工房 悠が用いる素材

家具の素材にはどのようなものが使われているのでしょう

無垢材にこだわる家具制作

房 悠の家具制作に用いる主材(基本的な素材)は無垢の木材です。
家具制作に用いる素材は無垢材が最良の選択です。

構造的、物理的な堅牢性については、1,400年の風雪に耐えて輝く法隆寺の見事な伽藍が教えてくれているように、無垢の木材は、鉄筋や、コンクリート建造物に勝るとも劣らぬ強さがあることは良く知られるところです。

また2つとして同じものが無い固有の表情を持ち、美的な価値を持つ木材は、日本の人々が古来から広く親しんできた素材ですが、森林環境の悪化が進む現代において、その価値はいよいよ高まってきていると言えます。

またそうした一つひとつの個性を有する有機素材を用いるからには、木の本来の特性を生かし切らねばならないと言う、ある種の敬虔な立場に立たねばと自戒しています。

木の流通市場には、すぐにでも加工にまわせるような既製品の板も出回っていますが、工房悠は内外の銘木を吟味に吟味を重ね、原木丸太にて入手し、さらにその後、自ら製材、乾燥 管理しています。

従いまして、大型の家具の制作においても統一した風合いで良質、廉価の制作が可能です。(流通市場において入手できる既製品の板では様々な丸太原木が使われ、また概して若い木ー細い径のものが多く、これらはどうしても暴れやすく、高い品質のものを制作する素材としては向いていません)

自然素材を対象とする木工家具のクォリティーというものは、やはり素材選びの段階で規定されてしまうようです。

無垢材を用いることの困難とその克服

作手法において、無垢材を用いることは多くの困難をともないます。

温暖多湿な日本列島では、四季の環境変化や経年使用によって有機木材はその特性からしてどうしても反張(反ったり、伸張したり、痩せたり)するという困った問題がつきまといます。

現在の家具産業はこれらの困難を合板の開発により克服しているということはご存じのことと思います。

有機素材としての木材というものを、工業資材、つまりプラスチック、金属など他の一般的な資材と同等の特質を持つものへと変換させることで、量産工業生産システムに適合するものに“高度化”してきたわけです。
ひねくれたり、節があったりと、取り扱いが困難で、自然素材ならでは避けがたい、美しくない部分などを覆い隠し、均質な素材に転換できてしまうわけです。

しかし残念ながら、それにより失われたものは決して少なくはありません。
本来の木が有する強度ー靱性、耐久性などの物理的特性というものは、金属の堅牢度に負けるものではありません
そして何よりも有機自然素材ならではの固有の表情、つまり美的価値などは木でモノを作るうえで本質的な価値であるはずです。

壊れては、また買い直す、といった大量生産、大量消費の時代は明らかに過去の時代のものとなってしまいました。

限の素材を生かした良質なものづくりで制作されたものを、大切に使い、そして次世代へと伝えていくという、本来のモノとの付き合い方というものが再評価されています。
そうした時代の要請に応えるのが、木工家具制作者としての在り様だろうと考えています。

無垢材を用いることの多くの困難は、古来より先人らが工夫を重ね、技術開発を進めることにより克服してきています。何事も長続きした試しの無い私が、これまで長年にわたり木工に打ち込むことができた理由を考えて見たとき、やはり素材としての木の魅力に取り憑かれてしまっている、ということは確かにあるでしょうね
この日本においては世界に誇る木工加工技術の優れた体系が遺されてきています。
しかし現代の大量工業生産のシステムの中では、手仕事を基本的手段とする伝統的手法はなじまず、一部の指物作家のものとしてのみ細々と伝えられてきたにすぎませんでした。

工房 悠はこれらを学び、復権させ、優れた木工家具を提供したいと考えています。

材種の解説

材種の解説は Inform > What’s Wood に詳細な記事がありますので参照してください。

ハードウェアについて

具の構成におき、重要なものの1つとしてハードウェアがあります。
丁番、抽手などですね。

工房 悠では、内外の良質な最高級な金具を取り入れることはもちろんのこと、あるいは時には木製の抽手、さらには丁番などもカスタムで自作することも少なくありません。

こうしたカスタムメイドに力点を入れるのは、その家具を完成させるための、いわば画竜点睛として大きな要素を持つハードウェアだからこそなのですね。

こうしたオリジナルデザインのハードウェア作成は、大変手間が掛かります。
全体のフォルム、さらには制作する上で決して逃げる事のできないディテール、そうしたこだわりが、手業の痕跡までもが愛おしい、良質な家具制作に繋がっていくということを信じているのです。