工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

G8「温室効果ガス排出量半減」合意は果たして‥‥

ドイツ、ハイリゲンダムでのG8主要国首脳会議は8日、独メルケル首相による議長総括が発表され閉幕した。
様々な国際的政治、経済問題が議題に上がったが、ここではその中でも最大なテーマでもあり、大きな話題にもなった地球温暖化問題について卑近なところで考えてみたい。
基本的枠組みとしては「2050年までの温室効果ガス排出量半減を目指すことで合意」というものだが、この指標の達成がいかに困難であるかは首脳たち自身どれだけ自覚しているかはともかくも我らが安倍首相自らの提案(『美しい星へのいざない「Invitation to Cool Earth 50」』??)であってみれば、臣下のボクたちにとって無視できるものではないということになる。(参照→ こちら
しかし周知の通り「2008年から2012年までの期間中に、先進国全体の温室効果ガス6種の合計排出量を1990年に比べて少なくとも5%削減する」という目標を達成するために日本に与えられた削減量6%という数値は、ほぼ逆行するような現状(削減どころか+8%の増加)をみるだけでも、如何に達成困難なものであるかは自明であるが、首相から爽やかな顔つきで「美しい星」(夢物語?)「半減 !」と宣言されても首を傾げざるを得ないというのが実感というものだ。
G8における合意とは極めて政治的決着の色彩を色濃くするものであり、環境問題の専門家、科学者の一部には未だこの「地球温暖化」を疑問視する向きもあるようだし、一筋縄ではいかない問題であることは確かなところであるが、しかし明らかに時代は環境問題を射程におかねば何事も進まないところへと入ってきていることだけは間違いないだろうね。
このことは「京都議定書」からの離脱を宣言していたあの最大の温室効果ガス排出国・米国でさえもポスト京都議定書のイニシアティヴを握ろうと躍起になっていることにも象徴される。
あるいはまたそうした国際政治の力学だけに止まらず、EU欧州各国では環境対策というものをこれからの産業政策の基軸へと据えてきていることに見られる(再生可能エネルギーの創出などの)ある種の本気での“覚悟”というものを見れば日本がG8でのリーダーシップを取ったからと言って、これに安住することなく、アジアの責任ある環境問題先進国として温室効果ガス排出国の先頭へと名乗り出てきている中国などへ環境技術供与などを進めていくなど積極的に対策を講じていかねばならないことは明らかなところだね。
しかしどうなのだろう、日本国内でそうした気運など果たしてあるのだろうか。
日本最大の、いや今や世界最大の自動車製造メーカーのT社は「美しい星」を提言した政権の最大の良き支援者であるわけだが、しかし国内における販売台数の落ち込みに必至になってどんどん温室効果ガス排出の源、クルマを売ろうと躍起になっているという構図のパラドックスは、一体どのように解きほぐせば良いのだろうか。
まず少し我が身を振り返ってみよう。
燃費12Km/Lほどの乗用車1台、燃費10Km/L(ディーゼル)のトラック1台を保有し、家電製品も普通に使い、Macも起床とともに電源を入れ、就寝までOFFにしない(スリープ状態)。モデムも電源を入れっぱなし(ここ数日、雷が多く、入れたり切ったりだったけど 苦笑)
せいぜいやっていることといったら‥‥、

  • 近くの移動は極力クルマは使わず自転車で
  • 公共交通機関をできるだけ利用する
  • 踏み切りなどでのアイドリングストップ
  • TVは点けっぱなしにしない(できるだけ見ない)
  • 電機製品への依拠を可能な限り減らす
  • ゴミの分別、ゴミの減量
  • 買い物での過剰包装はさせない、レジ袋は不要(マイバック持ち込みは10数年前から)
  • 洗剤は一切使わない(洗濯、清掃、食器洗い、食物、歯磨き、シャンプー、リンス、など全て石鹸系を使う)
  • 無駄な買い物をしない(100円ショップなどでの安物買い → 安易な使い捨てはしない)
  • コンビニを利用しない
  • パック詰めの食品は避ける(魚は1本もの、野菜は泥付きのものを近くで求めるなど)
  • ともかく食品は工場で作られたような加工ものは極力避ける(資本の流通というものからできるだけ遠ざかる)
  • プリント用紙も裏も使うなど過度に消費しない
  • プリンターインクも純正のものは買わずに、他社メーカーの詰め替えインクで対応(全然問題なく使える、カートリッジ使用の削減)

気づいたところをリストしてみたが、しかしこんなことで果たしてどれだけの効果があるのかはまったくと言って自信が無い、それどころか50%削減という指標を前にして、ただ頭を抱え込むしかない。
つまりは今の現代人の生活スタイルそのものを丸ごと替えるところまでメスを入れていかないと無理であることははっきりしているのではないのか。
ボクにはそれだけの覚悟もなければ自信もない。
しかし高度消費社会を突き進んできたボクたちの存在様式そのものが21世紀から先の地球において保証されるものでないことはどうも明らかなようなのだ。
ボクは人間社会の営みというものは、結局次世代にどのように繋げていくのか、ということに尽きるのではと考えているので、やはり問題は深刻であることをあらためて自問するところから始めるしかないだろう。
さらに言えば「美しい星」構想というものが昨今事故を頻発している原発技術のアジア各国への技術供与と、原発廃棄物の地下埋設(処理問題の次世代への先送り)というものであり、二酸化炭素を大気中に放出せず地球深く埋設するという(これもまた地震などでの流出リスクを抱え、次世代への問題先送り)内容に少し立ち入って考えれば、美しい言葉の割りには手放しに同意できるものではないことに気づくのはそう難しいことではない。
自分の仕事の側面からもアプローチしていかねばならないことも自明だけど、今回は言及しなかった。いずれまた。
(ポイントとしては産業革命以来の化石燃料の使い放題に支えられてきた近代文明から、「再生可能エネルギー」への転換ということになるが、木材を主たる素材とする家具制作ということも影響は大きいものがある)
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