宮本貞治 さん

重要無形文化財・木工芸部門の保持者として、宮本貞治さんが認定されることになったようです。
敬意を表し、心から讃えたいと思います。
おめでとうございます。
かなり以前より、木工芸分野での次の人間国宝は、この宮本さんだろう事は信じて疑わなかったこともあり、意外感は無かったとはいえ、認定の報には安堵はもちろんのこと、少しく興奮めいたところがあります。
心からお喜びしたいと思います。
工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から
ここでは、前回に引き続き、天秤差しの紹介になりますが、特に引き出しの前板と側板の接合部ならではの鬢太(ビンタ)の仕口における天秤差しを、その加工法とともに紹介します。
いきなりで恐縮ですが、このBlog読者であれば、耳タコの話しでしょうが、木工に携わっておられる方でも耳慣れないかもしれない、この鬢太(ビンタ)について簡単に触れておかねばいけません。
「鬢」という語彙も今では死語になりつつあるかもしれません。これは頭部側面のこめかみ辺りの部位の髪を指す用語。もみあげから上の部分ですね。
お相撲さんの世界では「鬢付け油」という用語を聴いたことがあるかも知れませんが、その「鬢」です。
今回のブラックチェリーでのデスク制作は、以前の栗のビッグなデスクを参照したもので、デスク下、左右に配置するワゴンなどの構成も同様でした。
抽斗の割り付け等は異なるものの、天秤差しの仕口を含め、その構造、機構等は栗のデスクとほぼ同じです。
これらの部材、奥行き500mmという抽斗のワゴンとしては比較的深いものになりましたが、矧ぎによらずすべて1枚板で穫りました。
これはかなり贅沢です。
市場からこのような幅の広いのものを探すとなれば銘木扱いになりますが、手持ちの在庫の板で幅広のものがあり、可能となりました。
残念ながらうちの手押し鉋盤の能力は300mmしか無く、この幅を超える板の場合、基準面を出すのは容易じゃ無いですが、こうした制作過程の困難さを越え、木工家具としての堅牢性であったり、美しさから視れば、矧ぎより1枚板の方が断然に価値は高くなります。
簡単にその構成を示すと、
羽目板を取り外し可能としたのは、背部からのアプローチによるスライドレールの固定、位置調整のため。
数枚のうちの端の1枚分を倹飩(ケンドン)として納め、繋いでいく方式です。
内部の1枚の仕切り板ですが、これはここに納まる抽斗のスムースな摺動を確保させるための必須の部材。
左右の帆立は木部であり、経年変化や季節変動による反りなどの変形は避けがたく、そのままでは抽斗の摺動に支障をきたすリスクがあります。これを抑えるための板です。
帆立にアリ桟を穿ち、ここに板を差し込み、変形を抑えることで内寸の安定性は大きく高まります(無垢材の木口側は外部環境の変化、あるいは経年変化で変形するリスクは極めて低く安定しており、この物理的特性を利用するのです)。
ワゴンは上下600mmほどの高さですが、この仕切り板は中央に1枚あれば十分でしょう。
私はこうした箱物の場合、一般に框組を多用しますが、この構造の場合にはこうした配慮は、キホン無視できます。
しかし、板差しの場合は、こうした変形を回避させるための措置は必須。
またその方法は板材をアリ䙁で納めるのが最も容易で効果的です。
この種の制作現場での判断という領域の事柄などは、木工専門のテキストなどにはあまり言及されていないかもしれませんが、私自身がそうであったように、失敗を重ねつつ、これを克服するために学んだ職人世界のエッセンスとも言うべき物かもしれません。
板差しのシンプルな構成ですので、取り立てて意匠云々が反映されるものでもありませんが、正面、見付部分(板の木端にあたる部位)に大きくなだらかなR面を施しました。
昨今、箱物とここに納まる抽斗の位置関係などではフラットに設計するのがモダン様式の了解事項になっているように見受けられますが、この駆体の見付と、ここに接する抽斗前板の面取りの部位をあえてフラットにせず、奥行き感を見せています。
単に私が流行に抗っていると言ったことではありませんが、美意識などというのは元々自由なものであり、モダン様式を強く意識しながらも、過去の様式を参照しつつ、作者はこれらを独自に解釈し、造形していくという思考プロセスであったり、どこまで削り込んでいけば求める美が現れてくるのか、そうした意識と鉋のフィーリングや、面取りの刃物の設定を様々に試みる中から、自身の独自のスタイルが産みだされていくのだろうと考えています。
なお、抽斗前板側の面取りですが、ご覧のように、3杯の抽斗全体を1つのものと構成し、その外側に片銀杏を施しています。上下、重なり合う箇所は糸面。
駆体見付側の内に向かいなだらかな曲面の終わるところと、抽斗前板への片銀杏面の始まるところが接する形です。
ブラックチェリー材は10数年前、集中的に原木を探し、製材、乾燥管理し、これまで相当量使ってきたものの、まだ多少残っています。
幅:50〜60cmほど、長さ:4m。厚みは1.1分〜3寸5分まで、様々。
いずれも無節の優良材が獲れ、これまで大事に使ってきました。
個人の家具工房が、原木から探し出し、材料を管理するというのは、私にとってはごくフツーのスタイルですが、市場には家具材は様々なサイズの乾燥材が製品として流通していますので、これらを受注内容にあわせて調達すると言ったスタイルが一般的であるようです。
ただ、1つの家具に、産地や植生も異なるところから産出される材木を手当てして製作していくという一般的なスタイルでは、例え同一材種であっても、統一した色調、木理を前提とした高品質な家具を制作していくことは、やや困難かもしれません。
今回、ブラックチェリーでデスクを作りたいという依頼があり、制作事例として紹介させていただきます。
前述のようにこの材は多少のストックがありましたので、お話を進めることになったのですが、実はその前提としてこのクライアントが、大きなデスク用の天板を所有しているというのです。
聞けば、2寸板にも近い厚みの2mを越える重厚な1枚板で、高周波による乾燥材であるとのこと。
これらを前提に幾度にもわたるやり取りを経、詳細な設計プランを打ち立て、契約に至り、制作することに。
その後、搬送されてきたブラックチェリー、その幅は70cmを越える中杢で、追柾から柾の部位には縮み杢が乗り、美麗さは格別のものがありました。
杢が乗ってくるというのは、やはり高樹齢というのは必須条件で、高樹齢のものには何某かの杢が乗ってくるというのが、私の経験上の知見ではあります。
2寸板に近い厚みでしたので、まず問題になってくるのは、これをささえる脚部のボリュームと構造です。
物理的な耐荷重の問題ですが、これは意匠を含む、視覚的な安定感からも、相応の構造的堅牢性とこれを確保する部材のボリュームが必要となってきます。
在庫のブラックチェリーには80mm板もあり、これで主要な部材を木取ることで、これらの求めに応ずることに。
甲板より薄い材では、視覚的にもバランスに欠けますし、かといってデスクに3寸を越える厚みによる脚部の構成ではあまりに野暮ったい。
80mmから木取り、70mm近くに仕上がればベストバランス。
家具という構造体でバランスを考えるというのは必須の要件。
日本の伝統的な指物などから、部材の厚みの考え方、空間のバランスなど、学ぶべきところは多いものです。
以前もBlogで書いたことがありますが、1つの家具を構成する様々な複数の部材はそれぞれ求められる厚み(構造上、意匠上から)がありますが、しかし過度に厚みを変えて揃えるというのは、制作過程の複雑さを無駄に強いることにもなり、製作合理性に欠けることに繫がりますし、時には、その仕上がりは統一感に欠け、美しくは無くなるものです。
この辺りのバランス感覚も必要です。
優良で美しい家具は、こうしたところにも見どころがあり、参照すべきものがあります。
冒頭に述べた、原木製材から材木を管理するという優位性もこうした求められるバランスに応えるためのものということができます。
制作者自身の家具の構成から演繹される部材の厚みをあらかじめ認識し、それに基づいた任意の厚みの製材が可能となりますからね。
対し、市場に流通している材木の厚みには自ずから制約があります。
求められる厚みより薄すぎたり、あまりに厚く、所定の厚みまで削り込むのはあまりに無駄ということになります。
手頃な価格帯で良い家具を作るためには、あらかじめ優良材を条件として、複数の厚みの乾燥材を確保し、在庫管理することが必要と言うことになります。
前置きが長くなりましたが、以下、このデスクの制作上のポイントとなるところを中心に紹介します。
More »昨年末、「原発回帰」の政府方針が示されました。
3.11後、当時の民主党政権下で定められた原子炉に関わる基本方針(原子炉等規制法)は「原則40年、1回に限り20年を超えない期間 延長することができる(最長60年)」と定められ、下野し、野党になっていた自民党の賛同も得て法制化され、その後の政府もこれまでこれを遵守してきたところです。
しかしここにきて岸田政権はこれを邪魔だとばかりに取っ払い、定期検査、原子力規制委の審査、事故での停止などの停止期間を運転期間から除外し、60年を越える運転を可能とするという暴挙に走ったのです。
これを聞いた時には、信じがたい驚きが、次ぎにフツフツと怒りが噴きだしたものですが、その後、我に返れば、口 アングリで、言葉を失い、呆れ果てました。
現実はそれにもかかわらずとても複雑なシステムであるところから、運転期間40年以内であっても、これまで様々な事故が起きているのです。
また、例え運転停止期間であっても、原子炉プラントを中心とする原発システムは、時間経過とともに様々な部品は間違い無く、避けがたい経年による物理的変化から劣化していくものなのです。
法で定められた定期点検では確認のしようが無い、手が届かぬ張り巡らされたケーブル配線の被覆の劣化などはもちろん、原子炉プラントは中性子に照射曝露され、鉄の組成そのものが劣化し、プラントの耐久性への影響は避けがたいとみるべきでしょう。
これは中学生が考えても分かる、簡単な理科の常識です。
3.11から12年。十二支の干支ではありませんが、小学校に上がった子が、高校を卒業するという年月を重ねてきたのですね。
3.11という震災がもたらした日本の光景、特に福島第一原子力発電所のレベル7(国際原子力事故評価尺度)という最も深刻な大事故を経験させられた日本社会ですが、今、それらの風化は暴力的なまでに進められているようです。
岸田政権は3.11後のこれまでの歴代政権が封印してきた「原発回帰」を選択するという、怖ろしい事態が眼前に展開しているところから、その現状を見据えつつ、2回にわたり、今、問われていることを考えていきたいと思います。
今日はまず、この震災後の長い月日を振り返り、今、あらためてこの震災を問い直す映画が公開されていますので、これらの紹介をさせていただきます。
■ 公式Webサイト https://ikiru-okawafilm.com
全国で上映が始まっているこの映画ですが、3.11、大津波による多数の犠牲者を出した宮城県石巻市の大川小学校を題材に、遺された親たちの10年に及ぶ裁判闘争を中心としたドキュメンタリーです。
当時、メディアでも大きく取り上げられていたところからご存じの方も多いと思いますが、学校の西側を流れる北上川を遡上してきた津波に巻き込まれ、84名の犠牲者を出す大惨事に見舞われています。
地震発生から津波まで50分の時間的猶予があったのでしたが、学校側はその間、「津波が来る怖れがあります。できるだけ高いところに避難してください」との役場の広報車の呼びかけも無視し、生徒を校庭に座らせていたのです。
ひとりの生徒が1分足らずでのアクセス可能な、津波被害を回避できる裏山への避難を求めたものの、これを聞き入れること無く、最後は逆に少し小高くなった北上川のたもと(三角地帯)に避難させようと生徒らを誘導し、その結果、川を遡上し、押し寄せてきた津波に呑み込まれてしまったのでした。(一部の生徒は制止を振り切り、裏山に駆け上がり助かっています)
ルーター、およびトリマーのテンプレートガイドの有用性、あるいはその重要性については過去、何度も語ってきたところですので、読者には耳タコで、大変恐縮してしまうのですが、2点ばかり新たな事をお伝えしますのでご容赦の程。
タイトルにもある通り、これまではこのテンプレートガイドの重要性を指摘しつつも、その仕様はインチ単位のものしか展開されておらず、そこを甘受しつつ使っていたのところですが、市場性のあるものなので、どこか、ミリ仕様のものを製造販売してくれまいか、などといった要望も出しておいたところでしたが、めざとい方は既知のことかも知れませんが、あらためて検索したところ、… ありましたよ。
工房 悠はネット検索もまともにできないのかい、とのお叱りを受けてしまいかねないところですが、Amazonで取り扱いの開始時期を確認すれば、ここ数年の登録のようでした。
なので、私のつぶやきはあながち大きな間違いでは無かったようです。ほっ 苦笑。
2022年も暮れていきます。
若い頃と較べれば、やはりどうしても1年という時間経過が年々短く感じてしまうもので困ったものです。
これにはいろいろな説明を付すことができるでしょうが、私に言わせますと、算数で簡単に導き出される次のような身も蓋もない話しになります。
年齢に単純に反比例するのです。
例えば、小学1年生であれば6歳ですので、彼らの1年はこの年齢を母数にした、1/6の長さに値することになり、50歳であれば、その1年は、1/50にしかならないということです。
生きてきた時間分の1に相当するというわけです。…… 分かりやすいでしょ😅
つまり高齢者はあまりにも多くの時間の堆積があり、1年という時間単位は若者に較べ、その時間蓄積と対比した時、とても短いスパンでしかなくなるというわけです。
身も蓋もなく、やや截然過ぎる話しではありますが、仕方無いでしょ。苦笑
年齢を重ねると共に、無駄でしか無いような生活の知恵、ずる賢さも含む、このすばらしくも、愚劣で厳しい社会を生き抜く術を獲得してくるものですが、その一方、鮮度の高い、ステキな事柄に出遭っでも、それにふさわしい感受性を失いつつあることでキャッチすることができず、あるいはキャッチできても、海馬に上書きすることができずに無為なまま日々が過ぎ去っていく。
老いにセーブを掛け、若さを取り戻すきっかけになるかも知れないその新鮮なデータを無自覚なままに逸失してしまうというわけです。
老いの断章というものはそうしたものなのかもしれません。
こうした生命体としての寿命による思考力、記憶力、活動力などの衰えは抗いがたいものではあるでしょうが、ただこれを漫然と受け入れるのか、そうではなく、知的好奇心を失うこと無く、新刊本を開く、あるいはPCなどのツールを使ったクリエイティヴな作業を行う、などなど、自覚的に日々を送ることなどから、老化に身を任せることに抗い、若さを維持することは決して不可能なことでは無いように思います。
同世代の読者もおられるかと思いますが、最近、若い異性の思考や語り、魅力ある立ち振る舞いに心ときめくことはおありですか。
いやいや、異性への本能的な感応性というあまりに分かりやすい事柄では無く、仕事に立ち帰り、新奇性のあるデザイン、技法にときめくようなことを、どこかに忘れてきてはいませんか?
今、高校のクラス会開催の準備に関わっているのですが、現在判明しているだけでも、50名のクラス員で既に8名が亡くなっています。ま、これは年齢からすれば相応の状況なのかもしれません。
またほとんどの人が仕事をリタイヤしていますが、数名、長年勤めた仕事をリタイアした後、本格的に農業を始めた人が2名おられ、この晩年の農業従事には興味深いものがあります。
ぜひ、クラス会が開催できればお話しさせていただきたいものです
(私が通った高校のクラスは男ばかりで、クラス会はちょっと意欲が削がれますけどね…、苦笑)
先日、対面でのクラス会の準備会があったのですが、この1人はリタイア後、県が設置運用している博物館のような施設で解説員をされているというので、後日、この観覧に出かけたのですが、在学中には観られない活き活きとしたチューターぶりをみせてくれており、嬉しくなってしまったものです。
こうして他者との関わりを持ちつ、社会成員として自覚的に立ち働くことで、心身ともに健康に、ほがらかに晩年を過ごすことに繫がるのでしょう。
私はこれと言って取り柄も無く浅学非才の身ですし、ひたすら木工人生を歩むだけではあるのですが、1年 1年、与えられた家具制作を顧客の期待を損なうこと無く、いえ、そこを越える美しさと機能で作り上げ、あるいは、あらたなデザインを起こし、これを世に問うといった地道で、しかし堅実な営為の繰り返しの人生でしかありません。
私はこれまでもほとんど営業などしてきませんでした。
これまでいくつもの展示会を企画してきましたが、これらも画廊やギャラリーからのお誘いによる企画ものでした。
欲が無いというか、足るを知るというか、ボチボチというのか・・・苦笑
現在はWebサイトを設置し、インターネットを介するアクセスもありますので、ほぼ、何とか仕事が回っているというところです。
しかし、そうは申しても、意欲を掻き立てる企みも必要で、昨今、COVID-19パンデミック状況下もあり、展示会開催も困難ながら、何らかのインパクトのある試みも考えねばいけないかもしれません。
その1つ、というわけでもありませんが、親しくさせていただいているデザイナーの方からは、そろそろ作品を整理し、作品集を作らなきゃダメだぞ、などといった話し(≒脅し)もあり、年齢からすれば先延ばしする時間的余裕も無くなりつつあるのは確かなので、来年の課題ではありますね。
老いというのは、モノ作りに勤しむ者にとってはなかな微妙なところがあります。
起業してから数年後のことでしたが、箱物などを制作し終え、とても首尾良く良い仕上がりを獲得した時のこと、木工を生業として継続していける自信を確信したことがあったのです。
考えて見れば、経験不足から来る無駄なプロセスであったり、墨付けがいかに重要であるのか、構造的な合理性、堅牢性をいかに設計段階で考え抜くことができるのか、そうした、今にして思えば当たり前の事柄を自覚し、その結果の無駄の無い良い仕上げに繫がったというわけです。
光が見えたこの若い頃の経験は、その後、期待されるクライアントからの休む暇も無い次から次へと新たな仕事が舞い込み、これに深夜遅くまで立ち働くなど、圧倒的なボリュームをこなす中から、堅牢な身体を獲得しつつ、自ずと木工家具職人としての技能の修得へと繫がっていくものであったのでしょう。
同業同年代の周囲には木工をリタイアする人も少なく無いのですが、ほんとモッタイナイと思うことがあります。
磨き上げてきた熟練のワザを錆びさせるだけでは社会的損失でしょ、と言いたくなってしまいます。
きちんと社会還元してやりましょう。
しかしその一方、身体は間違い無く疲弊してきていますし、前述のように、新たな関連情報を仕込む意欲が減退しつつあることも否めませんので、心身ともに衰えつつあるこの年齢と抗いつつ、熟練した腕による木工を手放すこと無く継続する、この両者の鬩ぎ合いがキャリア職人のモノ作りにおける要諦の1つであるのかもしれませんね。
たった1年間でしたが、木工の教えを請い、学ばせてもらった優れた木工職人がおり、年齢は私の一回り上の方でした。
いわば私の親方ですが、実は今も仕事をしています。
この職人の仕事ぶりを良く知る問屋に聞けば、仕事の質もスピードもさほど落ちてはいないとのこと。
凄いですよね。私は前述のようにエラそうなことを言ってますが、この先12年後まで木工を継続する自信はありません。
しかし彼の現役姿を見れば老いている閑は無いよなぁと思いますし、少しでもその達観に近づきたいものです。
さて、老いの戯れ言で終始してしまいましたが、2023年も元気に木工に勤しみ、より魅力あるモノ作りに挑んでいきたいと思います。
COVID-19 パンデミックの終焉は未だに見えません。既に3年が経過するというのにです。
第一次世界大戦時のスペイン風邪が収束まで、丸3年ほど懸かったとされ、これに匹敵するだけの時間経過がありますが、交易、人的交流など、世界の構造は往時と較べることのできないものがあり、収束という概念をどのように定義づけるかはともかくも、まだまだ安心できる世界は見えて来ないようです。
今暫く、感染予防、防疫に留意した生活スタイルを維持しつつも、親しい人との交流を過度に遮ること無く、少しでも豊かな日常を送りたいものです。
1年間ありがとうございました。
2023年もどうぞよろしくお願いいたします。
図版は直近、半年間の100万人あたりの国別の感染者数の推移です。
青:🇨🇳
橙:🇬🇧
紫:🇺🇸
赤:🇫🇷
緑:日本
なんか、日本、ヤバくないですか ¯\_(⊙︿⊙)_/¯
図版のデータは、世界のほとんどのメディアが採用している Johns Hopkins 大学からのもので、
これをOur World in Data という調査研究所が図版作成し、公開しているものです。(こちらから)
前回の小卓の記事中、傾斜した板脚の木口への吸い付き寄せ蟻のブロックのための枘穴を穿つ工程にあって、大いなる威力を発揮するドイツFestool社のDOMINO について触れましたが、今回は補論として、このDOMINOに関し、その後の新たな専用コネクターの開発の動向を交え、少し考えを巡らそうと思います。
Festool社のDOMINO(DF500Q)はリリースから15年ほど経過します。
Blogでこの画期的なマシンを紹介したのは2007年2月23日のことですので、もう15年も経つのですね。
当時、 日本国内ではこれに触れる記事は皆無でしたので(Googleサーチから)、たぶん、このBlog投稿は日本で初めてのDOMINO紹介の記事だったようです。
基調としては、木工の電動工具としては全く新たな機構を有する画期的なものと、ポジティヴに高く評価する内容の記事でした。
この記事投稿には多くのコメントを頂いた記憶がありますが、中にはかなりネガティヴな評価を下される方もおられました。
「日本の木工には枘という仕口加工の文化があり、DOMINOはこれを代替させるものと考えられるものの、精度などを考えれば疑わしく、結論的には無駄なもの」、といった内容のものでした。
しかし、この〈DF500Q〉の世界的な反響に気を良くしたのか、Festool社は、これを建築現場でも使えるほどにスケールアップしたものを製造、リリースし、今に至ります(DOMINO XL)。
こうした進化発展の実態を観れば、市場からの高い評価があればこその新たな開発投資への経営判断があっただろうことは疑いないところです。
前述の私のBlogへの、加工精度が怪しいと言ったような故無き評価を蹴散らし、使えば使うほどにその評価は高まる一方であるようです。
前回の板脚木口への傾斜した枘穴加工の記事で紹介した通り、NCマシンであればいざ知らず、通常の木工汎用マシンではとても困難なアプローチも、このDOMINOに依れば、いとも簡便に枘穴を穿つことを可能とする特異な事例をはじめ、多様な使用法が考えられる高機能、高性能なマシンです。
こうして、一般的な枘加工における電動工具としての威力は、大型木工機械を設備しないアマチュアの木工愛好家への大いなる朗報であったでしょうし、私のようなキャリアの木工職人にとっても、特異な機能、性能を有するマシンとして高い評価をもって受け入れられてきているところです。
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