ノーベル文学賞・クラスナホルカイ・ラースロー (追記あり)
2025年のノーベル賞ウィーク、生理学・医学賞に輝いた坂口志文さん、そして化学賞に北川進さんと、日本の研究者が相次いで受賞との報に日本も沸きました。
いずれも若き研究者の時代から、40〜50代の頃に受賞に繫がる発見で世界に名を轟かせていた研究者とのことですから、その後20年ほど経過してのこのノーベル賞受賞との報には、さぞや感慨深いものがあったに違いありません。
いずれも人類の生存に深く関わってくるような研究成果のようですので、ノーベル選考委員会の目の付け所に脱帽です。
坂口志文さん、北川進さん、おめでとうございます。

さて今日は、ハンガリーのクラスナホルカイ・ラースローさん(László Krasznahorkai 71歳)に授与されることになったノーベル文学賞について書きます。
受賞に輝いたクラスナホルカイさんの小説、実は私は読んだことの無い作家でして(そもそも邦訳されている本は、数度、京都に滞在した時の印象を基にした小説の1つだけで、しかもその本も絶版状態)、したがって何事かを書く資格など有しないということになりますが…、ただ観たことはあるのです。
どう言うことかと言えば、クラスナホルカイ氏の原作、あるいは脚本による13年前の映画(『ニーチェの馬』)以来、大変興味深く観てきたのでした。
2025ノーベル文学賞 / クラスナホルカイ氏と タル・ベーラ監督

映画好きな世界ではあまりにも良く知られた以下の2作品がそれです。
- 『サタンタンゴ』(原作・脚本)(Sátántangó) 1994年・ベルリン国際映画祭フォーラム部門カリガリ賞
- 『ニーチェの馬』 (脚本)(A torinói ló The Turin Horse)2011年・ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞をダブル受賞
この二本の他にもクラスナホルカイ氏の作品は、脚本を含めればいくつもの映画化された作品があり、この度のノーベル文学賞受賞を機に、日本国内でもその中のいくつかの映画が再上映、初上映される動きもあるようです。
あるいは、ネット配信でこれらのいくつもの作品に手軽に接する事ができるのです。
(それらについては、後段にリストしておきましょう)。
こうしてクラスナホルカイ氏の作品の多くが映画化されているのが、彼の作品展開の特徴でもあるわけですが、何となれば、これを監督しているのが、クラスナホルカイ氏のパートナーとも言える映画界の巨匠、タル・ベーラ(Tarr Béla)という存在を抜きには考えられません。
誤解を怖れずに言えば、クラスナホルカイ氏はタル・ベーラ監督というパートナーを見出すことで、自身の小説世界が世界に広く紹介され、愛され、高い評価を獲得するに至ったということでもあり、その点においては幸福な作家人生を歩んできたとも言えますね。
“欧州”に括りきれない、ハンガリーという国のユニークさ
クラスナホルカイ氏はベルリンの大学で教鞭を執ったり、ニューヨーク、東アジア、特にモンゴルと中国、そして京都などで長期滞在をしたりと旅する小説家ですが、生まれはルーマニア国境近くのハンガリーの出身。
生地ハンガリーという国は地政学的には〈中欧〉という位置づけになるのだろうと思いますが、近代まで大国に挟撃、翻弄され、近代以降はソヴィエト連邦の傘下にあったのですが、民族的にも歴史的にも、独自の発展形態を歩んできた国というイメージがあります。
そしてハンガリーと聞けば、まず頭に浮かぶのが1956年の〈ハンガリー動乱〉です(スターリン死後、ハンガリー国内ではスターリン体制への積年の怒りが爆発、共産党への批判が澎湃と起こり、市民らによる蜂起へと発展。
これに対しソ連軍が侵攻し、多くの犠牲を生み、鎮圧された世界史的事件)。
現在はベルリンの壁崩壊、ペレストロイカなどの影響からのソ連崩壊と民主化の流れから、共産主義独裁を放棄し、共和国体制になっています。
こうした社会体制のドラスティックな変遷、その過程では多数の犠牲を生み、そして今もなおロシアとの軋轢、抑圧、支配といったところから人々は翻弄され、困難な人生を強いられる人も少なく無いのは想像に難くありません。
一方、伝統的文化では、私の好きな音楽の1つに『ハンガリー舞曲』があり、ハンガリーの民族性を示唆してくれる音楽のように感じさせてくれますが、あれはハンガリー人による作曲ではなく、ドイツのブラームスの作曲。
ブラームスがハンガリーのロマ音楽に魅入られ、編曲した舞曲集なのですね。
現在もハンガリーにはロマにルーツを持つ人は多いのだそうです。
中欧、東欧にはいくつもの小さな国がありますが、それぞれ固有のの歴史的背景をもち、独自の文化が育まれてきたものと思いますが、中でもハンガリーは豊穣な民族性を持つというイメージがあり、魅了されています。
雑記
この〈クラスナホルカイ・ラースロー〉、〈タル・ベーラ〉というふたりの名前の表記ですが、ハンガリーでは日本と同じく、〈姓・名〉という順になり、欧米での表記はこれとは逆になります。
ノーベル文学賞 受賞が意味するもの
タル・ベーラ監督はクラスナホルカイ氏とほぼ同年のハンガリー人で映画界では巨匠とされる存在ですので、それらの原作者、脚本家ともなれば、欧州では監督以上に知られた作家であっても不思議では無く、ノーベル文学賞受賞も宜なるかなと言ったところなのでしょう。
因みにクラスナホルカイ氏は2015年の英ブッカー国際賞(ブッカー賞の翻訳書部門)受賞者なのですが、この賞は2016年には昨年度のノーベル文学賞受賞者・韓江 氏に与えられていますし、さらに遡れば、ノーベル文学受賞者のカズオ・イシグロ氏もブッカー賞を受賞(1989年)しています。
つまり、ブッカー賞、およびその翻訳部門であるブッカー国際賞は、ノーベル文学賞への登竜門的な権威でもあるように思えてくるものです。
また、翻訳家、書評家の鴻巣友季子さんのコラム〈朝日・鴻巣友季子の文学潮流〉のノーベル文学賞発表直前の回では、「いいかげん授賞してほしい重鎮作家が、ルーマニアのミルチャ・カルタレスクと、ハンガリーのラースロー・クラスナホルカイだ」と言及されていました。(鴻巣友季子の文学潮流)
内外の小説への深い洞察力を持つ翻訳家、書評家の鴻巣友季子さんだからこそ、という側面もありますが、いずれにしろ、欧州の文學界ではこの重鎮作家は当然の受賞対象だったようです。

また、米国を代表するラディカルな批評家、社会活動家として著名なスーザン・ソンタグ氏がこの映画『サタンタンゴ』を激賞しているのです。(ART FORUM)
曰く「7時間すべての瞬間が圧倒的で心を奪われる。残りの人生で毎年観たい傑作」とまで…。
以下がそのテキストの一部です。

ノーベル文学賞 授賞でのクラスナホルカイ氏の語り
さて、ノーベル文学賞 授賞の知らせは、床に伏した親しい友人を見舞ってるフランクフルトのアパートで受けたようで、
その際のノーベル文学賞スタッフとの電話のやりとりが以下です。
受賞の知らせの驚き、戸惑いと歓びが交錯するダイアログですが、クラスナホルカイ氏の語りに触れる貴重な音声になっています。
(YouTube設定から、日本語字幕も出せます)
クラスナホルカイ・ラースロー氏の原作、脚本による映画
以下、クラスナホルカイ・ラースロー氏の原作、あるいは脚本による映画をリストしてみました。
全て、監督はタル・ベーラです。
かなりのタイトルがAmazon Prime Video などの配信で観ることができます。
- 「ダムネーション/天罰(4Kデジタル・レストア版)」Kárhozat 1988年 脚本:クラスナホルカイ・ラースロー 予告編 Amazon Prime
- 「サタン・タンゴ」Sátántangó 1994年 原作、脚本:クラスナホルカイ・ラースロー 予告編 Amazon Prime
- 「ヴェルクマイスター・ハーモニー 4Kレストア版」Werckmeister harmóniák 2000年 原作・脚本:クラスナホルカイ・ラースロー 公式サイト Amazon Prime
- 「倫敦から来た男」A londoni férfi 2007年 脚本 クラスナホルカイ・ラースロー(原作は、1934年 ジョルジュ・シムノン 公式サイト 予告編
- 「ニーチェの馬」A torinói ló 2011年 脚本:クラスナホルカイ・ラースロー 予告編
リストは制作年順です。
もちろん、映画化されていない小説の方が多いのですが、興味がある方は別途調べてみてください。
なお、代表作『サタンタンゴ』他、読みススメのガイドがスウェーデンアカデミーから提供されていますので、それらを参照してください(下段に記します)。
ただなにせ、邦訳されていないものばかりで、英語が堪能な方以外は、これらの映画観賞から接近するのは悪くありません。
下画像:上記映画化リスト順にポスターなどのイメージを並べました。

『サタンタンゴ』邦訳企画
これを機に、ということでも無いでしょうが、日本でもクラスナホルカイの処女作であり、かつ代表作の『サタンタンゴ』が近々翻訳されるとのこと。
出版社としては企画が実に好機だったと大喜びでしょうね。
クラスナホルカイ・ラースロー氏による代表作『サタンタンゴ』(同名の伝説的ハンガリー映画原作)の翻訳企画(図書刊行会)
〈図書刊行会〉は学術資料書籍の復刻出版などからスタートし、現在は海外文学やミステリ、SFの翻訳出版など手広く手掛けられている出版社だそうです。
X投稿からは、既に『サタンタンゴ』翻訳出版の契約も終えていると考えられます。
ここから覗えるのは、大手出版社からではなく学術的な扱われ方なのかなと訝るところもあるのですが、大手出版社にとり、ノーベル文学賞受賞作家の代表作としていきなり浮上し臍を噛んでいるのではとちょっとほくそ笑んでしまいます。
ただ、かなり特異な文体と陰鬱な世界が描かれているところから、大衆性はビミョウで、営業的なインパクトは少ないでしょうから、覚めた目で見ていると言った方が近いのかも知れません。
しかし、タル・ベーラ監督により映画化された『サタンタンゴ』は7時間18分という超長尺であるにも関わらず、都内映画館での公開時は、連日、超満員だったとのこと。
数寄者はいるものなのですね。
スウェーデンアカデミーからの「László Krasznahorkai 作品」ガイド

もちろん映画化されていない原作にこそ接近したいところですが、その読書ガイドとしてスウェーデンアカデミーから推薦書が4冊上げられています。(「ノーベル文学賞・公式サイト」10月18日)
- Satantango (サタンタンゴ 1985)
- The Melancholy of Resistance (抵抗の憂鬱 1989)
- Seiobo There Below (2008)
- Herscht 07769 : A Novel (2021)
やはりここでも40年経過した小説とはいえ、処女作の『サタンタンゴ』が筆頭に上げられているのですね。
ただ残念ながらいずれも未邦訳です。
そんな中、前述のように、『Satantango (サタンタンゴ)』が図書刊行会による邦訳企画が進んでいて、来年には刊行予定だそうです。

次回は映画『サタンタンゴ』について書きます。
またノーベル文学賞の日本人作家の候補についても考えてみたいですね。
案外、近いところにおられるそうですよ。
さて、あらためて次回へ向け、映画『サタンタンゴ』を観ようかしらん。
しかし それには晩酌を諦め、よほど体調を整えて臨まないと…😓。
追記(2025.10.19)
この投稿の翌朝の朝日に、中東欧文学・阿部賢一さんによる「生の過酷さ・美しさ、包み込む長文 クラスナホルカイさんノーベル文学賞」との記事がきていました(何というタイミング!)。
紙面の画像とともにご案内します。(こちら)
また、10月15日 朝日〈天声人語〉でも取り上げられていました(こちら)


木工家具のデザイナー & 職人のartisanです。
