工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

『組手』(阿部蔵之 著)の刊行によせて

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『組手』刊行の意味するもの

木工界にとっては1つの事件とも言うべき敢行(刊行?)であるかもしれません。

『組手 ー國正流・江戸指物の美ー』が発刊されました。
國正流 十三代相伝・阿部蔵之氏によるものです。

ここに開陳されている『組手』の豊穣なる展開、バリエーションは、指物世界における真髄の1つとも言うべきものですが、このような形でディテールが精緻に立体図版化され、指物師(著者・阿部蔵之氏の先代:阿部明氏)による加工過程の撮影画像まで掲載され、それぞれの特徴を分析的に解読するといった類書の出版は、私としては寡聞にしてしりません。

例えば「木工 天秤差し」の2つのキーワードででググってみればお分かりのように、私のこのBlogの関連過去記事が高いランクでヒットするように、私自身の「組手」への注力は少しは自負するものがあるものの、この『組手』を数ページ繙いていくだけで、そこには全く未知の世界が展開され、その豊穣さには目がくらくらするほどのものがあり、私の天秤差しなど児戯に等しいほどのものでしかないと教えられるのです。

本は100頁を越えるほどの分量ですが、1つの組手に2頁を割き、都合40を越える数の組手を公開しています。


実は私は1985年、この文献で紹介されている組手を新橋のギャラリーで一覧展示されているところを観ています。
この時期、私は木工への関心を強く抱き、転身を図ろうと企てていた頃にあたるのですが、当時はこのBlogに頻繁にコメントをくださる阿部さんが、その企画者兼、出展者であることは知る由もありませんでした。

しかしあらためてこうして上梓されたものを拝観すれば、あれから30年、プロダクトデザインなどの本業を抱え、子育て忙しく、一方、「木の大学」の準備で奔走し、海外の木工関係者とのネットワークづくりに勤しみ、日本各地にかろうじて残っている「木の文化」「木の工芸」などの取材で東奔西走し、あるいは喰えない木工屋がいると聴けばアドバイス(口出し?)に駆けつけるなど、身動きできなくなるほどに自らを追い込み、しかしそんな中から、よくぞここまで諦めること無く弛まずに編集を続けられ、刊行に辿り着いたことを考えれば、本人はもとより、その人となりを知る者からすれば、感慨一入というべきところです。

この『組手』の紹介をどのように切り込んでいくのが良いのかは難しいところですが、ここではその概略的な紹介と、刊行の意味するところを、私なりに解読してみたいと思います。

あえて言えば、私にとっては多くの領域が未知の世界であることで、それ以上に深く切り込んでいくだけのものを持っていないと言った方が正しいわけで、ここでは概略的なものに留め、あとは、この本に直に触れていただくことで、読者諸氏がその世界への扉を開いていただければと思うところです。

《構成》

國正流 変形枘 逆枘の系譜

國正流 変形枘 逆枘の系譜

さて、上述したように、40を越える数の組手が紹介されているわけですが、大きく分けて以下の3つのジャンルで展開されています。

  • 天秤差し
  • 水枘
  • 菊枘

これらは江戸指物への関心を抱く人であれば、

  1. 実際に体験し修得され活用されている、
  2. 3つのうち、1つは活用している、
  3. あるいは見たことがある、
  4. そこまでいかずとも、概念的に理解できる、

などとその理解の度合いは様々でしょうが、最低でも聞いたことぐらいはあるのでは無いでしょうか。

いずれも組手の真髄であり、指物への関心があれば、誰しもがその技法を修得したいと憧れるものでしょう。
それには、精確な墨付け、手鋸の寸分違わない手業、鎬ノミの仕立てと、技能、などといった修得は必須の課題であり、同時にそれを見事に為し得るだけの精神的な強さも求められるという世界であり、決して安易に挑めるものでは無いことも確かです。

しかし、この本、『組手』が特異なのは、それぞれに「逆」の『組手』が展開されているところにあります。

つまり、先にリストした3つのジャンルのものはいずれも1方向へは強力な結合力が働くものの、直交する他方の側へは引き抜くことが可能というものであることは誰しも理解できるところでしょうが、この「逆」は、1度嵌め合わせれば、2度と抜くことができない(例外はありますが)という、実に畏るべき『組手』なのです。

また、それぞれにバリエーションは豊かに展開され、典雅な美の世界を『組手』そのものだけで見せてくれているのです。


江戸指物の美というものも、たぶん様々に語ることができるのだろうと思いますが、この『組手』の華やかな展開こそ、日本の木工芸の歴史の中にあって安定的な中世の文化が花開いた江戸時代という特異な時代を特徴付けるものであったとも言えるでしょう。

日本の木工芸というのは、豊かな森林に囲まれ、良材の供給力に恵まれた日本列島という特異な植栽をバックボーンとして、いくらでも遡れるほどに長い歴史を持ち、それらの時代のモノづくりの水準に対応し、あるいは牽引しながら、近代へと進化を遂げつつ、現在にいたるわけですが、もっとも華開いたのが江戸から近代初期の時代であったと思われますが、あらゆる産業の中にあっても、特にこの『組手』に観られる接合技法などの木工芸はそれらの最前線にあったと言っても過言では無いわけです。

しかし残念ながら、現代の工業化社会では、素材の開発、金具の進化、接着剤の開発などといった産業技術の進化を背景として、より簡便なものに代用され、『組手』など不要とばかりに博物館の宝物として埃を被ってしまっているというのが現状であるかもしれません。

確かに、私たち木工の現場に於いて、どこまでこれらの『組手』を活用するのが良いのかは議論もあるところでしょう。

これには相応の合理的理由で説明できるかもしれません。

何よりも、これらに代わり、もっと安易な接合の組手、さらには組手さえ無用とばかりに、工業的な手法での接合法が一般的になっているわけです。
市場としても、必ずしもそれ以上のものを求めようとしないのも確かです。

あれは博物館で陳列されるようなもので、実用的な調度品としての価値を超えており、市場性が無い、などと。

なかには、あんなものは現代では無用。接着剤が進化しているので、組手など意味を持たず、単なる自己満足でしかないなどと語り、日本の木工芸へのリスペクトを安易に放棄して恥じない、サッカクさんさえ出てくる始末。


本編 参照

本編 参照

こうして、下手をすれば「幻」のものとして、本当にそんなものがあったかどうかさえ疑われてしまいかねないものであったのでしょうが、そうしてはならじとばかりに、「國正流」を一子相伝の下に系譜してきた阿部蔵之氏が公開、文献化したことで、陽の目を見、誰しもがアクセスできるものとなったことは、慶賀とも称すべき事だろうと思います。

私たち木工職人としては、これにどう向き合うのか、という課題が次ぎに問われるわけですが、ただ、これは技法的に困難なものも多く、決して安易にその世界に入ることはできないだろうということも断っておいた方が良いかも知れません。

私自身は冒頭触れたように、「天秤差し」は比較的積極的に取り入れてきている「物好き」ではありますが、この展開をさらに充実させていく意志はあるものの、他のものに関しては、せいぜい習作程度に留めておいた方が良いだろうと考えています。

もし、その過程で、習作を越え出、世に問うだけのクオリティーを獲得できた暁には、実際の指物制作で活用すれば良いでしょう。

無論、ただ組手だけが完成形であったとしても、総合的に、それに見合うクオリティを有する造形、あるいは端正な美質を獲得したもので無ければ意味ある継承とはならないでしょうね。

しかし、そうは言うものの、4.5mmの幅に0.9mmのアサリの鋸目を正確な幅で板厚までの距離に2本入れる、などという芸当など、たぶん、私には無理です。
・・・止めておきましょう。

因みに私の通常の天秤差しのスリット幅は2mmです。
これは手鋸ではなく、1.8mmアサリの丸鋸により規定されて弾き出される数値 笑。

もちろん、機械の上で操作できないほどの大きな板では、ジグを作り、手鋸で切っていくのですが、それでも2mmが限度です。(これ、そしてこのディテールなども手鋸で天秤)

しかし、そうした私のような諦念を越え、この『組手』に向かう意味は少なく無いと思われます。

江戸指物、木工芸の極北の1つである『組手』を対象化することで、日本の木工芸の歴史の中にあって、自身のそれはどのようなものであるのか、という評価基準の1つになるでしょうし、あるいはまた、自身の木工も、実はこの『組手』を編み出した日本の木工芸の系譜を辿るものであるという自覚、あるいは戒めとして対置することの意味は少なく無いと思われるのです。

用いられている用語について

江戸指物という木工の世界が、国内に於いてどこまで知れ渡り、現場で活用されてきたのかはよく分かりません。

木工技法も、かなり地域性があったり、作られる対象物により、様々な展開がなされ、実に多様な世界が拡がっているわけです。

他方、このBlogの前回のシリーズ(“プロダクト的思考”と“手作り家具”)で触れたドイツの框組にも表されていたように、想像以上に、インターナショナルな展開をそこに見ることができるのでしたが、やはり基本とするところでは、世界的にもかなり標準化されてきたものと考えるべきかも知れません。

さてそこで、これら仕口であったり、組手であったりと、木工に纏わる「用語」への関心を持つことも重要です。

何となれば、そこには事柄の本質を秘めたものが隠されていると思うからです。
言語学的に言われるところのシニフィエとして、物事の概念、イメージを直裁に伝えるものとして意識する必要があるのだろうと思います。

あるいはまた、木工の仕口に関する技法においては、江戸指物は世界の中でも最前線に位置していたことは事実だろうと思いますが、そこで共有されていた符牒を含む呼称は、その末代に位置する私たちとして、その意を汲み、伝えていかねばならない使命すらあるのだろうと思います。

この『組手』においても、いくつかの用語についての解説が散りばめられています。

これらの用語のいくつかを紹介しておきましょう。

「蟻」は「寄せる」、「掛ける」、「送り」、「吸い付き」であって、決して「蟻枘」とも「蟻組」とも言わないということ。

鏡台の支柱接合に観られる“寄せ蟻”

鏡台の支柱接合に観られる“寄せ蟻”

私も多用する上述の「天秤」を「蟻組」と呼称する雑誌なども多いようなのですが、これは間違い。

「蟻」は板面に施されたクサビ状の溝に、木端、あるいは木口に作られた対応するオスの突起状の部位を差し込み、寄せることで緊結させる手法で、鏡台の支柱などが好事例(右図)。

直交する2枚の板の端で接合する組手の代表的な事例が「天秤」ですが、今の社会では見掛けなくなった天秤に似通った形状であることから「天秤」と呼称するわけですが、したがって、先端の寸法も天秤と呼称するにふさわしく極細であることが条件です。

安易にトリマーのビットの太さ以上のもので加工してもそれは「天秤」とは言いがたいと言うことになります。

この『組手』に拠れば、これは「霰(あられ)」というものになります。
どちらが美しいかは、美意識にもよりますが「天秤」がよりクールであることは言うまでも無いことでしょう。

鬢太天秤

今ではネット上で「鬢太」(ビンタ)などと使うのは、建築分野と阿部さんを除けば私くらいなものですが、何故なのでしょう?(Google キーワード検索

私自身の呼称は阿部さんとの交流以前から、私の親方から伝えられてきたものであり、当然にも一般的呼称と思っていたものの、残念ながら死語になりつつある現状は嘆かわしく思うしかありません。

親方から伝わり、私が用いても理解されない悔しさも、阿部さんの指摘で救われる思いがしたのも確かですね。

雑誌などでは、これに代わり「包み蟻」などと呼称されていることが多いと思いますが、これはたぶん(Wrapping dovetail)という英語名称からの翻訳用語と思われ、そうした解説もあります。

なんでもかんでもアメリカさんになびく現代日本の風潮であれば、それも致し方無いことかも知れませんが、まずもって日本古来から伝わる呼称があるのであれば、それへの敬意を払うべきと考えることも、影に隠れぼそっと小声で言わねばならない辛さがありますね。

内天秤

実は私もこれについては誤った言い方「隠し蟻」などと呼称していたわけですが、表には出さない内部の結合の組手はすべて「内」と呼称するのですね。
他に「内枘」など。

なお、この文献にはこうした用語の出自から、その時代背景、意味合いなどへの言及も豊かで、その分野への関心を持たれる人にも楽しめる内容となっています。

また巻末には「逆枘」を中心に、その構造的な特徴を力学的なアプローチから分析された項もあり、これらの『組手』の構造的強度の検証となっています。

最後に

私個人のこれまでの『組手』へのアプローチも、構造的強度からの訴求であったことは言うまでも無いのですが、同時にまた意匠的な美質への評価と憧憬にあったわけですので、これへの評価を欠くわけにはいきません。

江戸だから、というわけではありませんが、“粋”なのですね。
英語では、この“粋”をどう当てるのでしょう。
Smart ? Stylish ?、私だったらクール!、と言いましょうか。

そうした側面からも、この『組手』の美というものを広く知っていただき、木工に従事する人であればぜひ可能なところから修得、実践していただくのが本当の意味での伝承ということになりますので、大いに活用いただければと思います。

著者からは一知半解との誹りを受けかねない紹介だったかも知れませんが、手に取られた方からの感想などで補強していただければありがたく思います。

最後に、著者 阿部蔵之氏はジェームズ・クレノフ氏との頻繁な交流があったのですが、この國正流の組手を紹介した際、クレノフ氏からは感嘆の言葉が漏れたそうで、本書の前付けにその言葉が掲載されていますので、それを転載させていただきましょう。
J・クレノフ

なお、お求めの方は、阿部蔵之氏のWebサイトへとアクセスしてください。
■ 阿部蔵之Webサイト 『組手』

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あっ、これは本件から離れ、余談ですが・・・
Top画像の背景はブラックウォールナットのテーブル天板。
とても深みのある色調をしていますが、12年前に制作されたもの。
退色どころか、本来のブラックウォールナットの魅力を振りまいてくれています。(ストロボ撮影)
これがスチーム乾燥ではない、天然乾燥ならではの色調です。

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • はじめまして。アメリカで家具作りに趣味でこの数年没頭してるんですが、やはり母国の木工事情が気になり、時々いろいろな方のブログを読み専ですが徘徊しております。

    今回珍しくコメントを入れようと思い立ったのは他ならぬ「天秤」です。Dovetailの正式和名が何なのか前々から気になっていたのですが、行く先々で「ダブテール」なので、このエントリで「天秤」と知った時に思わず膝を打ちました。鳥の尻尾よりよほど良い名です。

    あと、「“プロダクト的思考”と“手作り家具”」シリーズも通して読ませて頂きました。面白かったですが、日本語の木工語彙が無いのでちと難しかったです。良い参考書籍のおすすめなどあるでしょうか?

    • Keshさん、遠方よりご訪問いただき、ありがとうございます。
      「Dovetail」も言い得て妙、といった響きを持ち、好ましいですよ。

      ただ「天秤」となりますと、Keshさんの年齢は不詳でその語源となる天秤をご覧になっていらっしゃるのかは分かりませんが、二等辺三角形の頂点はまさに点であり、ハトの尻尾の根っことは違って、独自のスタイルがあると言えますね。

      「膝を打ち」と言うところに、既に私の愚かな説明など不要であることも含意しているようで嬉しいです。

      >日本語の木工語彙が無いのでちと難しかった
      これはひとえに私の悪文からのもので、申し訳無く思います。

      「参考書籍」ですが、本Blog記事の『組手』(阿部蔵之 著)を筆頭として、James Krenovの4分冊 +α、あたりというところでしょうか。

      関心領域を絞っていただければ、もっと適切なお話しができるかもしれません。

      Keshさん、もし差し支え無ければ、どのようなものをお作りになっていらっしゃるのか、
      ご披露くだされば、嬉しく思います。

      ありがとうございました。

  • >「Dovetail」vs.「天秤」

    これ和洋の木工に対する姿勢がよく出ている、と穿った見方をしてしまうのは僕だけでしょうか。こちらではダブテールのピン(はて、天秤の部位の和名称はどうなっているんでしょ?)は細いほど良しという風潮がありますが(機械じゃ出来ないからですね)日本の名称はその一番細い(即ち難しい)形態を元に付けられている所が日本の職人気質を表しているようで面白いです。

    告白しますと、僕はまだ天秤差しやったことはありません。現在作製進行中の机で初挑戦の予定です。

    > Keshさんの年齢は不詳でその語源となる天秤をご覧になっていらっしゃるのかは分かりません

    杉山さんは丁度僕の両親の年代になりますね(プロフィール拝見させて頂きました)。日本は中学の頃に出たっきりですが、天秤は読んでピンときました。

    > 「参考書籍」

    阿部さんの御著書は是非とも目にしてみたいですが、どうも裏技を使わなければいけないようです(笑)。英語の木工情報はすでに今の僕の技巧レベルに十分過ぎるぐらいに集めてある(FWWのDVD全集とか)のですが、今回みたいに日本人の木工家の方と話をしようとすると、言葉・木工用語が出てこない・すっと理解できないという問題なんです。次回、日本に行く時に家具作り関連(テクニック・デザイン共に)の良い本を購入したいと探しているところです。「“プロダクト的思考”と“手作り家具”」をもう一回り膨らませて出版されたような物を探しているといえばいいでしょうか。

    > どのようなものをお作りになっていらっしゃるのか、ご披露くだされば、嬉しく思います。

    残念な事にまだ本格的な家具製作にまで達していないのが現実です。この4年ほど木工関連の情報をネット・雑誌・本で読みちらし、工具を集め、据え付きキャビネット(家・工房共に)の製作等とやってきまして、この夏の初めに本格的なワークベンチをやっと完成させたところです。こちらに上げましたのでお目汚しにどうぞ。

    https://www.instagram.com/p/BJeJnx2AKj8/

    Bench Crafted のバイスを二年前に購入したのが始まりなんで、構想から完成までそれだけかかったことになります(汗) 実際の製作期間は6か月位でしょうか。週末木工家(とその妻?)には忍耐強さが必須ですね。屋内の家具一式自作出来ればと目論んでいます。何年かかることやら。

    もう一件ご相談したいことがあるのですがさらにこのブログ・エントリと無関係になりますので、後程メールさせていただきます。もしお時間があるようならばお返事ください。

    このブログはプロの視点からだいぶ踏み込んだ内容(日本の職業木工家の「生態」を覗き見れるのも興味深いですが、職人仕事の検証記事が特に為になります)なので、これからもちょくちょくお邪魔したく思います。

    • 「Dovetail」vs.「天秤」
      いわゆるピンの細さは「天秤」の必須条件ですね。
      阿部蔵之著『組手』では、わずかに0.9mmという幅になるようですが
      これはご指摘のように機械での切削では無理で、手鋸のアサリの厚さに規定されます。
      因みに私は手加工も、機械加工でも2mmほどを基準としています。

      「天秤」のピンの細さを、脆弱な組手として難ずる人もあるようですが、
      確かに一見して弱く見えるかもしれません。ちょっと無理しすぎじゃ無い?などと。

      しかしこの部位の幅は組手構造の堅牢性に何ら関係しません。
      二等辺三角形の底部は、相応の幅がありますので、この組手オスの断面ボリュームが脆弱なレベルでない限り、構造強度的には全く懸念されるものでは無いでしょう。

      物事の判断において、視覚的な評価、あるいはそこに含まれる恣意的な評価(色メガネ)により、客観的な判断を歪めてしまうようでは困ります。

      keshさんも、ぜひご自身でトライされ、検証してみてください。

      「書籍」ですが、確かに日本国内における関連書籍の出版は決して少なくは無いようですが、
      Taunton Pressの『FWW』に視られるような、木工加工、木工デザイン分野での展開は決して十分なものでは無いのかも知れませんね。

      これは需要層の彼我の差異が歴然としてありますし、
      工芸分野における木工そのものの社会的地位の評価が正当では無いというところもあるでしょう。

      これは出版サイド(編集者、ライター)の木工分野における知的水準(知的怠慢)の問題でもあり、対する、私たち作り手の水準の問題でもあるわけです。

      日本国内における出版物ですが、近年では一見して関連書籍は充実してるようでいて、教則本的な分野はむしろチープです。間違った記述も多くあります。

      これらと較べた場合、むしろ、旧い文献に観るべき価値のものが多いかもしれません。
      これらにアクセスするには古老の木工家を訪ね蔵書をみせてもらう、あるいはアドバイスを受ける、
      公的なところでは、国立国会図書館、広尾にある都立図書館にアプローチするしか無いかも知れません。

      あるいは一部 Googleブックスでヒットする場合もあるかもしれません。

      meshさんのワークベンチ拝見。
      その意気込みは大いに評価されます。

      BenchCraftedというメーカーは初見でしたが、なかなか興味深いです。
      いわゆるシェーカースタイルとても言うのでしょうか。クラシカルな感じでいいですね。

      大いに木工を楽しんでください。

      私はアメリカ帰りのアマチュア木工家の工房とご自宅を拝見したことがありますが、それは見事なもので驚いたことがあります。大きな屋敷の調度品は、ほとんどすべて高品質なレベルでの自作のもので設らわれているのでした。

      アマチュア、侮るなかれ、です。

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