工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

果たして日本の夜明けとなるか(民主党政権誕生)

8月30日衆院選の結果は民主党の雪崩を打つような勢いと規模での圧勝に終わった。
既にほとんどのメディアがこの結果にほぼ近似する事前調査報道を出していたのであらためて驚くほどのものではなかったといえ、巌(いわお)の如くに強固に打ち鍛えられてきた55年体制というものが見事なまでにひっくり返った現実というものを見せられると、さすがに感慨深いものがある。
まさに政治の世界に訪れた久々のダイナミズムに打ち震えた人も多かったに違いない。
しかしそれにしても、この55年体制を率いてきた自民党という保守政党のおぞましさ、低劣さというものをこれほどまでに思い知らされたということも、この感慨を強くする要因となっているようだ。
選挙戦も終盤に近づくにしたがい、党首麻生氏のだみ声は一段と凄みを増すものの、語られる事はもっぱら戦前回帰のアナクロ的な国体キャンペーン、一方首都圏中心に各家庭のポストにばらまかれた誹謗中傷のピンクビラは謀略の腐臭すら漂ういかがわしい代物(その1)(その2)(その3)。
ついに極まったか、の感強し。
がっぷり四つでの横綱勝負をするどころか、弱小泡沫候補の如くの捨て鉢でのネガティヴキャンペーン。
この断末魔のようなあげきには、ホントにびっくりした。
これがあの巨像、自民党の実態だったのか、巨像ならず虚像に過ぎなかったのか、と。
これでは勝てる試合もみずから放棄するに等しい所業ではないか。
唯々諾々と乗せられると思われてしまった俺たち選挙民も愚弄されたものだと嘆かわしくなる。
(その1)【知ってドッキリ民主党】民主党には秘密の計画がある!! :PDF
(その2)知ってドッキリ民主党 これが実態だ!!:PDF
(その3)民主党=日教組に日本は任せられない:PDF
‥‥‥いずれも《自民党・政策パンフレット》より


あるいは党首麻生氏のオウム返しの「責任力 ! 」などのフレーズは、前回衆院選から数えて何人の首相がその責任を放り出してきたのか、忘れてしまったかのようなキャッチ。
‥‥悪い冗談だろう。あんたにだけは言われたくないよ‥‥恥知らずめっ‥‥。
「無責任力 ! 」と言い替えた方がよほどシュールで受けただろうに。
これではそれまでのコアな自民党支持者からもそっぽをむかれてしまうのではないかと他人事ながら心配してしまう。(苦笑)
さてところで、そんなことよりももっと真剣に心配しなければならないことはある。
民主党政権、ほんとに大丈夫かいな、という懸念。
ただメディアはじめ多くの識者から投げかけられている懸念とは、少しベクトルは異なる。
曰く
「子ども手当などの施策で財源を捻出できるのか」
「日米同盟関係を弱体化させるような言動は慎むべき」
「温室効果ガス排出量:「1990年比で25%減」は避けろ」
 etc  いずれも『読売新聞 09/01社説より』
ま、ほとんどこれまでの自民党政権下での経済執政感覚、外交政治理念の発想の粋からの懸念でしか無く、これでは民主党候補を支持した選挙民が何のために政権交代の方を選択したのかという冷静で、客観的な視座は全く感じられない。
専門的に政治をウォッチしてきたイチリュウの政治記者より選挙民の方がよほど賢明だろう。
確かに、マニフェストに掲げられている個別具体的な政策へのそうした様々な批判にどれだけ耐えられるものであるかの疑問はある。
コイズミカイカクがもたらした社会的経済的疲弊、あからさまな市場原理主義の導入以降の弱者切り捨て政策というものは一方で限界集落というものを生み、もう片一方で全く未来を語ることのできない若者たち、いわゆるワーキングプアを生み、そして「障害者自立支援法」なるものは、お前らに生きる権利は無い、と言い放つに等しいものとして切り捨て、困窮に追いやってしまった。
自民党政権下で打ち下ろされてきたこうした新自由主義的な諸政策の下で、人々の“尊厳”は完膚無きまでに貶められてきていた。
この度の民主党のマニフェストなる個別政策は、こうしたこれまでの流れを押しとどめ、社会を再構築してこうとするための諸政策であるのだろう。
マニフェストに関心がいくのは、一見分かりやすく理解できないわけではないが、問題はそうした個別具体的な政策を語ることでの分かりやすさとの引き替えに、批判を浴びせられやすくなっているということがあるのではないのか。
そうではなく、
まずは、それら個別のマニフェストをパッケージした、これからの日本社会が依って立つ大きな“理念”をこそ、丁寧に語り掛けねばならないのではないだろうか。
まずはじめにこれからの日本社会のグランドデザイン、ビジョンを高らかに掲げ、そのための具体的施策としてメディアが好むらしいマニフェストを指し示すことで、より政権交代という一大ドラマを可視的に表現するのが良いのではないか。
そのことによって個別のマニフェストも演繹的に位置づけられ、批判に耐えうるメッセージとして効果を確かなものにしていけるだろう。
そうでなければボクたち凡夫の眼は輝いてはくれないだろう。
“理念”、“政治信条”、などと言った“高尚”な概念などを選挙民に語っても理解してもらえない、餌をぶささげてやった方が票は取れる、といったような「由らしむべし」の為政者感覚であるとすれば大きな勘違いだろう。
民主党代表・鳩山氏の言われる「友愛」が悪いと言うのではない。
相方の「責任力 ! 」より余程良質な含意を感じさせてはくれる。
ただやはりこれでは政治家としては情緒的に過ぎ、これを説得性のある社会学的言語、政治の言葉として翻訳してくれなければまずいだろう。
それらが浸透してこそ、借金まみれの国家財政の下での給付と負担という議論が真っ当に成立し、若者も未来への人生を描くことが始めて可能となるだろうし、またカップルを獲得し、二人で夢を描き、子育てへの希望も湧いてくるというものではないだろうか。
極限までに貶められてしまった生きる尊厳というものを取り戻すことができるかも知れないという「叫び」のような投票行動が、308議席であったということを民主党の新人議員たちは肝に銘じてもらわねばいけない。
民主党からはこうした熱い政治理念、ビジョンというものがあまり聞こえてこないのは何故なのか。
メディアにも大きな責任がある。
そうした大文字での理念に関わる質問は発することなく、財源問題だけに矮小化してマニフェストの個別の実現可能性のみの追求で事足るとしているのだから。
一方有権者も責任なしとはしない。
子育てにいくら回してくれるの?、という事柄も重要であるのだが、育った子どもをその後どういう社会が迎え入れてくれるの?、と言うようにもう少し射程の長いところへと関心を向けねばならないのでは。
平和国家の国是を降ろし、戦争へと我が子を追いやるような国家像を描いているやも知れず、そうでなくとも、現在の疲弊した社会に変えて、本来日本という社会が持っていた寛容性、様々なレベルでの共同体をどのように再構築していくのか、といった社会像を、丁寧に根気よく語ってくれねばいけないだろう。(308人のうち、どれだけの人がそうした資質を有しているかは知らないが)
自民党という墨守的な党派が敗れ去った今、政治家に求められているものは、利益誘導、口利きに奔走するありがたいセンセイなどではなく、本来の政治家としての資質、個々の選挙民の夢と希望を、具体的ビジョンとして指し示す勇気と情熱、それをブルドーザーの如くに牽引していく力量と器量であろう。
そうして腐敗しきっている日本の政治の土壌をこそ転換していかねばならない。
民主党の圧勝 – 自民党の惨敗、という成果というものが、例えマニフェストのいくつかが頓挫したとしても、政治土壌の大掃除に着手できたとするならば、ボクは高い評価を与えたいとさえ思っている。
変わらねばならないのは政治家だけではない。
本来のジャーナリズムとしての批評精神を発揮しなければ、いよいよ忘れ去られてしまいかねないメディアも同じように問われていると銘記すべし。
大新聞、主筆のナベツネ氏のように、与党政治家と一体化してプレイヤーを演じる姿というものはジャーナリズムとは縁もゆかりもなく、「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ」(引用)、この産経新聞社会部のTwitterへの書き込みは本音の吐露であるのだろうが、この傲慢さこそ自紙がいつまでたっても三流タブロイド紙に甘んじている内実であることを告白しているに等しい。
また4年に1度の投票行動だけが政治参加だとして、後はお任せといったような有権者の無責任な態度であれば、遠くないうちに308議席の民主党もまた、自民党のように腐敗していくであろうことも確か。
細かなことで数点加えてみよう。
切羽詰まった課題は多い。「新型インフルエンザ」は広く強く急速に感染が進んでいる。
累積感染者は5,000人を超し、死亡者は8月末までに8人を記録している。
気になるのはタミフルを処方した直後に死に至る患者が多いことだ。
またワクチンは想定された製造能力を大きく下回る規模でしか供給できないらしい(国内で年内に製造・供給できるワクチンは1,300〜1,700万人分にとどまるという)。これを埋め合わせるための海外からの緊急輸入は、免疫増強剤が添加されていて日本人の子どもには危険が多いと言うし、またどれだけ臨床治験が行われているのか、はなはだ不安である(国内産といえども有効性や安全性はまだ確認されていない)。
まずは、そうしたワクチン万能論の危険性を含め情報開示をしっかりと行い、実質的なパンデミックに備える態勢造りを緊急に整備してもらいたい。
現厚労大臣の桝添のようなパフォーマンスなど無用。
先頃『厚生労働省崩壊』を上梓した異色の医師・厚生労働省医系技官である木村盛世氏を上席に登用するなどで、万全の態勢を整備してくれないと困る。
また発足したばかりの新組織、「消費者庁」の長官、および委員長起用をめぐる不透明性は、新政権発足に隠れての駆け込み人事的な不正なもので、とても監視機関としての使命が果たせるものとも思えない。
当然にも新政権の下でチャラにして、疑念を払拭してのリスタートとしたいもの。
かつて環境庁、初代長官・大石武一氏は「正義の味方、月光仮面」と好感を持って迎えられ、それなりの実績を上げたのだったが、この消費者庁の発足にあたっては、ぜひ消費者問題に精通し、真摯に取り組む民間人を充てるべきだろう。
業界べったりの官僚を長官に当てて、どうして消費者目線の行政ができようか。
なお官僚支配からの脱却は多くの人が指摘してるところ。
彼らは世界に恥じない有能な人材であると言われているようだが、これまでの自民党、および自民党的政治体質との癒着の構造は如何ともし難いものがあろうから、いかに有能であっても、新政権の前にサボタージュするようであっては、辞任させるしか無いだろうし、しかしまたかなりの数で民主党シンパもいるものと思われるので、新たな態勢へとシフトチェンジを終えるには時間が掛かることはあるだろうが、良い関係を造り上げてもらいたい。
まずは何よりもあらためて彼ら自身にパブリックサーバントとしての自覚を持ってもらわねば困る。
さてまずはハネムーン100日ほどは、暖かく見守り、政権移譲の困難というものを民主党へ投じた人は共に受け止め、そして批評精神豊かに伴走していってもらいたいと思う。
(ボク個人は民主党へ投票しなかったが、政権交代というストリームは共に喜びたいと思っている)
戦後65年を迎えようという2,010年へ向け、少しでも明るい未来をたぐり寄せたいものだ。

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