ピカピカの新入生に
しばらくするとピカピカの新入生が夢と希望に胸膨らませて登校する姿も見られる。
この彼らの小さな夢と希望というものは実は今を生きるオトナ世界にあっても薄汚くなってしまっているとはいえ、同じものであることだろう。
人生などというものは、次の世代に如何に人間社会の豊かさと可能性というものを伝えていくのか、ということに尽きるのではないかと考えることがある。
無辜の清新な心と感受性を育て、羽ばたかせるのがオトナ社会の義務というものだ。
しかし現実は愚かなオトナたちの世界を見せてしまっていると言った方が正しいのかも知れない。
でもいくらかの経験と知識で、学習に挑む環境は与えることはできる。
画像は今日配送手配した学習机。
依頼されたのは昨秋。オイルフィニッシュという要望であはあったが、早めに完成させオイル臭を抜いてきたので、安心して使ってもらえるだろう。
クルミ。
無垢板の天板は左右の幕板に蟻桟で堅固に接合され、前後2枚の脚で畳ズリに繋がる。
抽斗は吊り桟とすることで棚口を不要とさせ、下部空間をより確保させる。
要諦は、傾斜させた幕板、板脚の面腰仕口による接合部か。
抽斗ワゴンをオプションとする。
下部抽斗はA4ファイル対応。
抽手、ハンドルはローズウッドで自作のもの。
ボクの小学生の頃は何で勉強したのだろうか。
りんご箱?いや、確か母親が繕い物をする脇で、同じちゃぶ台を囲んでの楽しい勉学だったと思う。
そこはTVも無ければ、ゲームなども無い世界。
今の子たちは、オトナ社会が造り上げた様々な虚飾に満ちた欲望の世界を生きぬかねばならず、真っ当に育つには多くの困難が待ちかまえているから大変だ。
せめて心あるオトナたちで、豊かさと可能性に満ちた“世界”というものを指し示してやりたいものだね。
*撮影は散らかった工房内でのスナップだったので、背景を差し替えている(クリック拡大)
supika
2008-3-16(日) 22:02
このデスクを依頼されたご両親の教育への姿勢がわかるような、そんな作品ですね。
artisan
2008-3-16(日) 23:13
supikaさん、コメントありがとうございます。
遠方の依頼者宅に届くのは明後日ですが、いずれまた感想が届くものと思います。
家具屋に行けば子供が喜びそうなキャラクター付きのものであったり、加飾なもの、多機能なものが氾濫していると思いますが、そうではない本来の机として求められる機能と堅牢性、そして美しさを追求した積もりです。
子供は親にとっては夢と希望です。
私たちの社会にとっても同じことですね。
ときどき江戸へ
2008-3-18(火) 12:24
うーむ、久しぶりに悠々工房を覘いてみた。
お元気そうで、安心しました。
《せめて心あるオトナたちで、豊かさと可能性に満ちた
“世界”というものを指し示してやりたいものだね》
まさしく同感――。
“豊かさ”って、物が余りあるってことじゃないんだよね。
むしろ、少なくたって、“豊か”なことがある。
“豊かさ”って、複雑に入り組んだ混沌の世界をくぐりぬけ
たところに、ほのかにみえてくることが多いね。
“豊かさ”って、他人から与えられるもんじゃなくって、
自分でつくっていくもんだね。
そのほうが面白いもの。
この机を使う子は、だれか知らないけれど、きっと“豊か”
さにめぐり会えると思うよ。
じゃ、またね。
artisan
2008-3-18(火) 12:43
ときどき江戸へ さん、沿線の富士の山はどうでした?春の霞の中に浮かんでいたでしょう。
この場合、“豊かさ”とは仰るように経済的なものを意味しているのではありません。
むしろそこから離れたところから見えてくる“命”の豊かさであり、“人の営み”の慈しみであり、“文化”の豊穣さであり、“自然”への愛おしさであり‥‥、
>“豊かさ”って、他人から与えられるもんじゃなくって、自分でつくっていくもんだね。
子供はそうした力を持っているものですし、オトナはそれを邪魔するのではなく、育んでいくための場を提供し、見守るというスタンスが重要なのでしょうね。