工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

フクシマ・内と外との非対称(その2)

〈承前〉
11月2日、福島第一原発2号機において、核分裂反応を起こす際に放出される“放射性キセノン”が検出されたことで、核分裂が連続する「臨界」が局所的に起きた可能性があるとする発表が行われていたものの、今日3日になって東電は「原子炉の燃料に由来する放射性物質キュリウムなどが自然に核分裂を起こす“自発核分裂”で発生したものであり、“臨海”ではなかったと修正する、というドタバタ劇が演じられていた。

狼少年のような混乱を見せている東電だが、すわ「臨界」か、と騒がれた2号機はともかくも1、3号機格納容器などは、とても作業員が近づけるような状況下にないために、これらを判断するための計測器の取り付けなどは行われておらず、炉がどのような状態なのかは皆目分からないという。

これでも年内の冷温停止状態達成の目標も問題なく達成できる、と強弁しているのだが、この不思議なロジックを信じる人があるというのならばぜひお目に掛かりたいものだ。

さて、前回は〈放射能除染・回復プロジェクト〉への参加をめぐる意識の在り様について独白してきたが、今日はこの“躊躇”について、つまり「除染はナンセンス」という言説が大きく阻害していることに関して、少し考えていく。

震災直後、海外からは多くの支援と共に、この過酷な震災にも関わらず、日本人の秩序だった行動、思いやりの精神、責任感の強さに驚くという論評に話題が集まったことは記憶に新しい。
「白熱教室」のマイケル・サンデル教授も次のように称賛した。

「あれだけの震災に遭いながらパニックも起こさず、(2005年に米国南部を襲った)ハリケーン・カトリーナの時に見られた強盗も便乗値上げもなかったことは驚きだった」と繰り返した。
また「(原発問題では命懸けで取り組むという)信じられない自己犠牲もあった。この際立った公共性、秩序、そして冷静さ。略奪や便乗値上げなど考えもしないコミュニティーへの連帯意識があった」
  →日経ビジネス


ボクたち日本人は、こうした海外の論評にこそ、驚いたものだ。
こんなこと、日本人はあったり前じゃんと、こそばゆく感じたものだ。

これは日本という国民国家に生を受け、育まれ、生きてきた人々がいくつもの時代を超えて醸し出してきたエートス(ある社会集団•民族を支配する倫理的な心的態度)に依るものだろうし、
極東に位置する島国で構成される国という特殊性もあり、近年他国から侵略されたこともなく(侵略した歴史はあるけれど、それはひとまず置くとして)、一億総中流と言われた(今では所得格差も天文学的に大きいので、過去形になっていいるけれど)ことにあらわされている階級制度の不鮮明なお国柄という、際だって特異な国家形成を果たしてきたことの恩恵がもたらしたものと言えるだろう。

これらから“千年に一度”などと言われる大震災にも関わらず、被災者も耐えに耐えて、復興、復旧へと起ち上がっている日本社会特有の見立てとすることは可能かも知れない。

ただボクは震災を巡るこうした安易な表現はホントはしたくない。
日本政府の支援の手が遅いことに怒りに怒っている人、震災により精神的平衡を失っている人、自殺に追いやられる人も一方ではいるということを無視したところで、雑駁に論ずるのは間違っている。
海外からの称賛を過度に参照させることで、物言わぬ民へと同調圧力を加え、抑圧を強制する装置として働かされるのではたまらん。

そうした整然とした被災者の振る舞いの1つとして、故郷を失う事への怖れを口にする人の何と多いことか。
まさに国民国家、ネーションとしての紐帯の基軸となるのが、故郷の山や川、子どもの頃から、育んでくれた自然であり、親兄弟、親戚の絆、そして多くの仲間達との繋がりであり、これを捨てての人生はあり得ないとばかりに、故郷へと殉じる覚悟の人の何と多いことか。

今朝の朝日朝刊「オピニオン」ページに桜井勝延南相馬市長の投稿がある(asahi.comでの記事閲覧は有料会員限定 クソッ)。「避難区域に応じた支援を」
ご存じかと思うが、この桜井勝延南相馬市長は、政府からの支援の手が余りに遅く、あまりに不十分な中、独自の支援プログラムをいち早く打ち立て、児玉龍彦東大教授とともに除染活動を積極的、先行的に行っている被災地の自治体の首長だ。

ボクはこの投稿を読み、あらためてこの市長のスゴさを知った。
ここでは結語だけ引用しておこう。

 私は南相馬市を震災前より発展させたいと考えている。復興は市民が主体であってほしい。市民を強く結びつけることで、全市一体の取り組みが生まれてくると思っている。

その前段の文脈では「緊急時避難準備区域」指定という過酷な放射線汚染の線引きというものが、実態を反映していない同心円での距離で指定されているということへの批判、そして国と東電への原発震災の責任を強く指弾する内容となっている。

自治体首長としての公的な立場からのものとはいえ、いかに困難が厳しかろうが、町を復興させ、さらには震災以前よりも発展させるという強い決意が示されている。
その後ろには被災しながらも留まり続け、市長と共に歩む多くの市民の姿があるのだろう。

数日前の30日、NHK ETV特集「果てしなき除染 〜南相馬市からの報告〜」が放映されたが、ご覧になった人も多いと思う。
膨大な放射線が降り注ぎ、その中で不安を胸に押し隠しながら暮らしている人々の姿、そしてこの環境を少しでも改善せねばと、毎週のように東京から駆けつけ除染の指導に当たる児玉龍彦東大教授の姿などが描かれていた。

この児玉龍彦東大教授は、編集からは除かれた次のような言葉があったと、制作者が伝えている(Blog「toriiyoshiki’s Blog」

「年間線量1ミリシーベルト以上の人は避難する権利がある。 国と東電はそれを保証する義務がある」

はっきりさせよう。つまり児玉教授は「厳しい環境からは避難が基本だ」としているわけで、「除染」するからそこに留まれ、という政府の「除染」プログラムを推進している立場では無いわけだ。

ボクはTwitterをしているわけでもなく、さほど関連する人々のBlog言説をチェックしているわけでもないので詳しくないのだが、児玉教授を「除染」利権と絡めて論ずる者もいるというので言葉を失う。

彼のようにいち早く現場に赴き、右往左往する自治体職員を励まし、指導するという人がいれば、一方で安全圏から匿名で怪しい情報源を拡張解釈し、あらぬ卑しい言辞を吐き散らす輩もいるというのがネット言説界だ。

ボクの今回の〈放射能除染・回復プロジェクト〉への参加も、まずは避難が基本。
政府の支援の手を待っていては取り返しのつかないことになってしまう。
全国から、あるいは海外から、民間、個人レベルの多くの被災民の受け入れ態勢、ネットワークが作られ、あるいは自主的に知人を頼り新天地へと旅だった勇気のある人も多い。

しかし様々な事情から避難することのできない人々も多くいるというのが現実。
その理由の中には、自主避難では支援が受けられないのでガマンしている、という人も多いという。こんな理不尽は許せない。

福島市内の渡利地区は、今回のプロジェクトで連日何度も通った地域だが、子ども一人遊ぶ姿は見られないという厳しい環境下に置かれていることも知った。

そうした政府の支援が届かず、留め置かれた人々、地域に足を踏み入れ、避難を薦めながらも、どうしても避難できないのであれば、積極的に「除染」へと踏み出すというのが、この〈放射能除染・回復プロジェクト〉の基本的な考え方なのだ。
彼らはそれを受ける権利があり、科学者はこれに積極的に応じ、ボクはこれを支援していくというのがあり得べき姿だろう。(つづく)

次回は「市民科学者」というテーマで考えて見たい


20111030 果てしなき除染 南相馬市からの報告 投稿者 PMG5

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