工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

材木の高騰にどのように対処すれば?

ウォールナットの人乾材(米国、あるいは中国での現地製材・人工乾燥材)5/4″材の在庫が少なくなってきたので、近隣の業者から仕入れたが、またまた価格が高騰していた。
ここ数年来、値上がりが続いている。
背に腹は替えられないので、泣く泣く大枚はたくことにしたのだが、これは決して一過性の上昇というものではなく、しばらくは(数年から数10年単位での話)この傾向が続き、いずれ安定するにしても、そのうち値崩れしてくる、というようなものでは無いような気がする。
我々としては、今後の業務継続にあたってはかなりの覚悟というものを迫られてくる事態として捉えていかねばならないものかもしれないね。
米国産のブラックウォールナットの海外供出は、その7割ほどが欧州、残りが中東、アジア向け。
このところ中東においてもウォールナットの人気が高いようだ。
無論、アジアは中国の加熱気味の沿岸部経済の活況を背景に、かなりのボリュームでウォールナットが使われているし、韓国においても同様だろう。
日本での需要も経済回復の勢いを受けて伸びているようで、こうした様々な事情が価格の高騰を招いていて、数年前の感覚ではとても入手できなくなってきている。
また、このウォールナットのような米国材に限らず、楢、たも、樺などの道材、内地材も高値安定。
なお、問題は価格だけではない。
道材とは言っても、もはや正しい意味での道材は入手が難しい。そのほとんどはロシア材、あるいは中国材になっているだろう。
北海道に陸揚げされ、本州以西へと搬送されれば道材だ、などとはくれぐれも考えないように。
正しい意味での道材の楢などは道内での流通量の1〜2割ぐらいしかないのではないか。
つまり我々が10年ほど前までは普通に入手できた道材などはもはや入手できなくなりつつあると言わねばならない状況なのだ。
ボクは昔は毎年(全国規模での材木市)、あるいは毎月(地元の材木市)のように材木市で競り落とし、道材の中でもかなりの良材を在庫していたが、それもかなり使ってきたのでさほどの余力があるわけではない。
後は北海道の業者から購入しているものの、ほとんどはロシア材だろう。
あのわずかにピンクがかった素性の良い道産の楢はこれからは大切に、大切に使っていかねばならない稀少なものとなってしまったようだ。
ボクなどは在庫を使っていくだけで生涯での使用量は概ね賄えるだろうからさほど心配するほどではないが、若い木工家にとってはこうした困難な時代を迎え、材料問題はより深刻なものとなるだろう。
さて、今回購入したウォールナットだが、人乾材ではあるものの、米国に本社を置くN社のものと較べ比較的色の劣化の度合いは低いようだし、幅もかなり広め(20〜40cm)の中径木が多く、高価格ではあったものの決して悪い買い物ではなかった。
それを考えれば、1立方余りを片付けた肩の疲れも吹き飛び、旨い晩酌になった。
出羽桜というわけで、酒の銘柄の薦め(何のこっちゃ、結局そこへ行くの?)。
〈出羽 燦々 誕生記念(本生)純米吟醸〉
前回紹介した酒と同じブランド。
ただ「無濾過原酒」ではなく「本生」というもの。
基本的には米、水、酵母などは同一なるも、濾過工程の違い、絞る季節の違い、などの差異が微妙に味わいに変化をもたらしている。
やはり個人的な嗜好で言うならば、「無濾過原酒」の方を選びたい。より酒そのものの旨さ、キレがあるように思えた。
しかしこれは今年の新酒を待たねばならない。
それまでしばらくはこの出羽桜の様々な銘柄を楽しんでみようと思う。
ありがたいことに買い求めた店ではファンが多いようで多くの品揃えをしている。
材木のように原材料が枯渇するようなことは無いだろうから、安心してじっくり楽しんでいこう。
ぐい飲みは小川幸彦 作、灰釉焼き締め

東光寺の白梅

白梅
所用で出掛けた帰路、少し足を伸ばして島田市の郊外にある東光寺・日吉神社を参拝。
東光寺鬱蒼とした木立に囲まれた山間地のどんづまりに突如として現れる山寺だ。
三脚を所持していかなかったので、手持ちでの撮影だったが、寺社特有の佇まいを納めることが出来た。
ここは「猿舞」という民俗芸能が今も伝えられている古刹。
毎年4月14日には境内に設えられた舞台で雄雌の猿の仮面を付けた子供が、楽人の笛と太鼓に合わせて舞う。
白梅もほぼ満開で、目を楽しませてくれた。

木工家具制作におけるサンディング (その2)

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第2回目の記述に先立って、何故このような一見ありふれた作業工程について記述する気になったのかについて冒頭触れておきたい。
その意図を共有していただければ、この論考もより強い関心を持ってもらえると思う。
まず1つには、木工家具制作におけるスタイルに関わることなのだが、いわゆる“手作り”木工と称する木工のスタイルにおいては、仕上げ加工の手法についてのこだわりが少なからぬ要素を占めていると思われるが、“手作り”木工における仕上げ加工の手法とは言っても実に様々なプロセスがあるというのが実態であり、ここで一度、仕上げ加工工程のサンディングというものについて(鉋での仕上げとの対比において)整理しておきたい、という動機があった。
2つには、未熟な職人に傾向的に見られることとして、「サンディングぐらいだったら上手くできます」と言われるものの、実はそのほとんどがサンディングというものがどのようなものであるかを正しく理解しないままルーティンワークとしてやっているという実態を見るに付け、サンディングという工程の重要性と、高度な技能であることを語っておきたいという動機があった。
3つには、サンディング作業に使われるいくつかの機械への故無き誤解というものが厳然としてあることを正しておきたい、という動機があった。
“手作り”という呪縛からのことなのであろうか、
手作業でのサンディング > ポータブルサンダー > ベルトサンダー(マシーン)
と、並べた場合、左の方が品質は高いだろう、という根拠薄弱な誤解があることについて指摘しておきたい。
先に結論を言えば、一般に多くの場合(いくつかの例外はあるものの)その優劣は逆なのだ。これは別項で詳しく記述しようと思う。
さて1、3、については項をあらためて考えるとして、まず2番目の問題から述べておきたいと思う。
「サンディングぐらい」という粗末な扱われ方
良く新参者が「サンディングぐらい出来ますのでやらせてください」などと軽いノリで請け負おうとすることがあるが、この「サンディングぐらい‥‥」というのがくせ者。
任せた結果、とんでもない結果が待ち受けている。
サンディングの目的とするところは材面の研削ととともに材面の均質化というものも同じく要求されるのであるが、未熟な職人に任せた場合こうした要請にはほど遠いばかりか、時には、あるいは多くの場合、材面の形状を変質、阻害させてしまうという結果をもたらしてしまうから話しはやや複雑になってくる。
未熟な職人には材面の木理を判別する眼というものが無いからであろう。一通りサンディングされているからそれで良いだろう、という程度に留まっていることによる。
一見きちんとサンディングされているように見受けられても、実は目的とする材面の均質化が図られていないことが多い。
これは薄暗い工房の中では分かりづらいレベルのものになるので、見落としがちということもあろう。
これはは木という有機素材ならではの固有の特性が影響していると考えて良いだろう。
つまり材面というものは複雑極まる細胞の配置によって構成されている。
また木という有機物を構成している繊維細胞というものは、1つとして同じ配置ではあり得ない。
繊維の向きも違えば、配列の密度も違う。とりわけ日本の広葉樹は四季の多様な変化に彩られ、年輪というものを明瞭に醸しだすものであるが、この年輪こそ複雑極まる細胞配列の多様さを規定づけている。
したがってこうした複雑な材面を均質にサンディングするにはその材面の木理をしっかりと読み取る眼を養わねばできるものではない。
同時にこうした木理を的確に判断し、これを均質に研削するためには一定の熟練と、研削技能が要求されてくることは理解していただけるだろう。
さてどのようにしてこの均質さを識別するかと言えば、塗装すれば明瞭に浮かび上がり、判別が容易になる。
適切にサンディングされている部位の塗面は、本来の木理が明瞭に浮かび出て、美しい。対し不十分なサンディングの部位では、浅黒く木理は沈んだものとなる。
でもこれでは工程というものは非可逆なものだから、答えにはならないね。
ではどうするか。意外と簡単なことだ。誰しも経験のあるところだと思うが、明るいところで板面をよく見れば識別できるし、なお太陽光に角度を微妙に変えながらかざしてみればさらに良く分かる。
しっかりとサンディングされていれば、板面は曇りというものがなく、木目が明瞭に浮き出ているはずだ。対し、不十分なサンディングでは木目が不明瞭で毛羽立っていたり、ぼやけていたりする(その多くの場合、逆目のところにこうしたぼやけが生じやすい)。
別項で詳しく述べたいが、手作業でのサンディングでは、この明瞭な木目を引きだすのはかなり困難であり、逆にあまりむやみやたらサンディングすることで、平滑性を奪ってしまう、という落とし穴に落ち込む怖れは多い。
サンディングとはあくまでも適切なサンドペーパー番手の選択、適切なサンディングシステム(機械、工具の選択)、適切な加圧、およびスピードで、平滑性を維持させつつ、均質化を図り、木目を明瞭に引きだす、という工程であることを知っておきたい。

木工家具制作におけるサンディング

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サンディング作業というものについて少し考えてみたい。
少しまとまった記述になるので、数回に分けてエントリしようと思う。
ただ原稿はエントリしながらぼちぼちと…、ということだし、資料画像もまだ十分に整えられていない現状なので、インターバルを置きながら、ということになる。
はじめに
サンディング作業にもその目的とするところから大きく分類して2つの種類がある。
1つは一般に素地調整と言われる塗装工程のプレ段階としての工程を指す。
もう1つは素地調整前にあってこのサンディングという手法によって加工のある部分を委ねることがある。つまり成形作業の工程をサンディングによってやってしまおうという工程を指す。
ここでは主に素地調整としてのサンディングを重点的に記述するが、必要に応じて成形作業についても触れていきたいと思う。
さて何故素地調整としてサンディングという作業工程が必要かと言えば、塗装に至る前段階に必須のものだからだ。
塗装を必要としないものであればサンディングなど不要だろう。それが例え未熟な水準のものであったとしても(よほどひどいのは除くとして)手鉋で仕上げた素地の状態のほうがよほど質感に優れたものになる。
これは建築における杉、檜などの柱の仕上げを考えていただければ理解できる。日本建築の粋の1つでもある柱の艶というものは建築職人により見事に仕上げられた手鉋による削りならではのものがあるだろう。
これはサンディング仕上げなどの方法では出せるテクスチャーでは無く鉋という切削道具ならではのものだ。
このように日本という文化圏、建築を含む木工への伝統的な手法には特殊日本的な価値概念というものに規定されるものがあることは確認しておきたい。
これは木工、あるいは建築に供される木材というものへの特異な感性からの思い入れ、評価というものに裏付けられていると考えられる。
伊勢神宮の式年遷宮では20年ごとに社殿と鳥居、その他を建て替えるというものだが、ここに象徴されるように白木の建築へ託す独特の思い入れは、伊勢神宮に留まることなく広く一般に共有されているものと言えよう。
ここには数寄屋建築、寺社建築の伝統というものに支えられ、連綿として今に続いてきた技術的背景を条件としてきたことを見ることが出来るだろうし、またそうした技術を尊ぶ精神というものが建築、木工の仕上げの在り方への評価基準として歴史的に形成されて来たとも言えるだろう。
やはり鉋から始まり、鉋に終わる、という木工文化における日本固有の技術的アプローチは、如何に近代を迎えてからの技術改革の波に洗われても、簡単に廃るものではない。
そうした確固とした木工の伝統的な技術体系の中軸にある鉋掛けでの仕上げというものは、これからもなお大切にされねばならない手法であることは言うまでもない。
さてしかし一方、塗装をするとなればその塗装システムの内容にもよるが、何らかの素地調整というものが必要になってくる。
確かに手鉋で仕上げられた材面の質感には上述したように魅力的なものがあるが、しかし残念ながら塗装工程で要求される均質な材面を手鉋で確保することは、例え熟練した職人の技であっても至難なものになる。
言い方を変えれば、手鉋で仕上げた切削肌とサンディングされた切削肌は全く異質なものであり、塗装を施すために要求される切削肌は手鉋によるそれではない、ということになる。
この物言いはやや誤解を呼ぶ怖れがあるかも知れないが、これは仕上げ品質の優劣を問うものではなく、全く目的とするところが異なるがための評価だということを理解していただきたい。
手鉋で完璧に仕上げられた切削肌はとても美しく、それだけでほどほどの耐水性もあり、耐候性も高いものがあるだろう。
したがって建築資材に用いられる部位にはそうした仕上げ肌のものが求められるだろう。
指蝕でもサンディングの切削肌と較べようがないほどに気持ちが良いものだ。
細胞レベルで考えれば、鉋による仕上げ肌というものは繊維がシャープにカットされ、したがって木質そのものが本来有する堅固な肌が明瞭に現れ、それなりの防護壁となって耐水性、耐候性が保たれる、ということになるが、一方サンディングという手法では、板面をザラザラに荒らしてしまう(番手の差異はともかくも)ことで、本来の木質が有する特質を引きだすことなく、逆に阻害してしまうことで、汚く不快なテクスチャーとなってしまう。
しかし塗装を施すには、むしろこうした肌の方が適切なのだ。やはり素地調整という工程が求められることになる。
少し煩雑な説明になってしまうのではしょるが、簡単に言えば均質に塗料が付着する肌が必要となってくるからだ。
如何に高水準の熟練度で手鉋を駆使したとしても、複雑多岐にわたる広葉樹の繊維の流れを、完璧に“均質に”仕上げることは至難。
そこで、この手鉋の世界では求めることが無理な木肌をサンディングによって補う、という工程が必須となってくると理解していただければ良いだろうか。
これまでの説明では十分に理解していただけないかも知れないが、この後、各項目での解説を進める中でこれまで述べた概説は諒としていただけるはずである。
今回のところでは、大凡のところで了解していただければ良いだろう。
なお、冒頭記したように、まだこの後の原稿を用意している訳ではないので、どのように進めていくかは未定だが、大凡以下のような内容で考えている。

1、サンディング作業の大きな誤解
2、適切なサンディングの仕上げ方とは
3、サンディング関連機械
4、サンディングの電動工具
5、手業でのサンディング工程

なおこの論考は必ずしも木工全般にわたるサンディングについて記述するものではなく、あくまでもボクが20年ほどの木工家具制作において実践的に獲得してきたスキルを基準とするものだ。しかしこれは決して狭隘な範囲でしか通用しないというものではなく、広く一般に了解できるものとして読んでいただけるものと考えている。
なお当然にもBlogというツールでの記述なので、コメント、TBなどでのアクセスは記述内容にも深みが出るだろうし、また励みにもなるので大いに望みたい。 

Top画像は工房近況:サンディングを終えた家具の部品

Hans j. Wegner 訃報 (92歳)

ハンス・ウェグナー氏、92歳での死去。
1月26日にコペンハーゲンの自宅で亡くなったようです。
葬儀後娘さんから発表されたようですが、死因等についてのコメントは無かったようです。
International Herald Trubune」紙に死亡記事が来ています。
高齢の中、最近までメディア対応もしていたようですが、巨星墜つ ! という感ですね。
心からご冥福をお祈りします。

進化していたMAG-LITE

MAGLITE1
今日は旧暦で12月15日。つまり十五夜の満月。
月明かりの下で甘い囁きを、と願いたいところだが、この寒さではちょっとね。
明るすぎるのもちょっとね。
でも明るさが求められる時はたくさんある。
前回のLED記事へのコメントにもあったように交通信号機に導入されとても視認性が高くなっているのはご存じの通り。
あるいは新型の車のテールライトにも導入されつつあるようだね。
当然夜道にも明るい懐中電灯は必須のアイテム。
もちろん、電化製品 IT製品には欠かせなくなっているのは言うまでもない。
Macでもスリープ状態にすると、1.5mmφほどの小さな穴から高輝度の白色LEDがゆっくりと瞬きをする。
さて、今日は懐中電灯のLED。
工房の機械のメンテナンスの際の内部へのアクセスでは場内照明では足りず、懐中電灯が必要になることは多い。
普段はminiMAGライト AAタイプ(単3電池)電池2本のものを使用していた。
恐らく20年ほどにも長きにわたって使用してきているがとても耐久性が高く、確か1度玉を交換しただけ。しかもご存じのようにこの玉は購入時にテール部分に内蔵されていたもの。
MAGライトはその性能、耐久性、使い勝手への信頼は類種を圧倒していて愛用し続けてきたものだった。
さて一方、銀行、郵便局などへの近隣の移動には自転車を使うことを基本にしているが、最近この自転車のライトが破損してしまっていた。そぅ、コケてしまって破損しちゃった。
そこであらたに自転車店や、ホームセンターなどでライトの機種選びをしていたが、LEDを用いたなかなか本格的で照度の高いものもあり、その中からいくつかに絞り込み、あらためて最終確認のためにネット上で検索していたら、USA MAGライトもLEDのものが発売されていることに気づいた。田舎の店舗では見掛けることはなかったので、MAGライトのLED対応への踏み切りには気づかなかった。
こんなエントリー、旧聞に属する話題なのかもしれず、その場合は遅れた老人のたわごととして読み飛ばしてもらおう。

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角ノミのスポットライト更新

LED1うちの工場は冬時はやっぱり暗い。たいして大きな工場ではないが、高い位置に水銀灯があり、各機械配置の上部やや比較的低い位置に蛍光灯がある。
通常の加工作業はこれでまず十分だろう。
因みにボクの同年代のほとんどが老眼鏡を使用しているようだが、ボクはまだまだ裸眼で0.1mm程度の判別は付く。長年の工場作業で視力の劣化がさほど進んだというものでもないようだ。
でもさすがにこの程度の照明設備では「角ノミ」の手元での微妙なスミ位置判断は難しいもの。
そこで当初より、スポット照明をしていたが、なかなか芳しくなかった。(これまでの照明「角のみ盤への照明器具取り付け」
恐らくほとんどの工場でもそうだと思うが、角ノミ本体にフレキシブルアームに付けた白色灯で照らしていた。
しかしなかなかノミの穿孔位置に的確にスポットを当てるというのは容易ではないのだった。
・大きな光源が邪魔・影が出来る・白色灯はフィラメントなので振動に弱い etc。
そこで遅れ馳せながらLED照明を用いることにした。
なかなか快適だ。
・とても小さな光源なので視野が遮られることが全くない。
・フィラメントではないので振動に強い。
・求めたのは3つのLEDが直線方向に並んだものなので、影が出来にくい。
・角ノミの錐のブラケット底部に取り付けたので穿孔位置直下にスポットさせることが可能
・DC4.5V電源、AA3本(単3乾電池3本)なので、外部に電源コードを引っ張る必要がない。
などなど良いことづくしだ。
LED1さて、今後の課題だが、このLED、照度があまり高くないので、同じものをもう1つ反対側に取り付けようかな。明るさ倍増、影がさらに無くなり全方向からのスポットになるだろう。
あるいは、さらにもう少し照度の高いものを探そうかな。
ともかくも加工設備全般に、このLED照明器具の取り付けは効果が高いものと思われるので、積極的に取り入れていきたいものだね。
他に考えられる取り付けた方が良いと思われる機械、工具としては…、
【木工機械】・帯ノコ盤・ボール盤・ルーターマシン など
【電動工具】・ハンドルーター・トリマー など
既に電動工具では、マキタあたりが充電インパクトドライバ、トリマーの一部機種への高輝度LED照明搭載が進んでいる。今後はこうした設計思想が一般的になっていくと思って良いだろう。
それまでは他の機種へのLED対応はカスタマライズで試みてみようと思う。
電動工具へはAC電源のものをメインSW連動で駆動する。機械へは逆に乾電池対応のものを取り付ける。
電動工具メインSW連動工作は配線図が必要だろうし、少しばかり電気に関する知識も必要とされるが、克服できないものでもないだろう。
なお、今回紹介のものだが製造元は現段階では伏せておきたい。
その理由は照度がやや不足していることと、耐久性において検証されていない、といったところからまだお奨めできるレベルのものではない事による。
そうした条件でなお求めたいということであれば、メールでもいただければ情報提供しよう。
でも恐らくは多くの木工職人が既にこうしたLED照明を取り入れていると考えられるので、良い情報があったらご教示いただきたいと思う。(知らないのはオマエだけ、とお叱りを受けるようなエントリーだったかな?)
したがって今日のところではこうした照明もあるよ、気になったら自身で探してください、ということでおゆるしいただきたい。
次回はもっと明示的なことを記述しようと思う(苦笑)。

寒中見舞い

椿寒いですね。
いえそんなことはないはず。例年だとインフルエンザが蔓延し学級閉鎖が相次ぐ季節のはずなのにそんな話はどこからも聞こえてこない。聞こえてくるのは西から鳥インフルエンザの話ばかり。
やはり暖かい冬なのだね。暖冬で困るのはスキー場だけではないだろう。農業への影響を初め、様々な第1次産品への影響は少なくないと思う。
ブッシュさんさえ23日に出した予算教書にも地球温暖化の影響に触れざるを得ない状況を呈している。これを受けてダボス会議でもこのテーマの論議が熱を帯びているとのこと。
ま、この暖かさが直接的に地球温暖化に影響を受けていることによるものなのかどうかは次元の異なる話ではあるだろうが……。
暑さにも寒さにも弱いartisan。コンクリートの床の機械場では凍えている。
でも思い出すのは真冬の信州の工場では機械の定盤が冷え付いていて手で触れるとくっついてしまうことさえあったことだ。
板は板で、重ねて一晩放置しておくと下手すりゃそれらが凍り付いてくっついてしまうこともあったね。
こんな時季に鉋の刃の裏出しなどしようものなら割れてしまうのがオチ。(あの頃はただ未熟なせいでやっちまっただけかな?)
日本で1番暖かいと思われる静岡の地ではヒトは駄目になります。
やはり季節にはメリハリがなきゃいけません。
ボクの顔がおもしろみのない平板なのも、作風が凡庸なのも、してみれば静岡という風土にその責を負わせることが出来るかも知れない(というのはウソ)。
画像は工場裏の大きな椿の樹から手折って来た寒椿(藪椿)

落ざまに 水こぼしけり 花椿    松尾芭蕉

椿を活けるのはラクじゃない。葉と花の向きがばらんばらん。自然界にはめずらしく統制が取れていない、というのは少し言い過ぎか。
花は朽ちる前にボトリと音を立てて落下する。上の句もそんな歌だ。
でも好きな花だね。
・花器:ハービー・ヤング(木工家デニス・ヤングさんの兄上で益子の陶芸家)
・敷物:「テキスタイル真木」さんのタッサーシルク

TV番組、ちょっとおかしくない?

納豆関連エントリーはもうしない積もりだった。
捏造がバレる前のものではあったが、先の記事で基本的問題については言い尽くされていると考えるからだ。
ただ別件のTVメディアをめぐる新たな問題が惹起しているので、もう1度だけ簡単に触れておきたい。
先週末、いつものように買い出しに出た中堅のスーパーの棚には2週続きで納豆は空っぽ。
帰宅してネットからの情報で捏造を知った。
納豆ダイエットを信じて買いに走った人たち、増産に追われたメーカーの人たち、そしてボクのように長年納豆を食べ続け、この騒動でその食習慣を破られてしまった愛好家、などの人たちには気の毒だったが、ボクはさほど驚きはしなかった。
確かに全国の納豆コーナーが空っぽ、というのは異様な光景だが、TV局の番組など、所詮その程度の信頼性しか無いと普段から考えていたからね。
昨夜の「あるある大事典」放送では番組そのものは休止され、謝罪の挨拶があったのだが、前日土曜日の捏造発覚を機に、販売店からメーカーへキャンセルが相次ぎ、これらのメーカーは不二家のように賞味期限を偽るわけにもいかず、売れる当てもない在庫を抱えて怒っているとのことだ。
二重にも三重にもTV局の責任は重大だ。
ボクは驚きはしなかった、と言ったが、あまり正しい表現では無く半分だけの事実。
どういう事かと言えば、TV局の捏造には驚きはしなかった(驚かない自身については、確かにそれ自体問題だという自覚はあるし、麻痺しちゃってると思う)のだが、一方視聴者がこれほどまでにスーパーに押しかけて納豆を買い漁るというこ事態はちょっと想定外なことだった。
確かにこれには驚ろかされたね。
恐らく事前に情報を得て増産体制を敷いていたメーカーも、これほどまでにヒートアップするとは考えなかったのではないのだろうか。
しかしこれほどまでに多くの人々がTV局の番組へ信頼を託していたんだね。
これは冗談抜きに、ちょっと怖い話だ。

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ルーシー・リー展 ─ 器に見るモダニズム ─ (観覧記)

エントランス

ルーシー1陶芸の1つの極北にあるのではと強く魅入られてしまっている器群に再会することができた。

ウィーンで生まれ、ナチスに追われ36歳の時にイギリスへと渡り、80歳代まで生涯陶芸の道で生を燃焼し尽くしたルーシー・リー(LUCIE RIE)の作品群。

2003年、ニューオータニ美術館で開催された「ルーシー・リー展  ─ 静寂の美へ ─」で感銘を受けて以来4年ぶりの再会。

タイトルこそ「ルーシー・リー展 ─ 器に見るモダニズム ─」と変わっており、またややボリュームにおいて縮小されているものの、展示作品はボクにとっては初見のものを含め展開され、また同じくドイツからの亡命者であり、アシスタントとして陶芸活動を供にしたハンス・コパーの作品も数点展示され、あらためてその多様な作風の陶器を身近に触れることが出来たのは幸せであった。

陶芸については全く門外漢の素人なので適切な批評などできようも無いわけだが、日本人のボクが強く惹かれるのにはいくつかの理由があり、それを辿ればこのエントリーも少しは客観性を帯びるかも知れない。

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