工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

クリスマス・キャロルを聴きながら

今日は納品と業務の打ち合わせで、終日とある地方都市に出ていたが、時間調整で入ったデパートを核とした大きなショッピングゾーンはクリスマスイブのオーナメントに飾られ、大変混雑していた。
混雑を避け、静かなカフェを探すのが困難であったが、暫し日本の消費文化を目の当たりにすることで自身の居場所の無さの気まずさに思い知らされる一方、今の若者たちの欲望というものが消費対象として巧妙に奪い取られる高度なシステムを見せられる思いだった。
記憶をたどればボクが少年の頃には既にクリスマスというものが徐々に日本にも根付きつつあり、この頃酔っぱらったオヤジがツリーを肩に帰宅することは年中行事だった。
しかしどこかクリスチャンでもないボクには居住まいの悪さがつきまとっていたものだった。
♪聖しこの夜、とう歌うよりも、外でダチどもと雪合戦している方が楽しかっただろう。
友人にもクリスチャンがいるが、その彼はあまりこうした宗教的儀式を排除した商業優先のイベントに異議を申し立てるということはなく、少しでもこれを機にキリストへの思いをたどってくれればありがたいと言うだけだ。
考えてみれば、今の日本の社会というものはひとり一人のエートスなどというものはどこかに置き忘れてしまい、全てのものが消費の対象として刈り取られてしまっているのではないのか。
自身ではアクティヴに生きているようで、その実まるごと消費経済の餌食として絡め取られていることに気づくのは容易ではないのかも知れない。
つまり本来の欲望の発露さえも管理され、自から沸き上がるものをしっかりと整序立て、洗練させ、形にしていくというプロセスなどは不要で、あらかじめ用意されてしまっていてただそれを選択するだけで OK ! というありがたい社会に変容してしまっているのだ。
IT社会というものもこれに大いに寄与していることだろう。
近代の到来とともにそうした帰結を想起できていたのかはともかくも、この道を選んでしまったのは誰に責任があるというものでもない。
でもやはりこれは人の原初的な力を削ぎ取り、理性を不要なものとして鋭敏に鍛える作業を置き去りにするものだろうから、どこかで線引きをして抵抗していかねばどんどん劣化していくだけだろうと思う。
今ボクたちは激動する社会の中で、消費対象として奪われるに任せずに、いかに自身を見失うことなく、足下を掘り下げ、しっかりとした磁場を作り上げられるかが試されているのかも知れない。
深夜に近い時間帯に業務から解放され帰路に着いたが、繁華街の路上には酔客の頭から落ちたのかサンタの三角ハットがうち捨てられ、早くもケーキがバーゲンに付されていた。

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • ゆうべも、とてもしずかな時間をすごした。
    長女は嫁に行き、長男は家を出て自活し、唯一同居している次男は、大学のダチのところに泊まりに行っていない。
    庭の隅で楓の落ち葉に埋もれながら、飼い犬が背をまるめて眠り、家のなかはひっそりと――。
         書を読みて 妻とふたりの 聖誕夜
    >今の日本の社会というものはひとり一人のエートスなどというものはどこかに置き忘れてしまい、全てのものが消費の対象として刈り取られてしまっているのではないのか。
    まさに、ご指摘のとおりですね。おそろしい社会です。
         十字架負わぬ 神なき民の クリスマス
    >でもやはりこれは人の原初的な力を削ぎ取り、理性を不要なものとして鋭敏に鍛える作業を置き去りにするものだろうから、どこかで線引きをして抵抗していかねばどんどん劣化していくだけだろう
    そういう「抵抗」することのできる、腰のつよい日本人がふえていかない限り、この国はきっと、だめになりますね。
         神おらぬ 明日なき国の 降誕祭
                         まさとし

  • 風に吹かれて さん、コメントありがとう。
    本文よりコメントの内容の方が勝っている、というのも困ったものですが…、
    大いに補強してくれるもので助かります。
    句はいずれも秀逸です。

  • おっ、褒めてくれてありがとう。
    貴兄に褒められたのは、43年ぶりではないか(オーバーな!)。
    いま、目にするもの、すべて俳句にすることができます。
    そういう目で、ものごとを《視て》いるから。
    俳句って、すぐれものだねえ。いつでも、どこでも、すぐに、詠むことができるから。ケータイのように電源は要らないし、デジカメのように一々構える必要もない。
    ただ、ものごとを真っ直ぐに《視る》目と、やわらかな脳髄さえあれば――。
       ラグビーの ジヤケツちぎれて 闘へる
                         山口誓子
    一方、
       ラグビーの 頬傷ほてる 海見ては
                         寺山修司
    若いころは、寺山のものをずいぶん読んだけれど、いま読むと、なんだか「甘い」なあ……。うそがあるね。
    その点、やっぱり、誓子の真正面から取り組む姿勢につよく惹かれますね。潔いから。
    再見
                    

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.