工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

フクシマ・内と外との非対称

不耕作地を借りての田んぼ除染実験

不耕作地を借りての田んぼ除染実験の様子

福島からのメール

今朝、都内に住む知人からメールが入り、福島行きのバスからだという。
福島市内で企画されている「なくせ ! 原発 安心して住み続けられる福島を ! 10.30大集会」に参加するとのこと。

福島市での除染実証実験のプロジェクトに参加したボクの振る舞いにショックを受けたことを明かしていた人だが、ともかくも現地に足を運んで見ることの必要性を感じての福島行きだと言う。

なるほど、確かに福島から戻り、日常を送る日々は、実に安寧で、心静かに秋の深まりを感じ取りつつ、仕事にも、私的な生活にも平静でいられる自分がいるわけで、福島の環境とは圧倒的な非対称というものをあらためて感じざるを得ない。

この福島体験の人からは、帰路、林檎が鈴なりの果樹園を見て、その美しさに涙が止まらなくて困ったとの2信が来た。
彼の地のその美しさも、大変残念なことに放射線に汚染されたものであれば、単純に愛でることも、もはやできない。
幾重もの属性をまとったものとして、哀しさとともに語られてしまう。

「放射線除染・回復プロジェクト」活動中、恥じ入る失態をしてしまったことがあった。
除染活動敷地内に大きなイチョウの木があり、ボロボロと銀杏がこぼれ落ちていた。
うっかり「どうして収穫しないの?」と口から出てしまったのだが、収穫したからといって安易に食用にできるはずもなく、現状認識の甘さに大いに恥じ入った。

農産物への放射線汚染の問題はとても深刻だが、問題はむしろ翌年の方だという専門家も多い。
果樹の樹木への放射線汚染は、今年の場合は樹木、葉っぱ、果実に降り注いだ放射線からの影響が大きいが、来年はむしろ土壌からの移行が問題となるという。

福島第一原子力発電所の原発震災による放射線線は福島県下だけでは無く、広く大地、空中、海上を汚染させてしまっているので、350km離れたここ静岡でも3.11以前とは較べれば、明らかに影響下にあると言うしか無い。
しかし、政府の安全神話に依拠するわけではないが、一応は日常生活を送ることのできる環境と見なせるだろう。
自宅周辺、線量計で計測すれば0.08μSv/hほどだが、要するに比較衡量の問題。

つまりはフクシマとは圧倒的な非対称な関係にある。
否が応にもボクたちは今後こうした時代を生きていくことになる。

躊躇した〈放射能除染・回復プロジェクト〉への参加

ところで、福島での〈放射能除染・回復プロジェクト〉への参加するにあたっては、これに躊躇が無かったかと言えば嘘になる。

ただ間違えてもらっては困るが、市内一帯が低くは無い放射線に汚染されている福島市に降り立ち、数日間にわたって活動することでの避けがたい被曝による健康障害への懸念が福島行きを躊躇させたわけではない。

そうではなく、ボクのような原発や放射線に無知の者が福島に降り立ち、活動することへの無理解であったり、あるいは福島の汚染状況からすれば「除染」などナンセンス、という無視することのできない主張に関わることである。
「除染」すれば住めるようになるといった、政府の「安全神話」に荷担するに等しい活動だ、との指弾を受けることが必定だからだ。

この2つについて、少し整理して考えてみたい。
まず最初は、福島での被曝という過酷な状況をどう考えるかだが、これには何も曖昧なところはない。

今や原発震災による被曝問題というものは、日本社会において最大の問題であり、これはほとんど全ての人に取り逃れることはできない、いわば絶対的な命題であるからだ。

福島県下の自治体は連日放射線測定の結果を公開し、県外自治体の多くもこれと同様に続いている。
一方、これらの測定方法はメッシュ状のポイント設定であることに問題があるとして、多くの市民が独自の計測活動を行っており、それぞれBlogなどで公開しているという状況がある。

モンスーン地帯特有の四季に恵まれ、豊かな自然に育まれた国土の広汎な地域が、足を踏み入れることのできない放射線で侵され危険地帯になってしまうという、これ以上に無い災厄を前にし、まずはその実態を知るにあたり、あるいはそれに踏まえた自己の振る舞いを見定めるにあたり、メディアや、ネットからの情報に右往左往するという姿は身体性から離れた仮想現実をさまようようで、あまりに心許ないではないか。

少なくない数の人々が、こうした現実から逃避し、見て見ぬふりをし、事故直後は連日に渡り声高に記事を上げていたBlog運営者も、今や全てが終わってしまったかのごとくに言葉を失っているという状況がある。
こうしていまだに収束への道筋が見えない危機を前にしながら、事実を直視しようとしない思考というものはある種生存本能の1つの在り様だろうと思うので、それ自体を責めようとは思わない。

現場に立ち、寄り添い、考え、実践する

ボクを福島へと駆り立てるのは、そうした自己生存本能を超えて、3.11以降、これまでに、あるいはこれからも福島の地で居住し、生きていこうとする膨大な数の人々と、かりそめにもその場を共有したいという欲望の方がが勝っている、という説明がふさわしいように思う。

「除染・回復プロジェクト」への参加は、そうした考えを基底とした実践的帰結であり、政府やメディアの膨大な量のウソに塗り固められた情報操作や仮想空間でのおしゃべりに虚無感を覚えた末の、身体的な解決法だったということになるだろう。

今さら再確認するまでも無く、高濃度で莫大な放射線を大気中に、あるいは海中にまき散らしてしまった福島原発震災の責任は、第一義的には東京電力にあることは言うまでも無いし、その許認可および、原発推進の旗を振ってきたのが、我らが政府であることも疑いないわけだが、このことは、原発事業と直接的な関与をしてこなかったボクら市民にも責任の一端があるというのが公平な考え方だろうと思っている。

原発の危険性については、少なくない数の科学者、専門家、ジャーナリストが指摘してきたことだし、ボク自身原子力というものは人類とは相容れないものであるとの考えを持ちつつも、しかしそうした立場に立っての明確な運動を担ってきたわけでもない。
あるいは一方、小出裕章氏が講演の冒頭で、原発を止めることのできなかった責任を苦渋に満ちた言葉で謝罪し、敗北感を吐露するというほどには重さを感じ取っているわけでもない。

多くの市民もそのような考えに立ち、苦しんでいると思うのだが、ボクはそうであれば、それまでの自身の原発への対応を反省し、全く遅れてきた青年であるわけだが、それでも原発震災による放射線汚染に立ち向かうという姿勢を持ってしか、明日への希望は掴めないだろうな、という思いに至ったというわけだ。
悩むのであれば、過酷な現場に立つことでしか打開の方策は見いだせないだろうということが、至極当たり前の結論ということになろう。(つづく)

画像は福島市内・飯野地区/不耕作地を借りての田んぼ除染実験

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