工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

スイス、脱原発へ(ドイツに続くフクシマの余波)

欧州各国の脱原発へのシフトチェンジ

今朝飛び込んできたホットなニュース。
■スイス、脱原発へ(WSJ
■ テレ朝(スイス「脱原発」宣言 2034年までに廃炉

スイスでは現在5基の原子炉で全発電量の40%を供給。
「福島原発でのメルトダウンはどこでも発生する恐れがあるとの抗議活動を背景に、‥‥[1] 」、新規建設は行わず、老朽化した原子炉の廃炉を徐々に進め、2040年頃までに完全な脱原発を果たすというもの。
今回は閣議決定ということで、今後、議会の審議、さらには、国民投票を経てのものとなるだろうとのこと。

フクシマクライシスを受け、いち早く脱原発へと大きくシフトチェンジを宣言したドイツに続き、2国目ということになる。

フクシマ、3.11という事象が、遠く欧州へとこれほどまでに衝撃を与えているということにあらためて驚く。

翻ってわが日本はと言えば、G8出席のためにパリを訪れている管首相の言は以下のよう。

「総電力に占める自然エネルギーの比率を2020年代に少なくとも20%に拡大。
‥‥
エネルギー消費を無制限に増やすことが適切か自問する必要があるとし、現在総電力の約30%を占める原発の比率を2030年までに50%以上にするとした「エネルギー基本計画」について、改めて見直す
‥‥
太陽電池の発電コストを2020年までに現在の3分の1に、2030年までに6分の1に引き下げると表明。さらに、同年までに1000万戸の屋根に太陽光パネルを設置する構想も示した
(経済開発機構・OECDでの講演から REUTERS


3.11東日本大震災を巡り、当初、世界各国から日本へ向けての支援が巻きおこるも、フクシマを巡るとても困難な状況が明らかになるにつれ、日本への眼差しは刻々と厳しさを増している中、日本の首相がどのようなメッセージを携えてくるのか、大いに注目を浴びたに違いないが、同日に発信されたこのスイスからの脱原発の明確なメッセージにかき消されねば良いのだけれど、

良く知られているように民主党のマニフェストでは原発推進の立場であったことは明確。(INDEX2009

OECDで語られた方針では、これを明らかにシフトチェンジするということになる。

「電田(でんでん)プロジェクト」が動き出す

朝刊を開いて、ちょっと驚いた。
県内版、Softbankの孫正義氏と、神奈川、埼玉、長野県の各知事と並んでわが静岡県の川勝知事が仲良く握手している写真。何だこりゃ。(asahi.comシズオカ

「浜岡は、地雷原でカーニバルをやっているようなもの」と喝破された石橋克彦神戸大名誉教授(この人、学者然としていながらウィットに富んだ表現をするものの、なかなか鋭い言説で関心しまくりだった)、小出浩章氏(京大原子炉実験所・助教)、後藤政志氏(元東芝、原子炉格納容器設計者)らとともに、この月曜日23日の参議院行政監視委員会に参考人として招聘された席で披露された孫正義氏の「電田プロジェクト」なるものが、このように数日後に具体化への歩みを開始するとは思っていなかっただけに、かなり衝撃的だった。(中日新聞 「エネルギー政策の転換を 参院委で識者が脱原発訴え」

孫正義氏の震災後の積極的な言説、行動の真意については、巷間様々に語られているようだが、ボクは彼の脱原発、新エネルギー産業戦略[2] への強い情熱は(ただの)希有な経営者としての冷徹な戦略に沿ったものというよりは(むろんそうした経営判断も含めてのことではあるのだろうが)、ある種の社会的使命感に燃えてのものとして素直に受け止めても良いだろうと思っている。

わが静岡県知事にしても、先の管首相の浜岡4号機、5号機稼働停止という重大な転換点に立ち[3] 、新たなエネルギー戦略への展望をたぐり寄せる必要性に迫られていただけに、この「電田プロジェクト」とのタッグは十分に検討に値するもの考えたのも当然と言えるだろう。

ただこの新エネルギー産業の具体化というものは、電力発送電をめぐる様々な法規制の網を食いちぎりながら、また技術的側面で解決されねばならないいくつもの課題を乗り越えてのものとなり、決して容易い道ではないのだろう。
しかしSoftbank、第二電電がdocomoの牙城(既得権益者としてのそれ)を突き崩していった経営戦略の才覚というものをぜひこの世界でも発揮してもらい、あらためて新時代の寵児になってもらおう。

なにやら突然の展開ばかりで‥‥新たな時代精神の夜明け?

しかし、浜岡4号機、5号機稼働停止を巡っては、川勝知事だけではなく、3.11フクシマを機として多くの反原発の立場に立った人にとっても、かなりな意外感で迎えられたものと思う。

民主党の原発イケイケドンドンのマニフェストの見直しにまで踏み込むというのは、管首相のこれまでの政策体系からして明らかに一線を越えるもの。
それを為し得た背景に一体全体何が潜むのか?

個人的に思うのは、米国の陰であろう。やはりここに落ち着くと見る。
実はこの時点を機として、メディアの論調が微妙にシフトチェンジしつつあることに気味の悪さを感じたのはボクだけではないはず。
フクシマを巡っては、それまで暗に東電を擁護していたものが、様々な失態をあげつらったりと批判的視点に論点をずらしはじめてきた。[4]

全国の中でも最も保守的な論調の地方紙として知られた、我が静岡新聞にしても、改革派・川勝知事へのあからさまな批判は消え失せ、秋波を送るほどまでに変容しつつあるというので驚く。

つまり、明らかに時代の思潮というものが大きく動きつつあるのではと感じている。
どの方向へと向かうかは、まだまだ未知ではあるものの、岩盤の如くに頑なに閉じていた既製の価値観、規制の様々が流動化しつつあることだけは確かであるようだ。

例えそれが暗に米国の意向を受けてのものであるのかもしれないが、一度動き出したからには、新しい世界がいかに清々としたものであるかを掴み取った市民の皮膚感覚というものは、簡単には元に戻ることはないだろう。
自民党、谷垣氏が管首相と東電、原子力安全委とのやりとりの不手際をあげつらっているようだが、そうした所業は世界の笑い者にはなったとしても、市民たちは一歩も二歩も先を行っているのだ。

時代が動く時とはそういうものであるのだろう。

さて、これまでフクシマを巡る問題については、積極的な投稿はしてこなかった。
事柄が専門的な事象を扱うものだけに、安易な展開はできないという問題もさることながら、緊急災害ボランティアへの従事をめぐる奔走、その結果の業務の停滞と必死の取り戻しといった一連の忙殺に追われてのものがあったからだ。

しかし、今、明らかに時代は動いている中にあって、ただの傍観者を決め込むわけにはいかないというのがボクの性向であれば、これらに真摯に向かうというのが似つかわしいようだ。

今、3.11を受けて、様々なところで、様々な新しい動きが始まっている。
いや、まだまだ止むにやまれず被災者としての生存を掛けたものとしての活動、それに応えた(限定的であるのかも知れないが)様々な支援ネットワークの起ちあげであったり、あるいは計画停電を避けたり、15%電力消費削減要請を受けてのものであるのだろうが、しかしこれらの新たなうごめきというものは、日本の再生、新しい社会へと向かっていく蠕動の1つになり得るものではないかと考えている。(今後、稿を改めて具体的に検証していきたいと考えている)

原発が反原発運動により停止されたわけではなく、大地震という自然災害によってもたらされたという皮肉なものであったという事実は否定しがたいものの、人類史に残るすさまじい犠牲を払いながらの艱難辛苦というものは、新たな日本をかたちづくるにふさわしい受難として受容するというのが今ボクたちに課せられた使命であるのかも知れない。

原発から廃棄される使用済み核燃料というものを数千年、いや数万年にわたり「未来の他者」に委ねてしまうという神をも怖れぬ所業というものが果たして許されるものなのか、という倫理的命題について当たり前に市民の間で交わされるという、この新しい感覚というものは、かつて感じ取ることの難しかった心地の良い皮膚感覚であることだけは確かなようだ。

《関連すると思われる記事》


❖ 脚注
  1. スイスで大規模な反原発デモ []
  2. 自然エネルギー財団”設立 []
  3. 定期点検中だった3号機の運転再開は許容できないとしても、まさか首相から4号、5号の稼働停止という決断が下されようとは思いもよらなかったと言われる []
  4. 先の平田オリザ内閣官房参与の東京電力福島第1原発事故の対応で汚染水を海に放出したことにつき「米政府からの強い要請を受けたものだった」との発言だが、その後撤回されたものの、恐らくは真実を語ったものなのだろうと思っている []
                   
    

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