工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

2026年、迎える春は果たして…(高市政権 のヤバさに怯え…)

一昨年の正月はM7.5の能登半島地震でお屠蘇気分は吹き飛ばされたのでしたが、今年の正月、1月4日はトランプのベネズエラ大統領・ニコラス・マドゥロ氏の拉致、監禁という超弩級の軍事侵攻があり、さすがにこれには驚かされました。
アメリカ・ファーストとは一見真逆の他国へのウルトラ軍事行使であり、これには夕餉に添えた頂き物の越後の銘酒にもまったく酔えず、寒々と心も冷え切り、ホント大変な年明けになったもんだと呆れかえったものでした。
しかし、この1月はその程度では終えられませんでしたね。

他でも無く、翌週末の1月10日、読売一面で大々的に報じられた通常国会冒頭解散!

私は前夜、デジタル版で読んだのですが、正月気分はこれで完膚なきまでに吹き払われてしまったのでした。
前回衆院選からわずかに1年3ヶ月、つまり任期の半分も働いていないというのに、突然の通常国会冒頭解散で首切り、総選挙というわけです。

通常、公示前後に届けられるはずの投票所の入場券も間に合わず、私もその一人ですが、期日前投票の権利も阻害され、衆院選挙と同時に行われる〈最高裁裁判官の国民審査〉も投票用紙作成に要する日程のため、1月中は間に合わないようです。

日本海側、そして北国では例年に無い、40年ぶりほどの豪雪に襲われ、日常生活を維持するだけでも大変困難なな時期であり、
各自治体は年度末へ向けた行政の執行、来年度予算案の施行へ向けた要綱の組み立てなど、年間でももっとも忙しいこの時期。よりによって選挙準備に奔走させられるとは ¯\_(⊙︿⊙)_/¯

選挙後の恒例と言っては失礼に当たりますが、投票の一票の価値を巡り、弁護士先生の有志らが違憲訴訟を提訴しますよね、今回のこの唐突な解散総選挙は民主主義の根幹でもある国政選挙に有権者の投票の権利が十分に満たされない、との罪過で、七条解散とやらに突っ走った高市首相を被告として訴えるんじゃ無いかと、心配…、いや期待する向きもあるらしい。知らんけど・・・。

いえ、半分は本気でして、七条解散を含め、硬直化してきた日本の選挙制度そのものは問われてもおかしくはない段階へときているように思いますよ。ハイ!

この米国と日本の2つの「暴挙」、まったく異なる次元の異なる情勢ではあるものの、視野を拡げて視れば、案外、その背景にある時代潮流から視れば、共通するものがあるのかも知れません。

今日はそんなところから2026年の初頭の世相を展望してみようかなと筆を取った次第。
浅学非才の身であれば、問題を深く剔り、真相へと導くだけの資質などありもせず、表層をなぞるに留まるのがせいぜいではあるでしょうが、有権者の責任あるひとりとして物申すのも必要と思うところからの投稿です。
(やや長文になるところから、2回に分けた投稿になります)

解散総選挙

まず渦中の解散総選挙ですが、あえて「暴挙」と申しあげました。
いわゆる「7条解散」って奴ですが、巷間、「首相の専権事項」などと言われ、高市首相としてはこれを行使しただけに過ぎないと言われてはいるものの、それには必須とされる「大義」の無い解散であれば、憲法的疑義を申し立てられるほどの「暴挙」と難じることはまったく不当では無いでしょう。

しかも、昨年10月の首相就任後、日本維新の会との連立(閣僚も出さない、珍妙なカタチ)などで過半数を確保しての、新年度予算案でしたが、これの年度内成立は絶望的なものに追いやられるという二重三重の暴挙。

高市首相曰く「高市早苗に、国家経営を託していただけるのか。直接、ご判断を頂きたい」とのたまう。
ご存じの通り、日本の国政は「議院内閣制」を執っています。
つまり、市民が直接選ぶアメリカ大統領とは異なり、国会議員を市民が選び、その選ばれた議員の協議により選ばれるのが内閣総理大臣です。

私(高市早苗)を選ぶのか、野田や斉藤鉄夫氏、あるいは別の議員を選ぶのかを、問う、ってのは制度上、明かな間違い。
今回の通常国会の冒頭解散は、高市首相が官房長官など極めて限られた側近とだけ協議し決めたと言われ、自民党幹部も寝耳に水だったとされます。

とにかく高市首相は何につけ ひとりで突っ走るタイプの政治家ですが、前述の「私を選んで欲しい」などとする物言いからすれば、選挙に勝ち抜いた場合、どんな政治の世界が訪れるかはよくよく考えねばならないでしょう。

もし「私を選んで欲しい」とする高市首相の言い分を認めるということであれば、いわば彼女に白紙委任を与えるようなものと解釈され、つまりは暴走を許すことにもなりかねません。
それほどにトンデモ無い「権力乱用」の下での総選挙が今まさに進行しているのだということは肝に銘じておいた方が良いだろうというのが第1印象です。
850億円もの経費が掛かるとされる総選挙ですが、これは人気投票なんかじゃありませんからね。
勘違いも甚だしい物言いであり、これを「大義」とするだなんて、悪い冗談も程ほどにして欲しいものです。

さて、ここからは冷静になり「公約」を視ていきます。
維新との連立協議から、多くの「公約」がならべられていますが(PDF)、個別具体的に解析するだけの紙幅も能力もありませんので、主張の骨格のみに絞り、その危うさを指摘させていただきます。

積極財政

高市政権、衆院選への主張の核心は「責任ある積極財政」だそうです。
経済に積極的に刺激を与え、成長軌道の乗せたれ!、というもの。
つまりは安倍政権時代の黒田日銀総裁とのタッグで日本経済をダメにし、大失敗した「アベノミクスよ、もう1度」ということかね。

現在のインフレ下の経済を、あの時代のデフレ経済の発想・財政出動により経済成長ができるとでも言うのでしょうか。
物価高が止まない今の状況下、金融緩和させることできるはずもなく、さらなるインフレ圧力となるばかりか、財政出動は当然にも円安圧力を呼び込み、物価高騰を招く結果を生み、やがては円が売られ、日本売りを招く結果になるというのが国際経済の冷徹なリアリズム。

実際、この高市政権の危うい「積極財政」と「消費減税」のオンパレードは長期金利を急激に上昇させ、過去最高水準まで上げています。
この金利上昇こそ、財源の裏付けの無い「積極財政」、「消費減税」への市場からの警告です。

日経新聞より

アメリカ・ベッセント米財務長官による米国債利回りの上昇に「日本からの波及効果を分けて考えることは非常に難しい」とする発言が注目されましたが、これもまた、日本経済への警句以外の何ものでも無いでしょう。

日本経済に求められるのは、落ち込んでしまっている成長率、生産性の低迷という日本経済のダメさの根本を見据え、成長著しい欧米各国では当たり前のように行われている産業構造の抜本的改革新陳代謝を進め、かつて日本が得意だったイノベーションを抜本的に促す戦略が決定的に足りていないのです。

TVなどでの街角インタビューでの「物価高を何とかして欲しい」との切実な訴えに呼応するかのように吹かれる高市首相の「積極財政」ですが、経済を刺激させれば経済浮揚できるか如くのギャンブル的思考はあまりに楽観的に過ぎやしないかと思わざるを得ません。
どこまで中長期的なヴィジョンに立ち、責任ある立場から、持続可能な日本の社会経済を展望しているのか、説得性のある言葉を聞きたいものです。

$換算で円が155円であったものが、160円ちかくまで売り込まれ、どうもここが目下のメルクマールかと、日米による協調介入的なアクションがあったようで、153円台まで戻しているようですが、
これで高市政権が選挙に勝ち抜き、国債発行によるしかない「積極財政」を乱発していくようであれば、たちどころに日本売りが始まり、日本経済は沈み込んでいくだろう事も明らかです。

消費減税

かてて加え、今回の総選挙の大きな焦点になっている「消費減税」ですが、
自民党公約では「2年間限定の食料品ゼロについて「実現に向けた検討を加速する」と言うものですが、首相の日本記者クラブ主催の党首討論会では「秋の臨時国会に関連法案を提出し、26年度内の実施をめざす」とかなり踏み込んだ指針を示したのです。

日経新聞

昨秋の総裁選では「レジの改修には1年ほど掛かる」とか、「いや半年でできるらしい」、いや「私の悲願」などと、毎回言うことが違い、またその具体策は与野党が設立する「国民会議」任せというので、他党の消費税を巡る焦点化の下、それらに引きずられての、党内議論も経ないままでの揺らぎの大きな首相個人の発言でしか無いことがバレバレなのです。
これは首相という重責を無視したあまりに無責任なものでしかありませんね(右図参照、日経新聞から)

高市首相のこうした朝令暮改ですが、何も消費税に限るものでは無く、芸風のようなものと捉えた方が良いのかも知れません。
いわゆる台湾有事を巡る閾値を超えた発言は、そうした芸風というものからもたらされたものと言えますね。

さて「消費税」は年金、医療、少子化対策、介護という〈社会保障4経費〉にのみ充てられる「目的税」です。
1989年の導入時は一般財源であったものを、10%への増税を機に福祉を主目的とする「目的税化」しています。
これにより、年金、医療、少子化対策、介護が支えられているわけですが、きちんと機能しているかと言えば、確かに多くの問題を抱えていることも事実かも知れません。
ここでは個別具体的にみていくことはできませんが、高齢者福祉に大きく偏ったものという性格もあるところから、現役世代の負担感の大きさは否めず、政治の怠慢と言うべき処は多々あるのでしょう。


現在の消費税は10%ですが、これを例えば5%に減税しますと、約15兆円の財源が失われてしまい、決して十分なものでは無いとはいえ、介護保険により生き存える人は資金不足に陥り、施設維持もママならず、介護職員の確保も今以上に困難となり、寒空に追い出されかねませんし、少子化対策の財源も大きく削られ、出生率はより低下し、ますます日本は未来無き社会に転がり堕ちて行かざるを得なく無ります。

一方、確かに消費減税による家計の負担は軽減されるでしょうが、その額は平均的所得の家庭で7,000円/月 くらいとのこと。
お米が10kg買える程度でしょうか。
その代償として介護サービスの自己負担は数万円高くなるかも知れませんし、高校授業料無償化は吹っ飛び、子育て支援も大きく削減しかねないのです。

今、健康体であってもいつ病に斃れるか判ったものじゃありません。
あるいは産業構造の転換の中、雇用が奪われ、生活困窮者に堕ちる懸念が無いとも言えず、そうした危機的状況に立ち至った時の救いの手が社会保障制度ですが、この制度運用は消費減税によりますます難しくなっていくことでしょう。
これらは数十年にわたる政労交渉や野党らの闘いによって議論され、作られてきた制度であり、今はそれらのかなりの部分を消費税が賄っているのです。

数10年を費やしての様々な議論、政治的体力を掛け、10%までになった「消費税」ですが、これにより、多少は人々の安心した暮らしが護られる社会福祉財源になってきた日本社会ですが、今回衆院選での「消費減税」大合唱というのは、これを削ることの意味というものを、どれだけ精査し、語っているのか。よくよく考えるべきでしょう。

こうして、もう日本社会の明日など「知らんわ」の状況に陥っていることをどれだけ政党、候補者が認識し、論じているのか、無責任極まり無いものです。

確かにこの種、給付とセットであるべき負担の議論は選挙戦渦中では難しいのは分からなくも無い。
つまり、社会福祉財源に関し普段からどれだけ丁寧が議論が為されているのかが問われているわけですが、
少しは冷静になり、今日、明日の財布の中身も重要ですが、少しは中長期的な日本社会の在り様を標榜することはできないものなのでしょうか。


さてところで…、こうした「減税」「手取りをもっと」の訴えというのは、日本社会の貧困化をいみじくも表す指標のようなものでもあることは認めざるを得ません。

この貧困社会をもたらしてきた要因を考えますと、様々なものがあるでしょうが、安倍政権下で導入された「非正規雇用」という新自由主義的経済政策の帰結なんだろうと思います。
今夕のTBS『報道特集』でも取材されていましたが、就職氷河期世代を中心として、非常に不安定な雇用関係に押し込まれ、明日を生きる術も無い中年世代がおられる。

働き方改革とやらで、「非正規雇用」を選択する労働者も多いとか言われますが、トンデモ無いことで、その多くは正規雇用を求めても、職が無い人々。
結局不安定極まるギガワークなどに縋るしか無い状況。

解説で出演していた早稲田大・橋本健二教授は、彼らをアンダークラスと位置づけ、日本社会が壊れていく様(橋本教授は「社会全体が病気になっていく」と話す)に警鐘を鳴らすのです。

経済指標としてもっとも分かりやすいGDPを観れば、日本社会の貧困化は一目瞭然。(上の図表)

この30年ほど、日本はほぼ横ばいで、一昨年はドイツに抜かれ、やがてインドにも抜かれそうな情勢。
一人あたりにすれば、隣国の韓国などが右肩上がりに伸張し、数年前に抜かれています。
ご覧の通り、日本経済は成長していないのです。

ここ数年、政府主導の春闘により(闘えない労組になり、政府主導で賃上げしてもらうという歪みはあまりに不健全なもので自覚すべき)、やっと賃金も上がるようになってきているとはいえ、その昇給額を超える物価高に追い抜かれているという現状。

そこへ今の物価高。
人々の生活の苦しみは大きく、未来展望は絶望的に暗いというのが実態。
そうした異常な生活苦から「消費税減税してくれ〜」との合唱が起きているとも言え、そこはよく分かるのです。

しかし、前述の通り「消費減税」を行うということは有権者にとっては天に唾するもので、自身を支える社会保障、福祉の安定財源がが大きく失われていくことに気づくのは何も難しいことでは無く、冷静に考えれば中学生にも分かる経済社会のイロハです。

しかし、そうしたイロハも、切迫した経済困窮の状態では冷静に考えることができないばかりか、社会へのルサンチマンを募らせ、何かのきっかけで、威勢の良い候補者(例えば、高市首相?)へと熱狂的に支持を与えてしまうこともあるのかもしれない。
まったく皮肉な話しです。
本来であれば、もっとも忌避されねばならぬ対象を、自らポジティヴに評価し、依存してしまう。
このパラドックス。
闇は深いのです。


1つ、言わせてもらえば、彼ら非正規雇用者、貧困者の苦悩に寄り添い、これを組織化し、政治へと反映させる回路というのが日本は貧しいのでしょうかね。
本来であれば、立憲民主党、国民民主党、連合あたりが責任持ち介入すべきところですが、彼らは労働貴族のようなもので、「アンダークラス」など知らんわ、との立場。

野田代表松下政経塾の1期生ですが、あそこは新自由主義を信奉する機関なので、「アンダークラス」など自己責任とばかりに切り捨てて恥じない人士らです。
こんなのが野党第1党の代表と言うので、日本の未来が開けないのも当然。

1つ余談ですが、我が静岡県知事の鈴木康友氏も、野田氏と机を並べた松下政経塾の1期生です。
それが何と、先の衆院選、東京24区の自民党、裏金議員の応援演説に出向き、選挙カーの屋根に上がり、演説したのには、さすがに驚かされました…。
そして松下政経塾の本質というものをより強く印象づけたのでした。
その裏金議員とは? 萩生田光一

以下、やや長文になるため、次回に回します

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