Archive for the ‘論考「職業としての家具作り」’ Category

クォリティーへの評価(オリジナリティーとの対比において)              ── 村上富朗さんの仕事 ──

ボクはウィンザーチェアについて特段語るべきことを持っているわけではない。 今日の考察については解釈における間違いが含まれるかもしれないが、そこは知見を持つ人からのコメントで補強していただければありがたい。 他でもない、さ […]

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職業としての家具作りについて(10)

「家具工房」という生き方について 幸せで豊かな人生を送りたいと思うのは人として誰しも共通の願いだ。 しかし「幸せ」も、「豊かな人生」もその基準はとても茫漠なもので人によっても、考え方によっても様々だろう。 「家具工房」と […]

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職業としての家具作りについて(9)

新自由主義という身も蓋もない経済システムは、いわゆるグローバリゼーションという名の米国多国籍企業による世界経済支配を拡大させ、それまでの製造、流通、販売の環境を木っ端微塵に解体してしまうものだった。 これはあらゆる産業に […]

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職業としての家具作りについて(8)

現代の木工家具に求められるもの あまり広範な領域で言及するのもそもそもの課題からしてそぐわないし、焦点が定まらなくなる怖れもあり、またその任でもない。 あらためてもう1度木工家具制作のこれからの在り方に引き寄せて考えよう […]

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職業としての家具作りについて(7)

木工家具は反時代的か 木工家は何故貧乏なのか。 数年前ある著名な文芸評論家が晩年に「清貧の思想」なるものを提唱していたことを記憶している人も多いかも知れない。 木工家の生き方はさて清貧なのだろうか。ここでそのような命題を […]

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職業としての家具作りについて(6)

前回は[家具作家に準ずる木工家]という項が途中だった。 引き続き[家具作家に準ずる木工家]の抱える問題とその打開の道筋について考えていく。 前回も述べたようにこのカテゴリーにおいては従事する人も多く、一方での既製家具との […]

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職業としての家具作りについて(5)

これまで木工家を取り巻く環境と、そこに求められるものについて考えてきたが、ここからはさらに具体的に家具工房の抱える問題を整理し、可能であればこれらの打開の道筋を考えていきたいと思う。 様々な業態の家具工房と、それらが抱え […]

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職業としての家具作りについて(4)

家具製作に求められるもの 消費社会がもたらした画一的な商品としての家具の氾濫は極限的なまでに進行する欲望社会の到来と呼応する形でより無機質に、デザインされることすら罪であるかのようなミニマルデザインがもてはやされるなどの […]

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職業としての家具作りについて (番外)

一昨日(20日)の「職業としての家具作りについて (3)」記事へしっかりと応えねばならないコメントが投稿されたので、こちらで記述することにする。 Genji Sugiさんなる人からのものだが、恐らく初コメント。 >私は全 […]

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職業としての家具作りについて (3)

家具製作のもう1つの本来の姿 近代産業がもたらした大衆消費社会によって家具というものが住宅の中へとあまねく導入、設置されていく過程において、その供給元は町の木工屋からマスプロダクトの製造システムを整備した家具メーカーへと […]

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