に浴してきたことはその通りですね。
機械屋も充実していれば、北海道に本社を置く家具材専門の材木屋も数社展開。
もちろん、関連業も充実していますので、これらからもたらされる潤沢な資材などは、インターネット環境が整備される以前では、産地ならではの恩恵があったことは確かです。
ただ、私はひねくれ者であるためか(本人は至ってまともであると考えているのですがね)、この地で展開される家具製造メーカーの下請けをしたことはありません。
起業初期の頃は、地元の家具店の特注家具を請けていたことはありますが、間もなく、自身のオリジナルのみでやっていくことを決断したのでした。(この判断にはいくつかの理由がありましたが、機会があればまたそれらについても触れていくことになるでしょう)

hr

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    遠州仁気質は
    やんちゃで
    押せ介好
    新し物
    不徳

    親方は打算
    新参は理髪
    仁義無縁離
    三界皆我有

    人にめぐ丸は幸いなり
    難事に遭うもまた修行
    尋ね行くことまれなり
    道中つれあいにぎわい
    音楽者もなみ師事あり

    仕事行方不明のキコリーズABE

    • この後、少し具体的に問題の所在を考えていく積もりですが、ご指摘の師匠から弟子への技法体系の伝授の在り様が、現代社会において大きく変貌していることは確かで、ここに問題の核心の1つがあるでしょうね。
      手業の領域ならではの子弟間の伝授のスタイルは、現代社会においては一件非合理に思えますが、実はその非合理性の中に真実の一端が隠されていることは確かでしょう。

      そうしたスタイルが現代社会ではなり立ち得ず、崩壊せざるを得ない中にあって、これに代わるものをどこに見出すかの決定打は、たぶんなくて、せいぜい公教育機関にかろうじて委ねることができるかどうか、ですが、それすらも、文科省、あるいは厚労省においても、ほとんど予算措置の対象からは外されているのが現状。

      これは為政者や官僚に、問題意識が欠如しているだけではなく、現場の我々にしても、危機意識が足りなかったり、説得性を持たせるだけの言葉を獲得し得ていないという問題に突き当たることもあるわけで、相当に深刻と言うべきかも知れません。

      もっとブッちゃけた話に戻せば、このネット社会ならではの安直で浮薄な「学び」の姿勢も技法の限りない希釈な解釈と拡散で罪深いものがあるかもしれません(私もその片棒を担いでいるとすれば、同罪であるわけですが・・・)。

      しかし結局は個人の資質であったり、学びの姿勢を持つ人はいつの時代もいるでしょうから、そうした稀なる人を通して、生き残っていくものでしょう。
      例え、今の時代にあって困難な道筋であっても、木工の魅力に取り憑かれ、その最良のエッセンスを獲得しようと挑む若者は出てくるでしょうし、

      そうした豊かな可能性を持った若者を支えていくのが、私たち木工で生きてきた世代の使命でしょうか。

      私などは仰るように、かなりのお節介で、訊ねてくれば、何でもオープンに伝えていこうという姿勢は持っていますが、ただ、それにふさわしい資質を有していないというのが哀しいところではあります。

  • 遠州仁気質に
    押しが強い
    おおらか
    優しい
    都下

  • 機械刃物がすぐれ
    手仕事熟練せずに
    独立して腕を磨く
    時間ないから一生
    続ける技能は身に
    つかず漂うばかり
    廃業離脱衰亡精算
    はじめる前
    倒れる前に
    先輩ぐらい
    尋ね扉叩き
    道を開ける
    人もありや
    なしや問い
    駿河に浮ぶ
    桜海老哀し
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    生きる方途
    仕事の極意
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    食べていく
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    キコルーズ

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