木工家具制作におけるサンディング
サンディング作業というものについて少し考えてみたい。
少しまとまった記述になるので、数回に分けてエントリしようと思う。
ただ原稿はエントリしながらぼちぼちと…、ということだし、資料画像もまだ十分に整えられていない現状なので、インターバルを置きながら、ということになる。
はじめに
サンディング作業にもその目的とするところから大きく分類して2つの種類がある。
1つは一般に素地調整と言われる塗装工程のプレ段階としての工程を指す。
もう1つは素地調整前にあってこのサンディングという手法によって加工のある部分を委ねることがある。つまり成形作業の工程をサンディングによってやってしまおうという工程を指す。
ここでは主に素地調整としてのサンディングを重点的に記述するが、必要に応じて成形作業についても触れていきたいと思う。
さて何故素地調整としてサンディングという作業工程が必要かと言えば、塗装に至る前段階に必須のものだからだ。
塗装を必要としないものであればサンディングなど不要だろう。それが例え未熟な水準のものであったとしても(よほどひどいのは除くとして)手鉋で仕上げた素地の状態のほうがよほど質感に優れたものになる。
これは建築における杉、檜などの柱の仕上げを考えていただければ理解できる。日本建築の粋の1つでもある柱の艶というものは建築職人により見事に仕上げられた手鉋による削りならではのものがあるだろう。
これはサンディング仕上げなどの方法では出せるテクスチャーでは無く鉋という切削道具ならではのものだ。
このように日本という文化圏、建築を含む木工への伝統的な手法には特殊日本的な価値概念というものに規定されるものがあることは確認しておきたい。
これは木工、あるいは建築に供される木材というものへの特異な感性からの思い入れ、評価というものに裏付けられていると考えられる。
伊勢神宮の式年遷宮では20年ごとに社殿と鳥居、その他を建て替えるというものだが、ここに象徴されるように白木の建築へ託す独特の思い入れは、伊勢神宮に留まることなく広く一般に共有されているものと言えよう。
ここには数寄屋建築、寺社建築の伝統というものに支えられ、連綿として今に続いてきた技術的背景を条件としてきたことを見ることが出来るだろうし、またそうした技術を尊ぶ精神というものが建築、木工の仕上げの在り方への評価基準として歴史的に形成されて来たとも言えるだろう。
やはり鉋から始まり、鉋に終わる、という木工文化における日本固有の技術的アプローチは、如何に近代を迎えてからの技術改革の波に洗われても、簡単に廃るものではない。
そうした確固とした木工の伝統的な技術体系の中軸にある鉋掛けでの仕上げというものは、これからもなお大切にされねばならない手法であることは言うまでもない。
さてしかし一方、塗装をするとなればその塗装システムの内容にもよるが、何らかの素地調整というものが必要になってくる。
確かに手鉋で仕上げられた材面の質感には上述したように魅力的なものがあるが、しかし残念ながら塗装工程で要求される均質な材面を手鉋で確保することは、例え熟練した職人の技であっても至難なものになる。
言い方を変えれば、手鉋で仕上げた切削肌とサンディングされた切削肌は全く異質なものであり、塗装を施すために要求される切削肌は手鉋によるそれではない、ということになる。
この物言いはやや誤解を呼ぶ怖れがあるかも知れないが、これは仕上げ品質の優劣を問うものではなく、全く目的とするところが異なるがための評価だということを理解していただきたい。
手鉋で完璧に仕上げられた切削肌はとても美しく、それだけでほどほどの耐水性もあり、耐候性も高いものがあるだろう。
したがって建築資材に用いられる部位にはそうした仕上げ肌のものが求められるだろう。
指蝕でもサンディングの切削肌と較べようがないほどに気持ちが良いものだ。
細胞レベルで考えれば、鉋による仕上げ肌というものは繊維がシャープにカットされ、したがって木質そのものが本来有する堅固な肌が明瞭に現れ、それなりの防護壁となって耐水性、耐候性が保たれる、ということになるが、一方サンディングという手法では、板面をザラザラに荒らしてしまう(番手の差異はともかくも)ことで、本来の木質が有する特質を引きだすことなく、逆に阻害してしまうことで、汚く不快なテクスチャーとなってしまう。
しかし塗装を施すには、むしろこうした肌の方が適切なのだ。やはり素地調整という工程が求められることになる。
少し煩雑な説明になってしまうのではしょるが、簡単に言えば均質に塗料が付着する肌が必要となってくるからだ。
如何に高水準の熟練度で手鉋を駆使したとしても、複雑多岐にわたる広葉樹の繊維の流れを、完璧に“均質に”仕上げることは至難。
そこで、この手鉋の世界では求めることが無理な木肌をサンディングによって補う、という工程が必須となってくると理解していただければ良いだろうか。
これまでの説明では十分に理解していただけないかも知れないが、この後、各項目での解説を進める中でこれまで述べた概説は諒としていただけるはずである。
今回のところでは、大凡のところで了解していただければ良いだろう。
なお、冒頭記したように、まだこの後の原稿を用意している訳ではないので、どのように進めていくかは未定だが、大凡以下のような内容で考えている。
2、適切なサンディングの仕上げ方とは
3、サンディング関連機械
4、サンディングの電動工具
5、手業でのサンディング工程
なおこの論考は必ずしも木工全般にわたるサンディングについて記述するものではなく、あくまでもボクが20年ほどの木工家具制作において実践的に獲得してきたスキルを基準とするものだ。しかしこれは決して狭隘な範囲でしか通用しないというものではなく、広く一般に了解できるものとして読んでいただけるものと考えている。
なお当然にもBlogというツールでの記述なので、コメント、TBなどでのアクセスは記述内容にも深みが出るだろうし、また励みにもなるので大いに望みたい。
TAZAWA
2007-2-8(木) 22:51
初めまして。神奈川の方で昨年から小さな工房を開いたものです。なにせ駆けだしなもので、こちらのブログはとてもためになる内容なのでいつも拝見させてもらっています。
私が木工を学んだところでは、ワイドサンダーやベルトサンダーがあったので、機械のナイフマークはサンダーで消して、その後、ペーパーで手磨きでした。今は当然、ワイドサンダーなどは無いので、超仕上げか手鉋をかけた後にペーパーで手磨き、あるいは手鉋仕上げとしています。
最後が同じペーパー仕上げだとしても、その前にナイフマークをサンダーでとるか、手鉋でとるかで全く仕上りが違いますよね。
手鉋仕上げの木地の手触りの良さは捨てがたいのですが、塗装をするならやはりペーパーを多少なりとも当てるべきでしょうか。私は手鉋のあとにペーパーを当てるときは、♯1000のペーパーを主に使っていますが、果たして、何番位のペーパーが適切なんでしょうか。
ラッカーやウレタンではなく、木材に含浸するオイルフニッシュでもやはり、「均質に塗料が付着する肌」というものを調整する必要があるでしょうか。
そんなことを疑問に思っています。もし良かったら記事の中で触れていただけるとありがたく思っております。続きを楽しみにしています。
artisan
2007-2-8(木) 23:38
TAZAWAさん、初めまして。さっそくのコメント感謝します。
本稿ではTAZAWAさんの疑問点を含め、考えていくつもりですので、よろしくお付き合いください。
acanthogobius
2007-2-9(金) 20:41
いよいよ今年の講義が始まりましたね。
楽しみにしています。
特に鉋掛けとサンディングの関係は興味深いです。
artisanさんの外からのコメントを広く受け入れる姿勢には
いつも感心しています。ありがとうございます。
artisan
2007-2-10(土) 08:45
acanthogobiusさん、
いや、それほど大仰に構えていただくとキータッチが縮こまります。
日常普段のありふれた工程であるサンディングを少し整理して考えてみたい、というところですね。
ボケ、ツッコミ歓迎ですので、よろしくお願いします。
なるほどキーワード
2007-2-14(水) 18:45
建築職人/建築職人
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acanthogobius
2007-8-24(金) 21:25
古い話を持ち出してしまってすみません。
artisanさんのサンディングの話の中で、逆に私は
鉋掛けの重要性を感じています。
サンディングを塗装のプレ段階としてとらえると
塗装しない部位ではサンディングは必要ないと考えても
良いのでしょうか?
例えば箪笥などの横框や摺桟の部分などです。
もちろん、鉋がちゃんと掛かっていればの話ですが。
artisan
2007-8-24(金) 22:29
acanthogobiusさん、あなたの仰るように塗装の不要な箇所にはボクもサンディングはしません。意味無いですからね。
ただ木部への周囲の環境からの影響を考えた場合、塗装部位と無塗装部位との影響は明らかに差異がでてきますので、したがってこれらへの評価は問題なしとはしません。(通常は無視してしまうのが一般的でしょうが‥‥)
なお少し目的が異なりますが、摺り桟にウレタンクリヤを吹くということは悪くありません。摺動を助けます。
>箪笥などの横框
不明を恥じますが、どういう部位かちょっと掴めませんね。
acanthogobius
2007-8-24(金) 22:37
ありがとうございました。
すみません、横框の件は忘れてください。
各部材の名前が正確に把握できていません。
佐竹重生
2010-2-7(日) 14:18
はじめまして、木工には全くの素人ですが、詩を書いています。先日、伊勢神宮、宇治橋の高欄干に触って、その感触感動し、それを表現したくなっての質問です。
光沢を押さえた白木の風合いと、その手触りの柔らかさというか、しっとりとしたなめらかな感触が今も手に残っています。
人の手でこすって磨き上げるたのかと、思いましたが、それでは、何らかの色が付いたり、輝き(照りというのでしょうか)付くでしょうが、そのようなものは全くありませんでした。
あのような白木の風合いを出し、しっとりとなめらかな感触を出す磨きは、やはり熟練した大工さんのかんなによるものでしょうか。
お教え頂けたら幸甚い思います。
artisan
2010-2-7(日) 18:59
佐竹さん、良いお話しですね。ありがとうございます。
私は専ら屋内の調度品制作ですので、日本の伝統的建築の工法などは詳しくありません。
ただ一般的に言えることとしまして、外装におきましても檜などを用いた白木仕上げのものは鉋を掛けただけの仕上げを尊ぶということになります。
わけても伊勢神宮の本殿などは式年遷宮ということで20年ごとの定期的な建て替えを行いますし、この宇治橋もその対象になっていまして、架け替えが行われます。
したがって最古でも20年の歴史ということになりますので劣化もさほど進まないということでしょうか。
これらの仕上げは練熟した宮大工の手によるものですので、高精度の切削肌で仕上げられます。
こうしてシャープに鉋掛けされた木肌は檜という樹種の特徴でもありますが、意外にも風雪に耐えられるものであるようです。
また恐らくはその20年間には定期的なメンテナンス(いわゆる“あく洗い”などの)も行われるのではないでしょうか。
伊勢神宮式年遷宮の公式サイトに詳しく記述されてもいるようですので、ご参照ください。
http://www.sengu.info/index.html
佐竹重生
2010-2-8(月) 09:46
早速、丁寧にお教えいただきまして、有り難うございます。
伊勢神宮式年遷宮の公式サイトはまだ見て下りません出したので、これから見に行きます。
どうも有り難うございました。