工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

《木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン》

ファサード
本年最後となった一昨日25日の上京だったが、山手線ターミナル周囲ははどこもごった返すほどの盛況を見せていた。
駅構内での声を嗄らして前日(クリスマスイヴ)売れ残ったケーキをたたき売りする特設カウンターの売り子たちの印象が強かったせいもあるが、どこが不況なんじゃい、と苦笑しながら人並みを掻き分け掻き分けての移動だった。
雑誌編集者、デザイナーなどを交えた忘年会を兼ねた上京だが、朝10時頃には都内に入り、いくつかのアートスペースなどを覗いたりしつつ、「東京都写真美術館」ではたっぷりと観覧。
ボクにとってはさほど頻繁に訪れるところではないが、写真、映像を専門とする特異な美術館は関係者にとっては貴重な聖地なのだろうと思う。
恐らく世界規模で考えても、めずらしい施設ではないだろうか。
1Fホールには「恵比寿ガーデンシネマ」という映画館もあり、何度か利用させてもらっている。(「セントラル・ステーション」「10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス」「クジラの島の少女」「息子のまなざし」「善き人のためのソナタ」「カポーティ」「鏡の女たち」などか ?)
設立が1990年(現在の場所へ移設したのが1995年)ということを考えれば、いわばバブルに明け暮れた時代の所産と言えなくもないが、今にしてみれば良いものを残してくれたものだと思う。現今の経済事情では、こんな施設は構想すら憚られるだろうからね。
いくつかの写真展が掛かっていたが、観たのは《木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし》


美術館ファサード壁面の大きなポスターは、この主役の二人が、それぞれお互いを被写体としたポートレート2つが仲良く並んだレイアウトになっている。
同時代に生き、こよなくライカを愛し、市井の人々の日常をスナップし、社会的評価を得た後は著名人のポートレイトへと活動の場を拡げ、と、共通する写真家の歩みは、1つの会場での展示であっても、何ら違和感のないレイアウトで組まれていたし、西欧と、近代化のとば口に立ったに過ぎないアジアの小国という被写体の違いはあっても、時代の空気を同じくするものも少なくなく興味深く鑑賞できた。
一方、画家志望でもあったカルティエ=ブレッソンが意図的な構図の取り方で異彩を放つことに対し、木村伊兵衛の被写体との距離感の近さといおうか、写真ならではの表現の可能性を広く社会に認知させた最大の功労者としてあらためて知らしめられるものだった。
無論二人における違いも少なくない。
1つだけ上げればカルティエ=ブレッソンが反ナチスレジスタンス運動で何度も捕らわれ逃走劇を演じるという青年時代を過ごしたこととも関係するのだろうが、徹底して権力側に立つことを嫌っていたのに対し、木村伊兵衛の方は、多くの人がそうであったように、戦時下、「内閣情報部」に所属し、『王道楽土』を著すなど戦争協力側に立っていたという二人を分かつ立ち位置の違いは興味深い。
そうした自己を律する基準の違いもまた、作風の差異として表れているようにも思えた。
退館して1階のミュージアムショップに立ち寄り求めたのは、この図録ではなく、数日前に終了した《セバスチャン・サルガド アフリカ ─ 生きとし生けるものの未来へ》の方。
(でも完売だそうで、予約を入れただけ)
画像下はこの美術館がある恵比寿ガーデンプレイス内のカフェ。
この来館日(25日)までに投函すれば元日配達という年賀状の裏書きをしているところ。
(往路の新幹線車中でも書いていたが、もし受取りミミズの這うような字体であったらそのせいだと、お許しを)
外へ出ると中庭に設置された巨大なシャンデリア周りに、多くの若いカップルたちの姿がまぶしい。
彼らにもしこの写真展を見ての感想を聞くことができるとすれば、どんな風であろうか。
わずかに半世紀の時間を超えて、その取り巻く生活風俗の大きな差異と、一方何も変わることのない人々の営みと……。


《木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし》
■会 期:09年11月28日→2010年2月7日
■休館日:毎週月曜日
  ※12月28日(月)〜1月1日(金)は年末年始休館
■会 場:東京都写真美術館、3階展示室
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カフェ

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