工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

〈 蔵の中の椅子展2011“形のやくわり” 〉 展、ギャラリートーク


〈 蔵の中の椅子展2011“形のやくわり” 〉展、関連企画の1つの「ギャラリートーク」は「ギャラリーはしまや」に併設されたカフェで行われた。

講師は木工、家具などの著書で知られる西川栄明氏。
会場スペースにちょうど良いほどの参加者を得て進められた。

椅子のデザイン、造形というものを、歴史を遡り、有史よりはるか昔から人類の歴史とともに椅子という用途をもった道具が使われており、あるいは権威の象徴としての古代エジプトに見られる王の椅子をルーツとし、様々に展開され、現代の家具調度品として作られていったとする。

現代においても、実は多くの名作椅子のデザイン、造形というものが、そうした古代の椅子に原型を持つものを見ることができるということを、いくつもの事例を参照しつつ解説を加えていく。

これらは、西川栄明氏の近著『名作椅子の由来図典』(誠文堂新社)に詳細に語られているところだが、「ギャラリートーク」では、この主要部分をスライドを交え、楽しく語ってくれるというもの。
More »

蔵の街 点景

倉敷川

倉敷川

IVY学館内 IVY学館内・メタセコイヤ
IVY学館内・メタセコイヤ IVY学館内
倉敷IVYスクェア IVY学館内 
IVY学館内 美観地区
大原美術館 大原美術館
大原美術館 大原美術館
大原美術館 倉敷民芸館
ジャズ喫茶 ギャラリー はしまや
ギャラリー はしまや ギャラリートーク

撮影機材:OLYMPUS XZ-1

蔵の中の椅子展2011展、訪問

ギャラリー はしまや、正面より

ギャラリー はしまや、正面より


11月4日(昨日だね)、〈蔵の中の椅子展2011“形のやくわり”〉に表敬訪問させていただいた。

倉敷は美観地区の東に立地し、なかなか趣のあるスペースだった。
そも、とてもクールな公式Webサイトでもこうしたイメージを彷彿とさせるものとなっているので、立地環境を想像することもできないわけではないが、
自分の足で白壁と焼き杉の板塀という独特のモノクロ美で構成される町並みの狭い路地をくぐり抜けていけば、いつのまにか100数十年前の時代へとタイムスリップし、徐々に心と体も馴染んでいき、倉敷を自分のものとして感じ取ることができていく。

かつて数年間居住した松本市内の一角にもこうした地区があったが、その規模と、保存の徹底ぶりにおいて次元を異にするように伺えた。

そして、観光客らの喧噪が途絶えるあたり、店舗の並びに替わり、端正でありながらもどことなく古色蒼然とした普通の民家が立ち並ぶ一角に、このギャラリーがあった。
More »

フクシマ・内と外との非対称(その2)

〈承前〉
11月2日、福島第一原発2号機において、核分裂反応を起こす際に放出される“放射性キセノン”が検出されたことで、核分裂が連続する「臨界」が局所的に起きた可能性があるとする発表が行われていたものの、今日3日になって東電は「原子炉の燃料に由来する放射性物質キュリウムなどが自然に核分裂を起こす“自発核分裂”で発生したものであり、“臨海”ではなかったと修正する、というドタバタ劇が演じられていた。

狼少年のような混乱を見せている東電だが、すわ「臨界」か、と騒がれた2号機はともかくも1、3号機格納容器などは、とても作業員が近づけるような状況下にないために、これらを判断するための計測器の取り付けなどは行われておらず、炉がどのような状態なのかは皆目分からないという。

これでも年内の冷温停止状態達成の目標も問題なく達成できる、と強弁しているのだが、この不思議なロジックを信じる人があるというのならばぜひお目に掛かりたいものだ。

さて、前回は〈放射能除染・回復プロジェクト〉への参加をめぐる意識の在り様について独白してきたが、今日はこの“躊躇”について、つまり「除染はナンセンス」という言説が大きく阻害していることに関して、少し考えていく。

震災直後、海外からは多くの支援と共に、この過酷な震災にも関わらず、日本人の秩序だった行動、思いやりの精神、責任感の強さに驚くという論評に話題が集まったことは記憶に新しい。
「白熱教室」のマイケル・サンデル教授も次のように称賛した。

「あれだけの震災に遭いながらパニックも起こさず、(2005年に米国南部を襲った)ハリケーン・カトリーナの時に見られた強盗も便乗値上げもなかったことは驚きだった」と繰り返した。
また「(原発問題では命懸けで取り組むという)信じられない自己犠牲もあった。この際立った公共性、秩序、そして冷静さ。略奪や便乗値上げなど考えもしないコミュニティーへの連帯意識があった」
  →日経ビジネス

More »

何か良いことあるかな? ─ 天空を見上げて

晩秋、薄暮の空に虹が‥‥from iPhone4


画像、ご覧の通り、虹。
ちょっと彩度に欠ける色調なれど、まごうことなく虹である。
しかし、この天空の現象、ホントに虹なの?、というほどに、ストレートにに喜べるものではなかった。

今日は当工房から30kmほど東の静岡市内の顧客宅2軒を訪問。
全てを終えての帰路、中心街で買い物をすべく歩いていた時のこと、何気なく天空を見上げれば、何とこの虹が架かっていた。

気象は晴れ。終日晴れだったのに、である。
ただ虹が架かる条件は揃っていたかも知れない。

時刻は午後4時。霜月11月の薄暮の時間帯だ。
薄明るい日射しを放つ太陽が西の空へと傾きかけ、
雲を形成するほどでもない細かな水滴が天空に現れ、
ここに傾きかけた太陽光線が低い角度で照射し、スペクトルを生成させた。

一般には、そしてボクの虹体験でもそうなのだが、陸上近くから天空に向かって大きな円弧を描くという風であるが、今日のモノは、まさにビル街の真ん中に空いた天空の一部をキャンパスにして描かれるというもので、かなり異様な感じ受けた。

街中を足早に歩く人々は全く気づく風でも無いようで、これはオレだけの幻か?と心配になり、手を伸ばし、指さして、辺り構わず、虹だよ !!、と小さく叫んでみる。
女子高校生たちは大喜びではしゃぎ、帰社を急ぐサラリーマンも立ち止まり、ほっと笑顔になる。

次に立ち寄ったデパートでの買い物のレジでも、外へ出ると良いものが見られるよ、とiPhone撮影の画像を見せる。
えっ、ホントですか、と笑顔になるも、でも私だけ出るわけにも ‥‥、との応答。それもそうだね。

買い物を終え外に出、あらためて天空を望むが、そこには虹のかけらも無く、飛行機雲だけが残っていた。

ネットプリントサービス、長足の進歩

セブンイレブンのネットプリントサービスに関しては過去、数度取り上げてきたが、今日はホントに久々に利用したところ、大いに驚かされた。
印刷品質が格段に向上していた。
まるで印刷所のオフセット印刷、あるいは活版印刷の仕上がりであるかのよう(いや、冗談では無く)。

これは解像度が高いということと、やはりインクジェットプリンターという“おうちプリント”とは違い、レーザー方式(レーザー・ゼログラフィー方式)であるためか。

今日はイラスト、写真、テキストが混在したフルカラー、A3サイズ、2枚のPDF文書に焼かれた観光マップ、これをおうちのMacからネット経由でセブンイレブンのコピー機へと送り込んだ。(おうちプリントはA4まで、コピー機はB4までなのでね)

最寄りのセブンイレブンのマルチコピー機の操作パネルで予約番号を呼び出し、これをA3、両面での印刷に設定。
‥‥ 、データを取り込むまでにかなりの時間が掛かったが(2MBほどのデータで5分近く)、印刷が始まるとあっという間に自動で両面に印刷され排出されてきた。

これまでもネットプリントは顧客への図面を送る際に利用させてもらっていたが、自分でプリントアウトすることはホントに久々のことだったからね。

>顧客への図面を送る
これって、とても便利。
普段はプリントアウトしたものをメール便などで送るのだが、修正後の図面、写真などを緊急に確認してもらう時などは、このネットプリントサービスは威力を発揮する。

全国どこでも顧客の最寄りのセブンイレブンのコピー機で、知らせたプリント予約番号で取り出し、これを印刷してもらえば良いのだからね。これが超簡単で、便利。

このサービスはセブンイレブンのコピー機がミノルタからゼロックスに替わって間もない頃から(2003年)だと思うので、かなりの年月を経てきているが、数年前までは、解像度が低かったからなのか、あるいはネット接続環境が悪かったからなのか(恐らくは両方)彩度が出ず、とても満足できる品質では無かった。

しかし今日の出来映えのあまりの高品質さに驚き、これを店内で見掛けたオーナーを捕まえて伝えたのだが、普段むっつりしているここのオーナー、破顔し、大いに喜んでくれた。
そのシステム、および品質を理解し活用する人は、この店ではまだまだ少ないのだそうだ。(2011年4月時点で登録ユーザー100万人とのことなのだが‥‥)
More »

フクシマ・内と外との非対称

不耕作地を借りての田んぼ除染実験

不耕作地を借りての田んぼ除染実験の様子

福島からのメール

今朝、都内に住む知人からメールが入り、福島行きのバスからだという。
福島市内で企画されている「なくせ ! 原発 安心して住み続けられる福島を ! 10.30大集会」に参加するとのこと。

福島市での除染実証実験のプロジェクトに参加したボクの振る舞いにショックを受けたことを明かしていた人だが、ともかくも現地に足を運んで見ることの必要性を感じての福島行きだと言う。

なるほど、確かに福島から戻り、日常を送る日々は、実に安寧で、心静かに秋の深まりを感じ取りつつ、仕事にも、私的な生活にも平静でいられる自分がいるわけで、福島の環境とは圧倒的な非対称というものをあらためて感じざるを得ない。

この福島体験の人からは、帰路、林檎が鈴なりの果樹園を見て、その美しさに涙が止まらなくて困ったとの2信が来た。
彼の地のその美しさも、大変残念なことに放射線に汚染されたものであれば、単純に愛でることも、もはやできない。
幾重もの属性をまとったものとして、哀しさとともに語られてしまう。

「放射線除染・回復プロジェクト」活動中、恥じ入る失態をしてしまったことがあった。
除染活動敷地内に大きなイチョウの木があり、ボロボロと銀杏がこぼれ落ちていた。
うっかり「どうして収穫しないの?」と口から出てしまったのだが、収穫したからといって安易に食用にできるはずもなく、現状認識の甘さに大いに恥じ入った。

農産物への放射線汚染の問題はとても深刻だが、問題はむしろ翌年の方だという専門家も多い。
果樹の樹木への放射線汚染は、今年の場合は樹木、葉っぱ、果実に降り注いだ放射線からの影響が大きいが、来年はむしろ土壌からの移行が問題となるという。
More »

玉杢・ケヤキの卓(その2)


3尺角の玉杢を持つケヤキの座卓ということであれば、そのフォルムはただシンプルな方が良いだろう、ということで画像のような脚部デザインにした。

甲板は四方を少し太鼓に張らせ、角は大きくタイトにカット(これは脚部造形に相応させるもの)。

これは松本民芸家具のリストにもあるような、やや様式的なものだね。
職業訓練校で修行していた頃、教官から見せられた図面にこのようなデザインがあったような記憶がある。安川慶一のクレジットがあったのだったかな?(松本民芸関係者の方、違っていたらご指摘ください)

脚は四方転び(ただこの場合は対角線に配置されるので、加工は一方だけの転びになる)。
これを三方テーパーに造形し、表は角面を大きく取り、裏はなだらかな曲断面を付ける。

これに幕板を巡らし脚部を構成することもあるが、今回は単独のまま「送り寄せ蟻」で接合させる。
More »

玉杢・ケヤキの卓


うちではほとんどと言ってケヤキで家具を作るということはない。
あまり好まないからなのだが、どうしてかと言えば、日本の木工芸において、ケヤキはある種、絶対的なイコン。特有の材種であることへの忌避があるからだね。

絶対的なイコンという意味は、もちろん国産材の中では一等級の価値を持ち、好まれるだけの理由があるからなのだが、ただモダンな木工家具の作り手の立場からすると、この材種が持つ固有の価値に依拠して家具制作に当たることに、言うに言われぬ後ろめたさみたいなものを感じてしまう。
このようにボクにとってはあまり幸せな関係では無い樹種ではあるが、それを克服して立ち向かわねばならない時もある。

Top画像はケヤキのいわゆる玉杢を持つ板面の画像だが、これを座卓として刻んでいる。
More »

「ウィーン工房 1903-1932 モダニズムの装飾的精神」展

 仮面のいただきをこえて
 そのうねうねしたからだをのばしてはふ
 みどり色のふとい蛇よ、

 その腹には春の情感のうろこが
 らんらんと金にもえてゐる。
 
 みどり色の蛇よ、
 ねんばりしてその執着を路ばたにうゑながら、
 ひとあし ひとあし
 春の肌にはひつてゆく。
 
 うれひに満ちた春の肌は
 あらゆる芬香にゆたゆたと波をうつてゐる。
 
 みどり色の蛇よ、
 白い柩のゆめをすてて、
 かなしみにあふれた春のまぶたへ
 つよい恋をおくれ、
 そのみどりのからだがやぶれるまえで。
 
 みどり色の蛇よ、
 いんいんとなる恋のうづまく鐘は
 かぎりない美の生立をときしめす。
 
 その歯で咬め、
 その舌で刺せ、
 その光ある尾で打て、
 その腹で紅金の焔を焚け、
 
 春のまるまるした肌へ
 永遠を産む毒液をそそぎこめ。
 みどり色の蛇よ、
 そしてお前も
 春とともに死の前にひざまづけ。

これは〈みどり色の蛇〉と題された「大手拓次」という詩人によるもの。
ボードレールのような詩情を感じさせるものだが、萩原朔太郎も影響を受けたと言われる大正年代の詩人であるとのこと。
ボクは初見だった。

これは「ウィーン工房 1903-1932 モダニズムの装飾的精神」展のパンフレットに引用されていたものだが、妖艶なエロスに満ちた詩歌だ。
なるほど、同時代の日本においても、浪漫的というか、ある種の退廃的な文芸が流行し、社会風俗もそのような傾向を見せていたようだが、美術工芸においてはなお顕著であったかもしれない。
More »