工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

モーリス・ベジャール氏の死を悼む

モーリス・ベジャール
モーリス・ベジャール氏の訃報は突然だった。
氏が創設した「ベジャールバレエ・ローザンヌ」(BEJART BALLET LAUSANNE)のスポークスマンより報ぜられたというが、現段階ではどのメディアからも死去に至る詳細な報道は見あたらない。
腎臓と心臓の治療を受けていたというが、享年80という年齢を考えれば自然死という見方もできるのだろうか。
しかし彼のカンパニーによる80歳の誕生を祝う公演が昨年開かれたばかりという報もあっただけに、あまりに突然な訃報という感が強い。
コンテンポラリーバレー界での喪失感は計り知れないものがあるだろう。
ボクはモダンバレーは好きで限られたお小遣いを投下して東京文化会館に足を運ぶことがあった。
モーリス・ベジャール振り付けの公演を観賞したのは2回だけであったので、必ずしも熱心なファンというほどのものではなかったが、しかしそれはボクの記憶装置から何ら消え去ることなく大切なアーカイブとして刻まれている。
恥ずかしながらモーリス・ベジャールをそれとして最初に意識したのは、これも今は亡きジョルジュ・ドンが踊った『愛と哀しみのボレロ』(クロード・ルルーシュ監督)という映画から。
このボクの体験と同じようなベジャールファンは多いものと思う。
とてもバレーを語るだけの教養も感性もあるとは思っていないが、しかしそんなアジアの小国の貧相な芸術観しか備わっていなかったボクのような者にも、それまでほとんど関心を持ち得なかったクラシックバレーの世界へのある種の偏見を克服させてくれ、現代モダンバレーの魅力を存分に与えてくれことに限りない感謝と敬意を表しておきたい。
ベジャールの指導の下、ダンサー達の鍛え上げられた肉体と研ぎ澄まされた舞踊は人間という存在そのものの美しさを見せてくれたし、バレーという芸術のすばらしさ、豊かさというものを教えてくた。
舞台上にはいわゆる舞台美術というものは皆無。あるのは照明と、あまり高品位とも思えない音響設備から鳴らされる再生音楽だけ。
しかしだからこそ、鍛え上げられたダンサー達の肉体が饒舌なまでに時空を支配し、演目の世界を作り上げる。
時に男性ダンサーの群舞でエネルギーが発散されたかと思えば、次には舞台中央で息詰まる緊張の中、薄い1枚の衣装だけのプリンシパルがソロで静から動へと幽玄の世界を作り上げる。
美というものの極地を見る思いだった。
生誕80年記念 ベジャール!巨匠という敬称は彼にこそふさわしいのだろう。
ベジャール、ありがとう !
自身の粗雑な日常の中での所作のおぞましさは如何ともしがたいものの、DVDでも求め、時にはベジャールの世界に耽溺することで、緊張した時間を作るのは良いかも知れない。
まだまだシルヴィ・ギエムの公演に立ち会うこともできるだろうし、上野水香の活躍も期待したい。
*TOP画像は1994年公演のプログラムより
ベジャールバレエ・ローザンヌ
シルヴィ・ギエム
上野水香

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  • 首藤君の師匠ですね。
    わたしはフォーサイスが好きなので
    ベジャールの作品は観たことないんですけど
    首藤君がボレロは封印すると言ったときは
    残念に思いました。
    ほんとご冥福をお祈りいたします。

  • ユマニテさん、こんなカテゴリー外のエントリにコメント頂き感謝です。
    ボクはフォーサイスカンパニーは未見です。
    首藤康之さんの〈ボレロ〉封印はジョルジュ・ドンを過度に意識してのものでしょうか。
    ベジャール亡き後において〈ボレロ〉がどのような扱いになるのかは興味がありますね。
    〈愛とエロスとタナトス〉

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