工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

相模原・障害者施設における惨殺事件の衝撃

sagamiko7月26日未明、相模湖畔に隣接し、周囲の住宅地に溶け込むように立地する知的障害者施設で起きた凄惨な事件を取り上げたい。

この地域の相模湖、そしてそこに繋がる津久井湖周辺ははかつて何度か訪れたことのあるところで、多少はイメージできる。

首都圏の水瓶でもある森の中の湖を囲むように住宅地が点在する静かな地域だ。
津久井という町名は今は無く、相模原市に編入されたのはつい先頃。

相模原市と言えば、工場群に占有され、埃っぽい古ぼけた町のイメージがあり、この津久井湖、相模湖を擁する静かな地域には似つかわしく無い行政区域名ではある。

この静かな湖畔の町を一気に恐怖に陥れる事件が襲った。

19名の犠牲者、20数名の負傷者というその数の多さと犯行態様、知的障害者というその対象、「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」とする容疑者の鮮烈すぎる犯行意図。

あるいは検察に押送される際の、待ち構えるメディアのカメラに見せた笑いは、凄惨な事件を引き起こした犯人象とも思えぬ晴れやかな顔つきで、それだけに一層背筋に冷たい汗が滲み出るような思いにさせられたものだ。

ところで、親族を含め、私の周囲には障害者手帳を交付されている人はいない。
また住む地域にも、それと思しき姿を見掛けることは無い。

ただ、数年前まで居住した地域には彼らが働く施設があり、不要な頂き物などをバザーで換金するためのものとして、届けに行っては作業の様子を見たり、通勤時に出遭えば、積極的に言葉を交わすなどといった風で、多少の関わりを持つことはあった。

あるいは、JRに乗車した際に出遭うことがあれば、席を譲ったり、介護者と会話したりと、パッシブなものではあるけど、可能な範囲で彼らとの交流を図ることを自らに課してきたつもり。

この事件を受け、犠牲者、被害者の親族、障害者との関わりを持つ関係者はもとより、障害者を抱える家族が受けた衝撃は、私のような不徹底な者とは異なり、大きな驚きと、恐怖、そしてこれからの障害者の生存を巡る困惑と不安で思考停止状態になっているのではと懸念されてならない。

この事件は戦後日本の犯罪史においても実に異様で、重大な問題を日本社会に投げかけているように思う。

その重大さは、事件後の各界、各国の反応からも看て取れるものであるけれど、他方、その重大さの本質とは余りにもかけ離れた行政当局の鈍い対応には驚きを禁じ得ず、そこに強い疑念をもたざるをえないことも事実だ。

どういうことかと言えば、事件後、こうした障害者施設の多くのところで防犯カメラの増強を進めるなど、警備を強化しているようだが、無論そうした直対応な施策が必要なことは理解できるが、容疑者がこの事件の4ヶ月前に衆院議長宛に出した犯行を予告する手紙には「障害者なんていなくなればいい」とし、重度障害者を抹殺することへの使命感からの犯行であることが宣言されていた。

これに対峙し、類種再犯を防止するためには、警備強化という直対応な水準で十分であるはずも無く、もっと本質的で普遍的なメッセージをこそ発せられねばならなかったのではないか。
警備強化などといった小手先の対応が、果たしてこの容疑者の強い信念に打ち勝つだけの力が備わるとでも言うのだろうか。

「障害者を殺すな」
「障害者は私たちと供に、生きる権利がある」
「ナチスの優生学思想は全くの誤りである」

最低でもこれらのことを強く発することが何よりも増して重要で、残念ながら今にいたるも行政当局からは何ら有為なメッセージは発せられず、安倍首相にいたっては内部の会議でコメントを出したに過ぎなかったようで、記者会見1つ行ってはいない。

この不可思議さというものは、事の重大さを見据える能力に欠けるのか、麻痺しているのか、あるいはまた、ナチスの「優生学思想」に心酔し、怒りが納まるのを静かに見過ごそうとしているのか、それらのいずれかではあるのだろう。
(6月、フロリダで起きた同性愛者が集まるナイトクラブでの銃乱射事件では、さっそくその翌日にはオバマ大統領自身から、この犯行を憎悪犯罪とし、「われわれ全てのアメリカ市民への攻撃だ」として断罪していたが、我らが宰相、このオバマの姿勢とは何と大きくかけ離れた為政者の振る舞いであることか。 言葉を失うよ)

後段の懸念(ナチスの「優生学思想」に心酔)は何も突拍子も無いことを言っているとは思わない。
数年前、副首相でもある麻生財務大臣の「ナチスの手口に学べ」とする発言[1] は、そのことを想定させるに十分なものだったから。


しかしいずれにしても、個人による犯罪とはいえ、その犯行計画書にしたためられた「障害者は殺してもよい」とされる明確な障害者への差別思想、そしてわずかに50分という短時間で45名を越える人を切りつけ、死に至らしめた、その実践の態様からは、通常の犯行と言うよりは、いわば戦闘行為と言ってもおかしくは無いほどのものがあり、さらには「ヒトラーの思想が降りてきた」とするその駆動へのトリガーを考えても、この犯罪はいわば社会学的には憎悪犯罪(ヘイトクライム)とカテゴライズされるべきものであることは明らかだ。

視点を変えれば、憎悪犯罪の定義に留まらず、その犯行態様、犠牲者数から考えれば障害者差別〈テロリズム〉として捉えることも可能だろう。

つまり、大麻に溺れたおかしな男が、悪い仲間に感化され、自身の不遇にかこつけ、衝動的に起こしたものといった犯罪ではなく、私たちが営々として築き上げてきた近代社会の普遍的な価値観、つまり、この世に生を与えられたその瞬間から、荘厳なる生命倫理の規範の下で、誰しもが等しく生きる権利を獲得する、ということへの挑戦であり、これは絶対に許してはならない近代民主主義への反逆であり、人倫にもとるものだということである。

ここでは詳述しないけれど、この容疑者が犯行へのトリガーとなったと語るナチス・ヒトラーの障害者差別というものは、次には断種法へと繋がり(断種手術の強制、あるいは結婚の禁止)、さらには安楽死殺害政策へと「進化」し、やがてはダーウィンの「進化論」、メンデルの「遺伝学」を歪曲解釈したアーリア人種のみを優秀とする序列思想を「優生学」として定説化させ、そうしたあらゆる差別排外主義の思想で打ち固めたその先に、ユダヤ人排撃というものがあり、そして「ショアー」[2] とへと繋がっていくことになる。

独、ナチスにおける障害者への差別というものは、ユダヤ人排撃、ショアーへと登りつめる最初の発条であったことは、もっともっと知っておくべきことなのだろうと思う。

ユダヤ人の大量殺害のノウハウというものは、実はこの障害者を虐殺する過程(ガス室もここで設計され、実施された)で得られたものがその人材とともに持ち込まれたものだったことも含め・・・。


今回は、問題の深刻さの“とば口”を語るに留まるものしか書けなかったが、この事件の容疑者を、異質者、変質者として捉えるだけで事足りるとした場合、実はその背景にある時代の空気、つまり経済が何よりも優先される社会、そして近代合理主義の究極的な姿と言っても間違いでは無い、世界を荒廃させてきた元凶・新自由主義がもたらした社会の実相の一断面が、この事件の背後にあることを見抜けないだろうし、この容疑者の蛮行の深層には迫り得ないだろう。

それは結局は犠牲者19名の魂に報いることには繋がらない。

私たちに課せられたものはとても重く、困難な課題である。

経済が縮小の一途を辿り、社会が閉塞し、困窮社会が蔓延し、人々の序列化の勢いを止める術を見失いつつあるこの時代相は、弱者を切り捨てる論理がいとも簡単に広汎な支持を受けるという困った社会の到来を教えており、そこに「障害者を生きさせろ!」とする旗を飜すには多少の勇気がいるかも知れないが、しかしそれを見失えば、たぶんその時から、社会は崩壊の一途を辿っていくのだろうという、ある種の確信が私にはある。

この問題は普遍的なものでもあるので、私自身もさらに深く考えていきたいし、ぽつりぽつりと、犠牲者の家族や関係者からの話も伝わってきており、何よりもまずは彼らの声に耳を澄ませ、障害者自身の語るところから分け入っていきたいと考えている。

・・・・もし書ければ、少し続けたいと思う。

ここでは、事件の実相を明かすため、衆院議長への手紙全文を引用しようと考えましたが、そのおぞましい文章は、さらなるヘイトを産みかねず止めました。
「障害者」は「障がい者」あるいは「障碍者」などと、様々に表記されていますが、ここではあえて「障害者」とさせていただきました。
Top画像は朝日新聞紙面から借用しました、感謝します。

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♦ 脚注
  1. Litera〈「説得できない有権者は抹殺」高市早苗推薦、自民党のヒトラー本が怖すぎる〉 []
  2. 一般にはホロコーストと呼ばれるジェノサイドのことで、ドイツ国内ではショアーとされる []
                   
    

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